2013年11月22日金曜日

イチョウ 散る

冷え込む朝が増えた。北日本や日本海側では雪マークが目立つ時期。
11月もあと一週間ほどだから当然だなと、背を丸め手を擦りながら霜の降りた外を見ながらひとりごち。


イチョウの落葉が見事だ。

澄み切った青空を背景に風に舞う姿は美しいが、屋根に積もり、雨樋を詰まらせる厄介者でもある。

傍らではフユザクラもひっそりと咲いている静かな里の秋である。

2013年11月18日月曜日

そういえばSL

一年前を振り返ると、いまごろは14年ぶりのSLが水郡線を走るということで、その準備に携わるJR関係者(各種業者さん含む)と、SLを撮影しようとするマニアの人たちで、普段は静かな玉川村駅周辺が、にわかに慌ただしくなった時期であった。

既に田んぼでの農作業は終わっているので、普段はそこで人の姿をほとんど見かけることはないのだが、このときだけは線路周辺の撮影スポットには早朝からの陣取り合戦があって、異様な光景だった。
少しでも良い場所を求める気持ちは分からぬでもないが、マナーもなにもない一部の人間のために、迷惑した付近住民も多かった。
運行本番当日の、駅周辺の空き地や路上への迷惑駐車は、いまも語りぐさである。

今年はそんな喧噪もなく、いつもの静かな山里である。
いつもと同じように山の木々は色付き、イチョウは見事に黄金色となっている。

実は、JR水郡線・玉川村駅は昨年2012年12月に開業90周年を迎えている。
(詳しくは開業日は1922年=大正11年12月10日。常陸大宮駅までは大正7年に開通しており、大正12年のこの日に山方宿までやっと延伸になったのであった)
SL運行はその記念行事というのが小生の中で位置づけであったのである。
玉川村駅と山方宿駅以外の駅にとっては周年行事には当らないので、JRを含めそんなことは誰も言っていない。小生だけが独り静かに祝福していた訳だ。

水郡線は100年ほど前の明治時代後期から、茨城選出の衆議院議員・根本正(ねもとしょう)が帝国議会で鉄道敷設を熱心に唱え、幾多の困難を乗り越えて開通させた線路である。

⇨ この話は別の機会にしたい。
始発駅が水戸駅ではなく勝田駅だった可能性だってあったこと、私鉄・水戸鉄道として既に開通していた水戸=常陸太田間であるが、当時の常陸太田市民は新路線の開設に反対運動を起こしたこと、などなど。

我がご先祖様は根本代議士と昵懇だったようで、現在のルートに線路を敷き、いまの場所に駅を開設すべく奔走したと聞いている。根本代議士からの手紙が我が家には多数現存している(ただ、悲しいかな毛筆の達筆で読めない)。
(ご先祖様の名誉のためにあえて言及しておくが、根本代議士に賄賂を贈ったり、接待したりをした訳では断じてない。あくまで西部山間地域で産出する資源(葉タバコ・材木・白谷石等)輸送においての地政学上の有利性を説いたのである。根本代議士も接待やらで左右される御仁ではない。大局的な見地から県北地域の将来にわたる発展のための総合的かつ合理的な判断をした結果である。)

そんなロビー活動が奏功したのだろう、下の地図で見るとよく分かるが、常陸大宮駅から山方宿駅までは(真っ直ぐほぼ国道118号線沿いに北進するのが自然だろうと言う)大方の予想に反しての西に大きくカーブした線路となっており、その真ん中に玉川村駅は作られた。さすがである。

開業して半世紀は賑わいを見せたものの、この40年は衰退の一途であるのはご承知の通り。
100年の後にはモータリゼーションがここまで発達し、利用客が激減することまでは明治~大正期に生きたご先祖様もさすがに予見できなかっただろう。

そんなこんなの玉川村駅の90年の栄枯盛衰を思いながら、昨年のSLを見送ったのであった。
ご多分に漏れず当地域も少子高齢化が進み、駅周辺が寂れて久しい。
廃れて行くだけの街であってはいけない。何か出来ることはあるはずだ。
2012/11/24の試運転時
ギャラリーの歓喜の声をもって迎えられた本番日
大量の蒸気を吐き出しばく進するSLの雄姿は絵になった
玉川村駅のハレの日でもあった
2012/12/01

