2011年10月30日日曜日

富山の置き薬

ここに古い木製の、抽斗付きの箱がある。
倉庫を整理していて見つけたものだ。
墨書のある木箱
抽斗には鉄の取っ手が付いており、正面にはシールが貼られているが薄くなり読めない部分もある。
箱にはいくつもの墨書がある。
・上部には『越中富山 御薬品々入 蓮野薬房』。
・右側面には『富山県富山市 東岩瀬町新川町 蓮野▲▲郎』(▲は個人名)。
・左側面には『昭和参拾年度』   とある。
箱の上部
箱の右側面
(個人情報である可能性が高いため一部画像修正してある)
箱の左側面
そう、これはまぎれも無い富山の薬売り用の置き薬箱である。
富山市の蓮野薬房の蓮野▲▲郎さんが、はるばる我が家にやって来て薬を置いていった、専用の薬箱である。
小さい頃、この薬箱から薬を取り出して飲んだ(飲まされた)記憶が蘇った。

         

昭和40年代ごろまではどこの家庭でも当たり前であった売薬システム。
遠く越中富山から、薬を担いでこのような茨城の田舎にまで来るという、一種の訪問販売、行商である。
今のように、ドラッグストアなど無論無い時代である。
薬屋とて近くにない当時の農村としては、非常に有り難いシステムであったに違いない。
薬の種類等は満足になくとも、置き薬としてある程度のものが常備してあるということで、とくに子供が多かったこの時代で、お腹をこわしたとか風邪を引いた程度ではそう簡単には病院には連れて行けなかった時代には、この安心感は大変大きかったと思う。
ある程度の年代の方(現在50歳以上か?)であれば、この売薬システムやら薬のパッケージにはノスタルジーを覚えるのではないだろうか。

         

大きな柳行李を担いだ富山の薬売りの男性が、毎年決まった時期に家にやってくる。
この一年間で使った薬の代金を払う、新たに薬を補充する。
一通りの手続きが済んだ頃に、必ずと言っていいほど子供たちに紙風船やゴム風船(→ガサ張らず軽いというのが選ばれた理由であろう。)をくれたものだ。
当時はこんな紙風船やらゴム風船であっても、もらうと大変嬉しかったものだ。
今考えるとなんとまあ素朴で純真な子供たちであったものか。
(その子供たちの40〜50年後の姿が、今の我々だが。。)

         

この箱の底には、その年に置いていった薬の明細書が貼付けてある。
引き出し底部
(画像クリックで拡大)
かろうじて日付は昭和34年(=1959年)10月20日と読み取れる。
薬の明細部分も破損して判読不能のものも多いが、幾つかは読み取れる。
(加えて、蓮野さんの手書き文字は癖がありかなり読み難い字である)
六神丸、ケロリン、アカチンキ、メンタームなどいまもその名に触れることができる製品もあるが、既に販売していないものもあると思われる。

この日に蓮野薬房の蓮野さんが置いていった種類は23種類のようだ。
風邪・熱の薬、小児用薬、腹薬などが多いことがわかる。

         

かつて家人は、家族の健康を考えながら、あれこれ思いを巡らし、迷いつつこれらの製品を選んだに違いない。
ごく限られた種類の薬であり、購入・補充は年に一度しかないのである。
当然、費用も考えないといけなかったであろう。
今の時代の感覚からしてみたら、不自由きわまりないシステムである。
だからこそ、この富山の薬売りが持参する薬の選択にかける父母の思いが尊い。
だが当時はそのようなことは知る由もなく、あまりにも我々は幼すぎた。

果たして、我々子供たちは特段の病気もせずに育ち、皆今も健康体でいる。
何よりも、丈夫に生んでもらい、このように大きくしてもらったことに感謝である。
自分でも子供を育て、この齢になってやっと気づく親の思いである。

容易に薬が購入でき、病院へもすぐにかかれるような現代の社会になって、良かった反面、何か喪失したものがある気がしてやまない。
単なる昭和の良き時代への郷愁ではなく。

         

富山の置き薬についてネットサーフィンしていて、薬箱の前面に貼ってある獅子頭のラベルが判明した。
この赤い獅子頭の図柄は「かぜピラ」であった。
いまでも販売しているようだ。⇨ かぜピラ

遠い記憶であるが、この薬、飲んだ(飲まされた)気がしないでもない。
ついでながら、他の薬のパッケージもここを参照してみてはいかがであろうか?
ああ、そうそう、こんなものがあった、と懐かしい当時の記憶が、薬の味とともに蘇るかもしれない。
・      富山市電子図書館

         

かつてよく利用したことがある『大衆食堂半田屋』という、まさに大衆食堂のチェーン店がある。
その店内には必ずこのポスターが貼ってあったものだ。
(今もあるかどうかは知らない)
おそらく多くの方が目にしているはずだ。
大衆食堂半田屋のポスター
この飯を頬張る無垢な子供の、なんとも言えない表情とキャッチコピーが好きだ。
富山の薬売りが来ていたあの頃、かぜピラを飲まされていた頃の自分は、きっとこんな顔で飯を頬張っていたのだろう。
・・・・・なんとなくノスタルジック。

この引き出しを開けたとき、不思議とこのポスターを思い出した。
かつてこの家で、家族が揃って食卓を囲んでいた時の賑やかな声が聞こえた気がした。
そっと閉めたときには、ほろ苦いかぜ薬の味が口の中にスーッと広がった。

壊れそうな箱であるが、昔にタイムスリップさせてくれる魔法箱でもあり、思い出の詰まったタイムカプセルでもある。


いま、薬売りの人が来たあの時の細かな記憶が蘇った。
富山から我が家に来ていた薬売りの男性(・・・あの方が蓮野さんであろうと思う)は、ピカピカのハゲ頭の男性であった。

秋の陽差しが西から差し込む囲炉裏脇の上がり口。
黒い大きな風呂敷で包んだ柳桑折を背負い、蓮野さんは訪れた。
何段もの柳桑折を開け、家人とよもやま話をしながら薬の入れ替えをしていた。
ほどなくして手続きが終わると、我々子供が呼ばれた。
蓮野さんはニコニコしながら、我々に細いゴム風船で器用に動物の姿を作ってくれたりした。
確か、金歯が何本かあった方だったやに思う。
妙にニコニコした顔に、ピカッと光る金歯(・・とツルツルの頭)。
なぜかそれだけが深く印象に残っている。

0 件のコメント:

コメントを投稿