2012年10月30日火曜日

茶花

『茶花』と書いて、『ちゃばな』と訓読みするとお茶の花のことであり、『ちゃか』と読むと、茶室に飾る花のこと、になる。
日本語が難しいと言われるのはこんなところにある。

ちょうどお茶の花が真っ盛りだ。

いまもお茶の木は畑の隅に境界の意味合い程度に並んで植えてあるが、ほったらかし状態で、ときどき丸坊主に刈り込みしている程度だ。
そんな注目度も低下したお茶の木だが、毎年ちゃんと花と実を付ける。

茶の花にもミツバチたちは群がり、一生懸命に蜜を花粉を集めている。
花の数が少なくなった季節には貴重な存在だろう。


昔のように茶摘みをするという作業をしなくなって久しい。
20年ほど前までは、田植えが終わってしばらくしてから茶摘みをしていた(・・と記憶している)。
当時も自宅では製茶は無理なので業者に頼んではいたが、自宅収穫したお茶を飲むというのは、今や夢のような贅沢だろう。

お茶自体はまだまだ生活に必要不可欠なものではあるが、一世代前の人たちほどお茶を啜る習慣がなくなったように思う。
コーヒーや紅茶、健康飲料やらにとって代られた感がある。

あるいはお茶そのものであってもペットボトル入りのものが豊富に出回り、手軽でかつ廉価ときている。

便利は一般的には良いことだが、一方で忘れ去られる・捨てられる良き文化もある。

2012年10月27日土曜日

ひと足早いイチョウの紅葉 & 金スマ 『ポポー』

園内に一本のイチョウの木が植えてある。
樹高は3メートルほどの若い木だ。

このイチョウの木は、この時期に不思議な色づき方をする。
全体が均一に黄色く色づくのではなく、まず上半分が黄色くなりやがて落葉する。
その後に下半分が色づいてゆく。
ちょうど今がその上半分の黄色い時期だ。
他のイチョウの紅葉時期よりはかなり早く色づいて、目を楽しませてくれる。
このイチョウの木からこの里の紅葉が始まる

何かしら特別な処置(異なる品種の木を接ぎ木したとか)などはではない。
植えられているのも特別変わった場所でもない。
理由は分からない。
全くもって不思議。。

         

昨夜(10/26)の金スマひとり農業のスペシャルで、『ポポー』の実が紹介されていた。
      Wikipedia ==> ポポー

我が家にもこの木が植えてあり、今年は果実をいくつも収穫できた。
この実は足が速く、すぐに傷んでしまう。
収穫して、ごく短期間にしか食べられないもののようだ。

番組では、『バナナと柿の間』のような味と食したメンバーが表現していたが、ワタクシ個人的には、『かなり濃厚なマンゴー味のバナナ』だろうと思う。
量的には多くは食べられないシロモノだ(以上、個人的感想)。

熱帯果実のような濃厚な芳香とねっとりした食感。
かなり癖があるので、好き嫌いが分かれる果物だと思う。
どこにでもあるような果樹ではないので、番組で紹介されたのにはちょっと驚いた。

こんな珍しいものを遊び感覚で植えられ、楽しめるのもこの広い土地があってこそ。

里の秋は豊饒である。

2012年10月23日火曜日

フユザクラ

毎年春と秋の2回、きっちりと花を付ける桜がある。
『フユザクラ(冬桜)』という。
この桜の木が広い屋敷周りの片隅に植えてある。
まだ樹齢が若く、枝振りも貧弱なために、付ける花の数は少ない。
疎であり、一見すると寂しい感じのする桜花ではあるが、妙に秋の景色に馴染んでいる。

去年のブログにもこの花のことを記したが、この時は『ジュウガツザクラ』としてしまった。
     2011/11/07ブログ


ジュウガツザクラは花が八重だが、フユザクラは一重であるという。
  参考HP==> 植物の生態散歩
我が家の場合、一重であることからこれは『フユザクラ』に違いないと思う。
まったく植物の分類というのは難しいものである。

         

