2022年2月27日日曜日

ミツバチ捕獲シーズンに向けた準備 ~ 巣箱の清掃

昨年捕獲したニホンミツバチの群れは延べ30ほどで、越冬できた群れはその1/3の10群れ。これでも例年になくよい歩留まり率だ。ひどい年には正月明けに最後の群れが消滅して手元には営巣する巣箱がゼロという年もあった。ここ数年は大体5~6群れが越冬というのが成績である。

春に巣作りを始め、真夏の酷暑を乗り越え、秋口のスズメバチの猛攻もしのいできたというのに、個体数の少ない弱小群れは冬の寒さに耐えられずに死滅するのが多い。生き残っている群れをよく観察してみると、真冬は皆で寄り添いながら、何枚も作られている巣板の真ん中あたりの隙間に固まって保温維持活動をしている。なので生き延びるためには、秋までに巣板に十分な大きさ・広さ、および食料としての貯めた蜜がないと、群れは保温維持ができないし生き延びられない。晩秋の巣箱点検・見回り時には巣の状態を確認して巣が作られていない重箱を外して余計な空間を減らすなどしているのだが、やはり彼らのような自然界に生きる小昆虫が集団で厳しい寒さを乗り越えていくのは難しいようだ。

強い集団(種の存続・子孫繁栄のための各種能力が優れたDNAをもつ群れ)は生き延びれるだけのしかるべき貯蜜量もあり巣もちゃんと大きさを確保できている。相対的に弱い群れは淘汰されて消滅する。これも自然界の摂理の一つであって厳しい現実だ。ここで何とかしてやりたいと思うのも人情。一部には人間があれこれと対策を講じてやる向きもあるようだが、やはりそれは違うと思う。ことニホンミツバチの養蜂に当たっては(こだわる哲学として)自然に任せるのが一番であると考えている。人間の都合通りにはいかないのがむしろ当たり前であると知るべきだ。

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4月から6月がニホンミツバチの分蜂のピーク時期で、ほぼこの2カ月の捕獲成績で1年の楽しみ具合が決まる。ニホンミツバチは捕獲できた(群れが巣箱に入ってくれて塊りを作り出した状態)と喜んでも、いとも簡単に群れが逃げ去ることがしばしばあるので「ぬか喜び」に終わることがよくある。ニホンミツバチの気持ちというか考えというかがいまだに理解できない。

なんやかやのドタバタ・一喜一憂を繰り返し初夏を迎え、ほぼ捕獲・逃去が一段落し営巣巣箱数が安定する(とはいえ少数ながら逃げたり捕まえたりの騒ぎは続くので楽しい)。

ここ数日前から、4月から始まる分蜂シーズンを前に、設置済みの空巣箱の清掃をして回っている。一度も蜂が入らず全くの空の巣箱もあるが、ミツバチが一旦入って巣作りしていなくなったものもある。蜜が少したまった巣が残っている巣箱もある。中にはよりによって巣箱の中にスズメバチが巣を作っているのもあったりする。スズメバチが巣箱の中に侵入するだけでもミツバチにとっては一大事であり、直ちに逃げ去るわけだ。

ここまで巣を大きく作るのにはひと月ほどかかっているはずだ
さあこれから冬に向かって蜜を貯めていくぞというときに
スズメバチの侵入があって逃げ去ったようだ
茶色いスズメバチの巣が作られ始まっている

スズメバチもここまで作ったところでいなくなったようだ

蓋を開けてスズメバチの作りかけの巣があったりするとさすがにびっくりする。入り口にはスズメバチが通れない網目の金網を張っているのだが、隙間を見つけては広げて侵入してきている。

ミツバチたちもさぞや怖かったろうし、自身の作りかけ・貯めかけの蜜を置いて出てゆく無念さは容易に想像できる。

「防いでやれなくてごめんな」と詫びて小さな巣を取り去り、内部をガストーチで焼いて清掃する。暖かくなってきた日差しを背中に浴びつつ、順番に巣箱巡りを続ける。

3月中旬までにすべての作業を終えて、じっと分蜂の時を待つ。


2022年2月22日火曜日

スギっ葉

まだまだ真っ白に霜が降りて凍てついた寒い朝が多い2月下旬。ビニールハウス内の薪ストーブを毎日焚いている。今日も大活躍だ。しばし暖をとり(・・沸かした湯でステッイクタイプのインスタントコーヒーを飲んでから)、気合を入れてから冷えた外気の中に出る。これがこのところのルーティン。やっと午前の仕事が始まる。