2013年11月10日日曜日

食材偽装事件に思う

先日の読売新聞朝刊のコラム「編集手帳」に、西洋ジョークが紹介されていた。
読まれた方も多かろう。

「ボーイ君、これは仔牛の肉かね?それとも、普通の牛肉かね?」
「区別がおつきになりませんか?」
「うん、つかないなあ」
「それなら、どっちだっていいじゃありませんか」

         

さまざまな解釈が可能だ。
小生は、仔牛か普通の牛肉かも自分では判断できない食事客への皮肉と読んだ。
しかし、家人はもっと突っ込んで、仔牛か普通の牛肉かは大した問題ではなく、どんなであっても最高に美味しい料理を提供できる料理人の矜持、とも解せるではないかと言う。
そう言われれば確かにそうだ。

このジョークが紹介されたのはこのところの「食材偽装」に関してだ。
人を欺くのは許されざる行為であり、あってはならぬことだ。
続々と有名ホテル・デパートでの公表と謝罪が続き、底なし状態だ。

今回の問題のことの本質は、このジョークの最初の解釈のような提供者側の意識の問題、すなわち、どうせわかるまいという不遜な思い上がりが当たり前になっていたのだろうと思う。
特に調理現場を預かる立場の人間にかかる思い上がりはあったかもしれない。あるいは利益を優先する経営側から(調理現場の声を押し切る形で)強い指示があったのかも知れぬ。
職人集団の厨房内は独自性が強いのだろうし、外部のチェック機能も働き難い。上下関係も厳しいのだろう、若手が疑問を抱いても発言できないに違いない。

今後、調査結果が公表されるのだろうが、こと信用に関わる問題だけにこれで終わりという解決が難しく、トラブル・クレーム対応に膨大な体力を費やすことは想像に難くない。間違いなく長期化する。
レストラン運営会社だけに留まらず親会社企業の信用に傷が付き、対応の巧拙によっては存続に関わることにもなるだろう。
あとの解釈のように料理人の矜恃があれば(不正を強要したりする)経営側に異も唱えられたのかもしれない(あくまで勝手な推測だが)。
偽らざる情報開示で、食材の仕入れ価格に応じた価格を提示すれば良いのである。高い材料なら高く、安かったら安く。高級店のステータスを維持するうえでは安いのはマイナスだからしないだろうが。
少なくとも高級ホテルのレストランで食事をしようとする人種は小生などと違って、このようなシチュエーションにおいては財布のヒモはユルユルではないか(これも勝手な、貧乏人の推測だが)。
それに加えて、ブランドや他人の評価(口コミ)に著しく弱い日本人である。
結局はそこにつけこんだ一連の事件、という構図だろう。

世の中全体のモラールの低下は勿論あるのだが、何でもかんでも利益最優先・効率最優先の風潮が幅をきかせるからこんなことに・・と思わぬこともない。日本人の倫理・道徳・正義が著しく劣化している。
小生など、細々とでも正直に、人に喜んでいただける確かなものを提供できたら満足なのだが。
まあ、なんだかんだと言っても、顔が見える関係にある生産者が作るものを直接手にいれられるのが消費者にとっては一番だ。
自分の畑で獲れた食材で作るけんちん汁が一番のご馳走だと信じて疑わない、浮世離れした田舎人・農業人の一人つぶやきである。

2013年11月7日木曜日

まもなく常陸秋そばが楽しめる

今年もまた新蕎麦を楽しめる季節となった。
隣町金砂郷で開かれる恒例の『常陸秋そばフェスティバル2013』が近づいている。
あの蕎麦打ちの神様と異名をもつ高橋名人率いる『達磨 雪山花房』を始めとし、今年も15の店が新蕎麦の味を競う。

常陸秋そばフェスティバル2013チラシ

(ある年のように)会場への道路で23キロもの大渋滞に巻き込まれても、(これは毎年だが)達磨のような人気店では30分以上も待たされても、なんとしても食べたい常陸秋そば・新蕎麦の味である。
ほぼ同じ蕎麦粉を使いながら、食感・風味に違いが出来る不思議さ。
短時間で、新蕎麦それも名高い金砂郷産の『常陸秋そば』を食べ歩きできるまたとないチャンスだ。
あまた人が集う所以である。