今年もまた晩秋に向かうこの時期に花をつけている。
花見などとはとても言えないが、近くを過ぎるごとにこの清楚な花を愛でている。
お気に入りの樹である。
蕾は濃いピンク
花びらは薄いピンクだ

身近にこのような野の花が当たり前にあるというのは、とてもRichでCoolな生活ではないかな。

単に桜の花がひっそりと咲いているということ。
そんな何気ないこと、当たり前のことが当たり前に繰り返され、日々積み重ねられてゆくということが、なにかとても有難いことのように思える。

2012年10月22日月曜日

2012 常陸秋そば 刈取り

明日(10/23)は天気が崩れるという予報を受け、蕎麦の刈取りを急いだ。

まだ一部に白いままの実があるため、あと少し待とうかと思案していた。
いずれにしても、ここ2〜3日のうちに片付けようと思っていた矢先だったので、ちょうど良いきっかけになった。
8月10日に播種してから、73日目の収穫である。
あと数日でこの白い粒も黒く色付くはずだが
全体の7割以上は黒くなっているので刈り取ることに。
         

今年、蕎麦を作付けした畑は屋敷の近く。
刈り取ってそのまま敷地内に立つ蔵の軒下に並べ、自然乾燥させることにした。

一般的には、蕎麦畑が広かったり場所が建物からは遠かったりする場合が多いだろう。
なので畑に杭を打ち棒を渡して、棒に立てかけて畑で乾燥させるのが普通だ。
金砂郷北部地区の山の斜面に多い手刈りしている蕎麦畑などではよく見られる光景だ。

だが、今回は蕎麦畑のすぐ横に建物がある。これを利用しない手は無い。
これも屋敷周りに田畑を有する農家のメリットを活かした作業効率化に違いない。

ノコギリ状の刃の付いた専用の鎌を使い刈り取る作業は、動作的には稲刈りと同じである。
だが、蕎麦は稲の茎のように真っ直ぐ上を向いているようなものではない。
特に倒れている茎は、互いに複雑に絡みあっていて容易に引寄せられないときている。

稲は穂の位置・茎の太さ長さもほぼ均質だが、蕎麦は枝葉も複雑に出ているし、茎の長さ・太さが全くバラバラである。
そのうえ、大層茎は脆いためすぐに折れる。

さらに実は容易にこぼれ落ちる。
かなり丁寧に刈り取り束ねているつもりでも、蕎麦の実は容赦なく畑に落ちる。
まあ仕方ないと、ある程度覚悟を決めて進めないと作業ははかどらない。
(大規模に蕎麦を栽培している場合、トラクターで収穫するのが一般的だが、落果率は結構高いのではないかと思う。あくまで推測だが。。)

天日乾燥するのも、稲束のように横に渡した棒に引っ掛けて干せると楽で良いのだろうが、茎同士が絡み合った蕎麦は容易に棒には掛からない。
そのため畑に杭を打ち横に渡した棒に、単に立て掛けるだけの乾燥方法が一般的なのだ。

蕎麦の手刈りと天日乾燥は、とにかく一筋縄には行かない手の掛かるシロモノなのである。
         

今年はたった2a弱の面積しか作らなかったのだが、刈取りから軒下への格納までほぼ半日掛かった。
だからといって、もっと早く終えたかったとか、大変だったなどとは思わない。
心地よい収穫の時間を楽しめたなぁ、という満足感だ。
刈取りが終わった蕎麦畑
作業が終わり軒下に並べられた蕎麦の束には、秋の西日が差していた。
ここにまで籾殻を焼く煙りと臭いが僅かだが漂ってきている。
実に穏やかで平和な一日、である。
蔵の軒下はいろいろな活用が出来る。
こうやってしばらくのあいだ、じっくりと天日による乾燥を待つ。
あくまで自然の時間の流れに任せている。
人間の都合に合わせると、どうしても無理・無駄が出るような気がしてならない。

2012年10月20日土曜日

籾殻燻炭(もみがらくんたん)づくり 

今年も稲作に関わる作業の一サイクルが終わった。
米の出荷やその前段階の籾摺り(稲籾から玄米にする行程)で長年取引している市内のU商店から、お願いしておいた籾殻が大量に運び込まれたてきた。