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薪ストーブで薪を燃やすには、薪が燃えるだけ十分に火力を上げる必要がある。火力を上げるにあたっては燃やすものの順番というものがある。いきなり薪に火をつけても燃えないのはご承知の通りだろう。一般的には、まず最初に紙類に着火し、次に小枝、やや太い小枝。十分に炎が上がったら薪、という順番だろうか。

我が家では紙類や小枝の類はほとんど使わず、「スギっ葉(=杉っ葉)」を大量にストーブ内に入れて、その上に「乾燥した竹を割ったもの(割り竹)」をこれまた大量に乗せて着火する。これらが勢いよく燃えて、火が十分に回ってから薪を投入している。この「スギっ葉」と「乾燥した割り竹」の組合せは、実に効率良くてすぐに火力が上がる。

スギの枯れた葉も、乾燥した竹も身近で容易に手に入る。これらを集める・燃やすことはスギ林や竹林の環境整備にもつながっているので一石二鳥だ。

竹林で斜めになって倒れている枯れ竹が多くあるのは荒れた竹林の特徴で、視覚的にも見苦しいし切なく悲しくなる。倒れたこれらの竹を引き出すだけでも受ける印象はぐっと良くなり、しかも燃料として役立つのだから素晴らしい。思わず作業に力が入る。

昭和40年代までは、多くの家では風呂も煮炊きも、熱源は薪だったはずだ。カマドで火を起こすのにも「スギっ葉」は必需品だったろう。里山の杉林は屋敷の防風林も兼ねた燃料の供給場所でもあったのだった。(いまの快適で便利な世の中と比べれば、当時は不便だし貧しい時代ではあったのだろうが)豊かで無駄のない循環型の生活サイクルである。いまの50代以上の人はおそらくカマド炊きの経験はきっとあるに違いないから、この「スギっ葉」という言葉もきっとノスタルジーを誘うことであろう。

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スギ林の中に入り、「スギっ葉」を拾い集めてきた。

この作業はしばらく晴天が続いて落ちている杉の葉が十分に乾燥しているときに行う必要がある。今日も10分ほどで段ボール箱二箱分を集めた。これで2週間分ほどの少量だろうか。

身も心も温まる『スギっ葉』拾いである。


スギっ葉



2022年2月14日月曜日

風は冷たくとも陽射しは確実に力強く

毎週のように南岸低気圧の通過で雪が舞う。日陰では前回降った雪が融け切らないうちにまたの降雪だ。まだまだ寒い2月ではある。

ではあるのだが足元を注意深く見ると、凍てついた地面からスイセンの目がぞっくりと頭を出してきているのが見つけられる。中にはすでに花が咲こうとしているのもある。地中とは言えだいぶ寒い(冷たい)はずだが、どのようなセンサーがあって芽を出したり花を付けたりするスイッチが入るのだろうか。土中温度の変化しか思いつかない。少しずつ強くなってきた太陽光が地面を照射して土中温度が徐々に上がってきて、閾値をこえたら・・・くらいしか考えつかないが、彼らの備えている季節センサーはブレることが無く、毎年きちんとこの時期になるとこのように芽を揃える。素晴らしいの一言だ。春が確実に近づいているのを実感する。

四季折々の変化に合わせて発芽したり花をつけたり実を結んだり、枯れたり。自然のサイクルは単純な繰り返しだが、人知の及ばない植物の持つ神秘的な領域だ。間もなく梅や桃、来月には桜が咲くが、現在の技術をもってしても人為的にこれらの花を作り出すことはできない。せいぜい出来るのは季節を誤魔化すことで樹木に季節を勘違いさせて花を咲かせることくらいだ。