         

巷間では高級ホテルのレストランでの、肉やら海老やらの『誤表示』はたまた『偽装』のニュースが喧(かまびす)しい。

当然のことだが騙すことは有ってはならぬことだが、逆に言えば人の味覚とは斯くも与えられる事前の情報による思い込み(有名ホテルのレストラン=高級=美味いはず)で騙されやすいもなのだろう。

変な言い方だが、高級食材でなくても最近では高級食材程の品質に近づいている・食材の調理技術が向上している、と言えなくもない。
その差は紙一重なのかもしれぬ。
何しろフランス・ミシュランも騙せるくらいだから。

このフェスティバルで使用される常陸秋そばの新蕎麦は、無論このような偽装は無いだろう。する必要も無い。栽培している現場で行う蕎麦祭りであり、出店者には栽培に携わる関係者も多いはずだ。産地と一体となったイベントだから。

それに蕎麦を打つ人には、尋常でないほど『金砂郷』の『常陸秋そば』には食材としての憧れや拘りがある。
偽装すること=自分の矜持を傷つけること、そんな考えの人たちだと思う。
 
ただ、有名ブランド『常陸秋そば』と言うだけで、美味いとう前提を頂けるのはみな有難いだろうが、それに恥じぬ蕎麦を出して欲しいと願っている。
とはいうものの、変な理屈やら必要以上の心配は無用で、文句無く美味いので毎年こうやって繰り出す小生だ。

         

蕎麦好きには外せない、聖地『金砂郷』の祭典まであと少しだ。
スカッとした秋晴れの一日となるることを祈りたい。

昨年の食べ歩きから
県民食のケンチン蕎麦


2013年11月3日日曜日

リンドウとM先生

リンドウは秋の花である。
初秋には栗拾いで賑わった我が家の栗林。
その片隅に自生しているリンドウが、ちょうど今花をつけている。
ほぼ同じ時期に咲いているサザンカのように派手に花弁を散らすこともない。菊のような鮮やかな色合いもない。
どちらかと言えば控えめでひっそりとそこに佇む花である。
花ことばも『あなたの悲しみに寄りそう』だとか。宜なるかな・・・という感じがする。
正確には分からぬが『ササリンドウ』という種類であろうか。
毎年すこしずつ株が増えてきている。
草を刈り払う時には注意している。

         

毎年、この花を見るとき不思議とある人を思い出す。
小生が小学1年と2年のときの担任だった女性教諭のM先生である。
M先生はある時、『リンドウは一番好きな花なのよ』とおっしゃった。
他愛も無いことだが妙に鮮明に覚えている。

M先生がどんな場面でなぜそんなことを口にしたのか覚えていない。
好きだという理由も恐らくその時に聞いてはいたのだろうが記憶はない。
それ以上に不思議なのは、どうしてこのフレーズだけを半世紀近くも経ってもなお覚えているのだろうかということ。
あの紫色や佇まいがなんとなくM先生に重なって映り、ぴったりだと子供心に納得したのかもしれない。
いずれにしてもフレーズ以外は昔日のおぼろげな記憶でしかない。

残念ながら玉川小学校のわが学年は同窓会がまったく開催されていないのでもう30年以上もM先生にはお目にかかっていない。
不確かな記憶だが、お生まれは大正15年のはずだからご健在であれば87歳になっておられる。どのようにお歳を召されただろうか。
当時39歳~40歳だったM先生。
教師として経験も積まれ、充実されていた時期の赴任校だったかもしれない。
かように出来の悪い童をなんとも辛抱強く、ご指導下った。有難い事だ。
遠い記憶の中のM先生は、優しいまなざしと笑顔でいつも輝いている。
 
         

出来の悪い童もとうにあの頃の先生の齢を超えた。
M先生の愛情の深さをこの年齢になってやっと理解できるような愚かなわが身である。

リンドウは小生にとってはM先生が重なる花だ。
懐かしくもあり、ちょっぴり寂しさを感じさせる花でもある。


昭和39年4月入学式あとで満開の桜の校庭で記念撮影
最後列右端がM先生
(ちなみに同左端がA校長)