         

籾殻は焼いて炭にし(⇨焼いたものを燻炭(くんたん)と呼ぶ)、肥料とともに畑の土に混ぜると、水はけ・通気性・保肥性が良くなり、地力そのものが向上する。
燻炭。籾殻ひとつひとつが炭になっている。
肥料としての役目とともに、いわば土壌改良剤としての役目も発揮する。
籾が炭化することで微細な孔ができて土中で発酵を行う微生物が棲み易くなるようだ。

というとで、今年もまた専用の道具を使って『籾殻燻炭づくり』を始めた。
作業の期限などとくにない、秋から冬の作業だ。

この作業、一回に焼ける量がだいたい決まっている。
それに、キレイに炭になるまでに焼けるのに6時間が掛かる一日作業だ。
午前中に点火して、夕方に大量の水(普通の大きさのバケツで10杯以上掛ける必要がある。水掛けが不十分だと次の朝には真っ白い灰になっている。)をかけて消火。一晩冷ます。
次の日に、また新たな籾殻を焼く。同じことを延々繰り返す。

焼いている途中の管理はほとんど必要なく、他の農作業と平行してできる手間がかからない作業だ。
(⇨ ただ、消火ための大量の水掛けだけは多少の手間がかかる。だがすぐ側の溜池の水を汲んでくるだけなので水を運ぶ労働は僅かなものだ。このために溜池近くで燻炭づくり、という訳だ)

天気が悪かったり風が強かったりすると、この作業は出来ない。
自然に左右されるが、あまり齷齪(あくせく)はしない。
気長にできる時を待つ。

紅葉が終ったころ、このブログ表紙の写真の山から落ち葉を掻き集め、この燻炭と米ぬか、稲藁等を一緒に混ぜて踏み込み、堆肥(有機肥料)を作る予定でいる。
来春の夏野菜の植え付けの際に、この全くの有機肥料は大活躍する。

         

籾殻を焼く白い煙りが、真っ青な空と少しだけ色が変わってきた山々の緑をバックにして、ゆらりたなびく。
焼ける独特の匂いもまた周囲に広がる。
里山の穏やかな秋の風情である。
白い山が籾殻。これを少しずつ焼いてゆく
視覚的にも嗅覚的にも秋の風情だ
しばらく、こののんびりとした風景は続く。

2012年10月19日金曜日

キノコ・キノコ 

10月も半ばを過ぎ、空気がヒンヤリとしてきた。
大気は澄んで清々しい。
暑くもなく寒くもない、一年で一番野外での活動がし易い時季だ。

人によって、暑さ寒さにそれぞれ強い弱いはあっても、所詮生身の人間であるからにして、このような季節が最も生理的にも快適に決まっている。
どうやら、キノコのシイタケも同じのようだ。
ホダ木から、一斉に出始めた。

         

昨年から始めたキノコ栽培(の真似事)だ。
あの東日本大震災のすこし前、まだ寒い時分に原木に菌を打ち込んだ。
梅雨の頃まで、ホダ木に菌を蔓延させるための手元管理をしたのち、林の中やシイタケ小屋の中に並べた。
あれから2回の夏を経過。
ここのところの大気温の低下と雨により温度・湿度の条件が揃ったのであろう、一斉にシイタケが出てきた。まさに教科書通りだ。

軸も太く、ホダ木から剥がすのも力が要るくらい石突きはしっかりとしている。
傘の開き具合もちょうど良い、なんとも肉厚なシイタケだ。

煮て良し、焼いて良し、炒めて良し。
いろいろな食べ方があるが、ここはやはりシンプルに網焼きにして、マヨネーズを乗せポン酢をつけて熱いうちにガブリと食らいつくのが一番美味いのではないかと思う。
焼きすぎると水分とともに旨味が飛んでしまう(ような気がする)。

ヒダのあるほうを日光に当てて干したシイタケは栄養価(ビタミンD)が飛躍的に増えるうえに、旨味も増す(⇨うまみ成分グアニル酸が10倍近くも増)という。
 詳細 ⇨ シイタケその健康効果