ネコヤナギも開花

梅も一輪

その流れでいうと、人間の都合で旬の季節を無視して育てられる野菜(冬場のキュウリ・トマトなど)はちょっとかわいそうである。さらについでに言うと、熱い寒いの自然影響を遮断して生産する現代農業は、本来の露地栽培では不必要な莫大なエネルギーを投入して、自然に負荷を掛けている。昔から太陽と水と土でシンプルに続けられてきた農業の姿とはだいぶ遠ざかってきている。だんだんと本来の自然の姿から遠ざかることは農業の原点からも遠ざかるということ。どこかに無理を強いていることではないのかな。農業本来の姿が消費者から見えなくなってきているのではないかな。消費の都市部生活。そのニーズに合わせて無理する生産農家。それって果たして全体として幸せなことなんだろうか。

人知を超えた何かしらの大きな意志に従って人目に付くこともなくただただ芽を出し、花を付けるスイセン。それを見ながら、シンプルに「限りある人生、はたして幸せってなんだろ?」って思う。

(甘っちょろい空想的理想論で観念的な話であることは百も承知。だが、普段からこのようなことを考えているかどうかで日々の行動のありようもまた変わってくると思っているのだが)

2022年2月11日金曜日

ソーラーLEDライト 点灯す

今日は日中たっぷり日光が当たったので、十分にソーラー発電できて蓄電出来たようだ。暗闇が迫ってきてソーラーLEDライトはこの写真のように点灯し、光が浮かび上がってきた。光などがあろうはずがない場所に、見慣れない光があるとやたら新鮮な感じがする。

※本当は真っ暗闇に浮かび上がるこのLEDライトを撮影したかったのだが、iPhoneのカメラ機能操作の熟練度が足りず、どうやってもうまく撮れなかっので、夕闇迫った時分のこの状態の写真となった。

陽が落ちるとLEDが光りはじめ
遠くからでも8個の光が確認できる

確かに弱い光ではあるが、ずっと離れた場所の県道からも水郡線の線路からも、そして玉川村駅のホーム・歩道橋からもはっきりと見える。これからきっと人々の目を楽しませてくれるに違いない。なかなか良いものだ(・・・と、ひとりごち)。

機会を見ながら(費用も掛かることだし少しずつ)、光の数を増やしていきたいと思う。

いつか山頂へのジグザグの道沿いにLED光が並び、天へ続く光の道のように見える日が来る。あたかも天上の星々が山肌に零れ落ちたようになる。・・・素晴らしいなあ(と妄想している)。

2022年2月10日木曜日

山にソーラーLEDライト

庭や玄関脇などにソーラー式のLEDライトを設置しているお宅をよく目にする。それ自体は小さな輝きだが、夜間に灯りが全くないような場所にあると、(たとえその周辺がぼんやりとしか見えないとしても)雰囲気として闇の中に灯る仄かなライティングは安心感を与えてくれる。

クリスマスシーズンだけ設置される大掛かりでピカピカ点滅するイルミネーションと異なり、ほぼ「常設の常夜灯」的なものが多い。

先日、手頃なものを見つけたので(試しに8個)購入してみた。これは我が家の真っ暗な庭を照らすためのものではない。キレイに整備した山肌の登山用小路沿いに並べて設置するためのもの。遠くからどんなふうに灯りが見えるのかを確認してみたくて少数だが購入した次第。さっそく設置してみた。


夜には漆黒の暗闇となっている山の尾根部分だ。あまり強い明るさは期待できないソーラー式LEDライトであるが『なんとなく山の上のほうに灯りのようなものが並んでいる』というのが分かるのであれば十分。せっかくキここまでレイなった山肌だ、何かもうひとつインパクトが欲しい。ちょうど水郡線の列車や県道を走る車からよく見える位置にある。山容をデコレートしたらちょっと面白いかもという遊び心だ。
まずは赤丸部分に試しに設置した
良いようならばつづら折りの道沿いに数多く並べたい