         

生産者は採りたてのシイタケを味わえるという嬉しい特権が与えられている。
これもまた美味しさは格別。瑞々しくて香りも良い。

シイタケに含まれるレンチナンという成分は、抗がん剤として1985年に厚生省(当時)から認可を受けた歴っとした臨床薬で、傘が開き始める頃が一番含有率が高いということだ。

難しいことは差し置き、(クドいようだが)個人的には採りたてをシンプルに網焼きして、熱々のうちにマヨネーズ+ポン酢、これが最高だと信じて疑わないワタクシである。
ホダ木の蔭になっていて見過ごし、大きくなり過ぎたもの。
15センチある大型シイタケ
これはこれで食べ応えがある逸品である
傘はツヤツヤしてしっとりとしている
キクラゲも続々と生えてきている。
今までが高温すぎたり、乾燥し過ぎていたのであろう。
やっとまともな大きさのものを収穫できるようになった。

こちらのほうは洗ってすぐに天日干しし、カラカラにして保存している。
のちのちいろいろな料理に使ってみたい。
採りたてキクラゲ
プリプリした厚めの逸品だ

2012年10月17日水曜日

神嘗祭と新米

10月17日は神嘗祭(かんなめさい)である。
今でこそ一般的には関心が低い宮中祭祀であるが、戦前は国の祝日とされた重要な五穀豊穣の感謝祭の日である。

祭りのために新米で神酒を造り、御餅(おんもち)や御飯(おんいい)にし、伊勢神宮では海川山野の神饌とともに、由貴の大御饌(ゆきのおおみけ)として神に祭る。
天皇陛下は幣帛を奉るとともに、皇居の御田で作られた初穂の稲束を伊勢神宮に奉納される。

古来より稲には稲魂といって民族の生命源が宿るという信仰があり、穀霊の宿る稲そのものを神として崇め、神が新米を嘗(な)める=食べることによって米のイノチで神の威力が強く新しくなる、と信じられてきた。
神嘗祭では、すべてのものの代表として新米を神に供え、神々の大いなる恵に感謝するのである。

・・・・などと難解な講釈をしたが、要はお米を尊ぶ気持ちが稲作伝来のころからずっと続いているという事実であり、大自然のもたらしてくれる豊饒により命がつながれていることに素直に感謝する気持ちは、われわれの民族意識の中にしっかりと流れているということだろう。

         

昔ほどご飯を食べなくなったとはいえ、『新米を炊いた』という会話が10月になると交わされることが多いのではないか。

ある栄養学者はそのおいしさを次のように表現している。

『まず一口分を箸にのせ、口に運ぶとプンと飯の佳香を感じ、口に入れたとたん、温かく快い感じとともに、口唇や歯、舌に触れ、気持ちのよい軟らかさ、滑らかさがあり、噛むとプリプリと軽い弾力感を覚える。噛んでいるうちに唾液が混じってきて、はじめて粒状から粗粒に、ついで細かくくだけるが、格別粘る感じもなく、滑らかでサラサラしている。ほんの少し油っこいようなところもあるが、味がないのに何となくおいしいなと思いながら噛み続けているうちいつの間にか飲み下してしまい、やれやれといった軽い満足感を覚える』

なんとも匂いや食感までもが伝わってきて、口中に唾液が満たされそうな表現である。

ご飯の美味しさは、視覚、臭覚、味覚、触覚が総動員され、特に歯ごたえ、舌触り、温度という触覚が大きなウェイトを占めている。
なかでもやはり、新米はまた特別美味い。

旬の材料と新米の豊かな出逢いがある季節だ。
夕餉の食卓もにぎやかである。
新米の輝きは一年の苦労を忘れさせる

2012年10月16日火曜日

常陸秋そばフェスティバル2012の開催予定 正式発表

今年も新そばの季節がやってくる。
我が家の『常陸秋そば』もたくさんの実をつけ、成熟を待っている。
実が重たくなったこともあり傾いた茎が多い
花の白い部分はほとんどなくなり黒い粒が目立つ
実の様子を見ながら、刈り取りの時期を窺っている。
これから一カ月の間に、刈り取り→天日干し→脱穀と進む。
そして製粉、そして新そばを頂くという訳である。楽しみが待っている。

昨年は、石臼での手挽きに拘って試してやってみたが、とても大変な作業だった。
全量はとてもとても無理であったため結局挽き残してしまい、今年の種として活用したり、おすそ分けしたり、となった。
今年は製粉は専門のところへ依頼しようと思う。

         

お隣の常陸太田市金砂郷地区では、今年も『常陸秋そばフェスティバル2012』が開かれる。
10月15日に市のHPが更新になり正式に発表になった。
詳細はこちら⇒常陸太田市 観光・イベントのお知らせ
毎年参加しており、いろいろな蕎麦の味を楽しみ、蕎麦打ちの参考にしている。

毎年のことだがこのフェスティバルは大人気で、遠方から多くの人が車で押し寄せる。
去年は会場に向かう付近の道路がすべて大渋滞してマヒ状態であった。
車で遅い時間に現地に入ろうとした人々はウンザリであったことと思う。
われわれが会場を後にした正午少し前には既に2キロ以上の渋滞が発生していた。
2011/11/12ブログ

さて今年はどのような対策が打たれてどのような展開になるのであろうか。
われわれは近場の優位性で、開場前に早々現地入りし、混雑前に食べるものを食べて、昼ごろには早めに退去した。

去年、かの渋滞に懲りた方は、極力早め(公式の開場時間前のかなり前に。駐車はできる。)の現地入りをお勧めしたい。
昨年は、オープン時間前から食べさせてくれる店も中にはあったようだ。
大人気の目玉店・『達磨』は、われわれが到着した時点ですでに50人以上の待ち行列であった。
蕎麦打ちの神様・高橋名人の打つ『常陸秋そば』、ここだけはいつも特別だ。

2012年10月14日日曜日

第2回常陸大宮ふるさとB級グルメ選手権2012

第2回常陸大宮ふるさとB級グルメ選手権2012は・・・

優勝は『常陸大宮手打けんちんうどん味噌仕立て』だったようだ。
さっそくYoutubeに最後の結果発表・表彰式までの映像が投稿されている。
Youtubeの映像はこちら

(・・残念ながら・・)今年も会場へは行かなかった。足が向かなかった。

昨年優勝の『大宮チキンバンバン』やゲストの『厚木シロコロ・ホルモン』・『宇都宮餃子』には大行列ができたようだ。
めったにないこれらを食する機会を逸してしまったのが、少々悔しい。

今年の『けんちんうどん味噌仕立て』は、ぜひともレシピを大々的にオープンにして、市内のいろいろな店で食べられるようにしたらどうか、と思う。
でないと、せっかくの努力の甲斐もなく一発花火となり、Bにもなれず、CやらDで終わってしまう。

2012年10月13日土曜日

九里四里うまい十三里

今年も栗のシーズンが終わった。
他の果実類(スモモや柿)が不作であった中で、ずいぶんと楽しませてもらった。
これからはサツマイモ・サトイモなどの根菜が旬の時期である。
なぜか今年のサツマイモは皆このようなジャンボサイズになった。
見かけは大振りだが味はしっかりとしている。
 
         

特にサツマイモは、我が茨城県が作付け面積・収穫量ともに全国2位で、ダントツ1位の鹿児島県に続く立派なサツマイモ県である。
埼玉県はずっと下位なのであるが、『川越』のサツマイモはつとに有名である。

訳あって埼玉県川越市については、少々詳しい。
川越市は埼玉県南西部に位置する人口34万の都市で、池袋から北西に急行電車で30分ほどである。
複数の鉄道が都心へ接続しアクセスも良く、ベットタウンとして開発が進んできた。