数多く設置できたら『イノシシ除け』にも役立つかもしれない。

(参考Youtube)山頂からの水郡線の眺め


2022年2月8日火曜日

干し芋は高級品に・・

茨城県が誇る特産品『干し芋』。昔はかなりローカルで地味な食品だったが近年では各地のスーパーでよく見かけるようになった。それも小綺麗にパックされた上品な食べ物として売られている。そんな姿を見ると庶民のための気軽で安価な食べ物からはだんだんと遠ざかっていっているような気がしてちょっと寂しくも感じる。世の中は百円ショップのような安いことが売りの店が皆に受け入れられ、なんでもかんでも廉価なことを歓迎する風潮がある。だが干し芋がこのような『製品』となるまでにかかっている手間と苦労を知る身としては、十分に手間と品質に叶った価格帯であり、一方ではこれでよいとも思う。

某スーパーで国産品は・・・
150gで645円=4.3円/g
80gで537円=6.7円/g
200gで861円=4.3円/g

・・昔は我が家でも自家消費分のためのものを作っていたのを覚えている。たしか干し芋用のサツマイモは(皮も中身も)白い品種のイモだったはずだ。当時としてはそれが最も干し芋に適し推奨されていた品種であったのだろう。中身が黄色い当時のサツマイモ品種ではねっとり感が不足して干し芋に供することができなかったに違いない。この中身が黄色い一般的なものも我が家では栽培していたが、今振り返ると最近主流となっているスイーツに近いような甘くて見た目も良い品種とはまったく別物と感じる。この黄色い品種でもかように美味な干し芋ができるようになったのであるから、この50年ほどの間のサツマイモ品種改良は目を見張るものがある。
一方、隣に並ぶ中国産のものは
180gで321円=1.78円/g

干し芋もあまりに高級化してしまうと大衆の支持を失う懸念もある。しょせん「干した芋」であり、蒸かす・スライスする・干す、だけのサツマイモだ。ブランド化は大切だとしてもあまりに行き過ぎると、実態を伴わないバブルになるやも知れぬ。

干し芋づくりは手作業に頼る部分が多い。天気を気にしながら一枚一枚ひっくり返す。乾き具合が程よくなるまで気が抜けない日々だ。製造しているのはおそらくは典型粋な家内制手工業、家族経営が大半であろう。機械化とてままならぬはず。手間がかかるぶん値段はある程度高くならざるを得まい。

ということで、出来上がった黄金色の一枚一枚には茨城のたっぷりの太陽の光と生産者の思いが凝縮されている。ココロして口にしたいものだ。

毎年箱で購入している干し芋はひたちなか市産だ
いまちょうど良い具合に白く粉が吹いている


2022年2月4日金曜日

くるみの百花蜜漬け

 今年の『くるみ&百花蜜』が出来上がり、販売店さんにお配りしてきた。

例年と内容物には変わりはないが、バランスを少し変えてローストしたクルミをギッシリと詰め込んだ。クルミはかなり食べ応えがあるのではないかと思う。心地よい歯触り・食感を楽しんでいただければと思う。幸いにクルミの収穫が多かったこともあり製造個数も多めにできたのが嬉しい。


これは個人的な感想だが、漬け込んでしばらく時間が経ってクルミとはちみつが馴染んだ頃のほうか美味しいような気がする。瓶詰めしたばかりもそれはそれで美味しいのだが、ローストクルミとはちみつがそれぞれ別個の主張をしていて、1+1=2なのだ。しかしながら最低でもひと月くらい経過したものは2.5とか3.5とかになり何かしら熟成したように感じられ、別の旨味が加わる気がするから不思議だ。蜜の色も少しだけ濃くなる。クルミ自体にもはちみつがジンワリと染み込んでいるのではないかな。

ひとそれぞれの好みがあろうから一概には言えぬが、より深い味わいを賞味したいと思えばしばらく手元に置いておいてみてはどうだろうか。漬け込んだばかりのフレッシュな味からの微妙な変化を楽しめるかと。

ただ、その変化を味わうまえに美味しくて全量食べ切ってしまうかもしれない。(その時はまた買い求めて欲しい。『くるみ&百花蜜』はこの一月に製造したものが全てで、販売店さんにはそれらを逐次卸してゆくのであとに並ぶものほど時間が経過しているものになる)

疲れた脳にも、落ち込んで沈んだ心にも、甘くて美味しいものは幸せな刺激を与えてくれる。