古くから開けた土地で交通の要所でもあり、埼玉県の中心が県庁がおかれた浦和市や大宮市(=両市とも現さいたま市)にとって代わられるまで、ずっと県内では大きく賑わった中心的都市であった。
特に江戸時代には、川越城は江戸幕府の北の守りとして重要視されたため格式が高く、幕閣の老中クラスが多く城主となった(酒井忠勝・松平信綱・柳沢吉保など)。
そのため文化的にも経済的にも大きく発展し、一大地方都市となったのである。
かつて栄華を誇った頃の史跡・旧跡が旧市街地の随所に残っている。
小江戸とも呼ばれる所以である。
天海ゆかりの喜多院には江戸城から移築された『家光誕生の間』が現存している。
家康の遺骸を日光東照宮に運ぶ際に立ち寄って法要を営んだ『仙波東照宮』も見事な建築物だ。
そして、川越城下の中心地が『札の辻』という四つ角である。
周辺には多くの土蔵が建ち並び、時の鐘とともに観光スポットとなっている。
川越のイメージ写真の多くはこのあたりの風景だ。
なお、札の辻はお江戸日本橋からちょうど13里の距離である。

柳沢吉保が城主であった時分(1694年〜1704年)、近在の新田開発を積極的に進め農作物増産を図った。
とくに川越城の南3里ほどにある台地の開発では、後に三富新田(さんとめしんでん・現在の三芳町上富地区、所沢市の中富・下富地区)と呼ばれる地域を大規模開発し、現在でも短冊形に区割りされた整然とした農地が広がっている。
次の航空写真で見るとよくわかるはずだ。
GoogleMap==>所沢市中富
この短冊、たとえば上富では1戸の間口が40間(約72.7m)、奥行き375間(約681.8m)、面積5町歩(15,000坪=約49,500平方m)となっている。
とんでもない広さの農地が一戸に割り当てられたのである。
ここに農家を入営させ、農作物の増産を図ろうとした訳である。

ただ、この三富地区は川がなく水が得難い乾燥した土地で、作物を作るには大変な苦労があった。
長らくアワ・ヒエの類いしか穫れなかったが、1750年代に救荒作物として『サツマイモ』がもたらされ、盛んに作られるようになった。
文化年間(1804〜1814)になると、『川越いも』として江戸では大変な評判を呼ぶに至ったのである。

         

前置きが長くなったが、このサツマイモの話である。
川越はこのときよりサツマイモが特産品となったのである。

このころ江戸では『九里四里(くりより)うまい十三里』(9+4=13 栗より美味い・・)と、江戸と川越との距離をもじって、サツマイモの味の良さがうたわれた。
今で言うキャッチコピーだ。
こうしてサツマイモは別名『十三里』と称されることとなったのである。

このゴロ合わせ、安藤広重の描いた浮世絵『びくに橋雪中』にも登場している。
江戸の街中にはかなり広まったらしい『十三里』の呼び名である。
(ちなみに、びくに橋とは、現在の銀座一丁目あたりの京橋川に掛かっていた橋である)
江戸時代人のシャレだ。
右端の看板に『やき 十三里』とある。
ついでながら左の『山くじら』とはイノシシの肉である。
そして、10月13日はなんと『サツマイモの日』なのだそうである。
13日は十三里に掛けていることは言うまでもない。

十三里=サツマイモも確かに美味いが、栗も美味い。
この言い回し、栗に対して失礼だろうが、と思う。

2012年10月12日金曜日

第2回の常陸大宮ふるさとB級グルメ選手権 だが

昨年から始まった地元の『常陸大宮ふるさとB級グルメ選手権』が、今年も10月14日(日)に催される。
常陸大宮商工会 第2回常陸大宮ふるさと B級グルメ選手権

予報では天気も良いようだ。また賑わうのではないかと思う。
昨年は初回でもあり、ぜひ行ってみたかったが、生憎と都合が悪く行けなかった。
なかなか盛況だったようで、当日のそれもかなり早い時間にYoutubeにアップされた映像を見た。

昨年の優勝は『チキンバンバン』だったが、(残念なことに)まだそれを食する機会に巡り合っていない。
というか、わざわざ食べられる店を探して食べに行くという根気も熱意もないからに他ならない。

さて今年はどのようなB級グルメが選ばれるのであろうか。
いずれにしても、一時的に・一瞬騒がれてそのあとは鳴かず飛ばずであると、ローカルな所詮B級でしかない食べ物で終わり、人々の記憶からすぐに忘れ去られることとなる。
同種のイベントが各地で開催され、新しい食べ物がどんどん名乗りを上げてくる。
そういう意味では、なかなかこのような食べ物の業界は厳しい。

先輩格の『富士宮やきそば』やら『宇都宮餃子』やらは、すでに確固たるステータスを確立した感がある。
それなりに知名度向上に並々ならぬ関係者各位の弛まぬ努力が続けられているはずだ。
常陸大宮もそうあってほしい。

市制実行時に、埼玉の大宮市はすでにさいたま市となり、名称としてはなくなっていた。
そのため、『大宮市』を使う権利はあったはずが、わざわざ『常陸大宮市』と付けたのだ。
常陸国にある大宮市をアピールして、存在感を示したらいい。

もっと行政も情報発信に力を入れたらいいのにと思うが、どうやらほかに優先すべきことの方が多いのだろう、きっと。

2012年10月9日火曜日

寒露過ぎ

10月に入りめっきり涼しくなった。
今年の寒露である8日の常陸大宮市の最低気温は9℃(気象庁データ・上小瀬)だった。
いよいよ秋本番だ。
かつてのような暑さはなく、屋外で作業していても、とても楽で気持ち良い
巻雲(けんうん)は高い所にできる。
真っ青な空に繊細で透き通るような雲だ

写真の左側の樹はイチョウであるが、銀杏がまだ緑色の葉の間に黄色く色づいてびっしりと付いているのが確認できる。
すでに自然落果も始まっているため、道路に落ちた実が踏みつぶされる前に撤去するのがちょっとした毎日の作業となっている。
近いうちに葉っぱも大量に降り敷く頃となり、金色の絨毯を楽しめる。
黄色い粒々が見える。
不思議と銀杏は毎年豊作だ

2012年10月5日金曜日

田んぼの後片付けが終わってこそ

このひと月、稲刈りからオダ干し、脱穀と稲作の最終段階の作業が続いた。
それらの作業もいよいよ終盤で、どうにか一年を通した田んぼのメイン作業が終わる。

稲の天日干しはオダ掛けで行っているが、そのオダも脱穀が終わると田んぼの中では孤独な存在だ。
稲を引き上げた田んぼに取り残されたオダ
一日を争う作業ではないものの、いつまでも田んぼの中に放置するのも気が引ける(早く田んぼ作業にケリを付けたいという気持ちが強い)し、オダ足が水分の多い土中に埋まっていることもあり腐食を最小限にする意味合いもある。
田んぼから早々に引き抜き片付ける作業が終わって、やっと実質的な田んぼ・現場の作業が終わる、ということだ。

おそらくは一般的には、稲作というと田植えと稲刈りが視覚的にも最も農業のイメージであって、体力が掛かっているような印象が強いだろう。
だが、この2つの作業自体は、稲作の年間作業の総投下労働力ベースから見るとたいし比重ではない(短期間に集中するという意味では重労働ではある)。
むしろ、田植えが出来る状態にするまで田んぼを作る作業(田起こし・代かきなど)や、田植えしたあとの管理(周囲の草刈り・水の管理)、稲刈り前後の諸作業(オダ掛けの準備・片付けなど)が、実に煩雑であって時間もかかり大変である。

稲刈り・脱穀後の片付け作業は単純な作業だが根気がいる作業だ。
でも楽しい。
運ぶ棹の先に赤とんぼが止まっては離れ、また止まる。戯れているようだ。
殿様カエルやバッタが足下を飛び跳ねる。踏みつけないようにと気を使う。
カマキリが棹に卵を産みつけている姿も見つける。そうか彼らの繁殖の時期か。。
いろいろな生き物とともに秋の田に遊ぶ。

澄んだ空の下、頬に心地よい湿度の低い風を頬に受けながら、ノンビリとこれらの片付けを行う。
秋空は空気の透明度が格段に違う。見上げると絹雲が美しい。
実に気持ちがいい野外の作業である。
半日ほどかかったが、無事終了。
片付けが終わった田んぼは、静かに田植えに向けた作業が始まる春先まで静かに眠りにつく。
広々とした田んぼに戻る
実は、オダの脚部分は小屋に格納する前に乾燥させるために集めて立てかけてしばらく干す。乾燥した後、不良品を選別しつつ小屋へ格納する。
こうやって片付けてが、本当の終わりなのだが・・。
脚を集めて立てかけ、ピラミッド状にする。
         

果樹園の隅のヒガンバナが真っ盛りだ。
まだまだ緑が支配している里山の中では、ひと際目立つ『赤い色』だ。
とにかく際立つ赤色だ。
ふと見ると隣のイチョウは一部の葉が黄色く色付き始まっている。
10月、秋なんですね、もう。

2012年10月2日火曜日

スズメバチ、大量溺死ス

ミツバチの巣を襲うスズメバチが飛びかう季節である。
先月、そのスズメバチ対策としてペットボトルで捕獲器を作り、カルピスを入れて巣箱近くに吊り下げた。
2012/09/16 ブログ

あれから半月経過し、ペットボトル内の水面が蛾やススメバチの死骸で一杯になったため掃除することにした。
中味を出すと、蛾・カエル・スズメバチの死骸が出るわ出るわ・・・。驚いた。
カエルはどうにか形が確認可能だったが、蛾は個体数を確認できないほど多数で(かつ原形を留めないほど腐敗が進んだ状態で)あった。
ススメバチは驚く程その姿形を留めていて、個体数を確認できた。
その数、26匹。
こうやってススメバチが揃うと圧巻だ
一番大きなススメバチの死骸
ほぼ一日に2匹のペースでキャッチした計算だ。
何処か近くに巣があるのだろう。

内部を洗浄した後、改めて設置した。
中味をカルピスに替えて、『日本酒』+  『酢』の組み合わせとしてみた。
酢と日本酒の混じった臭いは
たしかに昆虫を引寄せるような気がする
ネットで調べるとこの組み合わせのほうが多いようなので試してみることにした。
すると、設置してほんの一分もしないうちに、大型のススメバチが目の前で飛び込んできて、あっけなく溺死してしまった。
カルピスよりも息絶えるまでの時間は格段に短い。
酢のパワーだろう。
すぐに飛び込んできたのが、偶然たまたまなのか、この日本酒と酢の組み合わせの妙なのかは分からないが、このペットボトル方式でのススメバチ捕獲は廉価で確実な方法だと思い知った瞬間だった。
この酢+日本酒の液体にひとたび浸かると、
どうやら空中に飛び上がる気力は無くなるようで、
すぐに動かなくなってしまった。
カルピスの場合は、何度も水中から飛び上がり、
脱出を試みていたのだから、差は歴然だ。
別にミツバチ対策としてではなくとも、ススメバチが付近を飛んでいるようであれば、設置してみるのも一考かもしれない。

2012年10月1日月曜日

台風一過

台風17号は強い勢力のまま東海地方に上陸し北上、夜中に関東を暴風雨に巻き込み、太平洋側に抜けた。
幸いに我が家では農産物を含め被害は無く、無事やり過ごせた。
被害と言ったら、差些細ではあるがJR玉川村駅前に設置してある無人野菜販売所のオーニング(日よけシート)が破れて壊れた程度。
テント生地が破けてひさし部分が壊れて落ちてしまった。
早速、補修し再設置した。
まだ田んぼに干してある脱穀待ちの稲のオダも倒れずに済んだ。
やれやれである。

一方、この台風の強い風で大量の栗が落ちた。
朝から拾い集めカゴが一杯になり途中で諦めたが、短時間のうちに10kgほどは拾い集められただろうか。
拾っても拾ってもあちこちに散らばっている
さっそく無人野菜販売所(オーニング補修・再設置後)に並べた。
さっそくご近所の方が集まり、買い求めてくれた
初物なので愉しみという方もいれば、東京の子供に送ってやるという方も。
みなさまのそれぞれの幸せに、ほんの少しだがお役に立っているようだ。