(Wikipediaより)
ほとんどがア(a)の言葉で構成され、口を開き放した状態になる。
早口言葉のようで、なんとまあ言いにくい、わかりにくい名称をつけたものかと思う。
きっとこれが都会的でオシャレな街の語感・センスというものなのだろう。
TBSテレビの本丸である赤坂。その赤坂サカスに行って来た。
東京メトロ千代田線の赤坂駅を降り改札を抜けると、サカスだ |
入り口にあるプレート ひとり農業の新米ブースの案内が貼ってある |
高層ビルばかりで見上げていると首と肩が凝る。
緊張してしまう。
聳え立つTBS放送センター |
昨日(10/28)放映の金スマでも紹介されたとおり、そのブースで渡辺氏の栽培した新米の試食頒布があるというので、(新米が試食したい訳ではないのだが)ミーハーと思われるが行ってみることにした。
ひとり農業米は12時からの頒布だ |
赤坂サカスに到着したのが10時過ぎ。
金スマひとり農業ブース前では(トレードマークになっているとおり、帽子を逆にかぶり、作業着姿で)渡辺ヘルムート直道氏のビデオ撮りが行われていた。
「農家の皆さん、おいしいお米をありがとうございます」 という台詞を何回も繰り返しさせられていた |
某炊飯器メーカーの製品を手にして写真撮影 「もっと笑顔でお願いします!」という注文が何度も飛んでいた |
心なしか女性が多いようだ。
携帯電話やデジカメで撮影する人は実に多い。
当たり前だが、渡辺氏は有名人だ。
何度も繰り返し同じポーズやら、台詞を繰り返させられている。
渡辺氏はもともとこの業界の人である。さすがに嫌な顔ひとつ見せずに応じている。
常陸大宮のひとり農業現場においても、同じような光景が毎度繰り広げられているのだろうと思う。
やらされ感もきっと有るに違いない。
やれやれ、ご苦労様なことだ。
このような舞台裏を見て思うのは、演出は大事であるものの、過ぎるとやらせとなり、興味は失われる。塩梅が難しいところだ。
ただ、渡辺氏が身体を張ってやっていることは、局側の意思による演出はあるとしても間違いなく重労働だ。生半可な体力では続かない。
ひとり農業ブースと言っても、ご覧の通りの新米ブースで試食のおにぎりを配る窓口、渡辺氏の活動を紹介するパネル数枚が掲示されている右の僅かなスペース、いままで放送された番組内容を短く編集して流している脇のスクリーンのみだった。
せっかくの機会とスペースである。
もっとPRするパンフ等を揃えておいても良いかったのではなかったか。
撮影の合間に、短時間ではあったが渡辺氏に挨拶できる機会を持てたのは幸いであった。
11時過ぎ、この窓口でラップに包んだ炊きたてご飯の頒布(福島・喜多方米)が始まった。
残念ながら12時から頒布予定のひとり農業米までは滞在できなかったため、渡辺氏の生産した新米は食せていない。
すぐに行列が発生 |
ラップに包まれた新米のおにぎり。温かい。 後ろは升に入った各地の精米された新米 |
この金スマブースの前の広場では、サカスマルシェが開かれていて(むしろこちらがメインイベントである)、幾つものテントが並び各地の産直品が販売されていた。
東北を中心とした各地から出店されている |
大子町からの出店にも多数のお客さまが集まっている |
TBSという巨大マスメディアが主導する「ひとり農業」を、仕事として続けるのはさぞ大変であろうと思う。
自分の意志の反映を含めて、自由や裁量があるようにみえて、おそらくは無いに違いない。
一種のサラリーマン的なものかもしれないと思う。
そして、所詮バラエティーといってしまえばそれまでだが、テレビ局の意思で踊らされるタレントという感じがしてしまう。
撮影現場で何十人ものスタッフに囲まれ、指示され、動き回る渡辺氏を遠くから眺めつつ、そんなこんな、あれこれを考えてしまった。
視聴者から見えないバックヤードの事情はともかく、渡辺氏の「農業」はまぎれもない生産活動としての農業であり、苦労することの意義を正しく伝えている番組である。
このように表現すると失礼かもしれないが、農業にとっては良い広告塔である。
渡辺氏も常陸大宮市での生活は4年目になる。
かつてディレクターとして闊歩したであろうこの都心のビル街より、いまや常陸大宮市内の山々の風景の方が心落ち着くのではあるまいか。
スーツよりも作業着。
パソコン・スマホよりもトラクター・鍬・鎌。
イタリアン・パスタ料理よりもマイタケの炭火炙り焼きと自家栽培手打ち蕎麦。
スーパーで買うオシャレ果物よりも裏山で穫る柿、栗、胡桃。
スポーツジム通いより野良仕事。
人間として生存して行くための力は、都会生活より田舎生活の方が間違いなく鍛えられる。
かく言うワタシは、別に都会が嫌いなわけではないし、都会忌避をしているのでもない。
ではないが、やっぱり常陸大宮市のような地方小都市での田舎生活が断然いいのである。
その田舎暮らしをしているとなかなか気付かないであるが、のびのびと人間らしく生活できる場所なのだ。
都会暮らしをしている方で、そのように理解していて、田舎に住みたいと願いつつなかなか実際には(現実的な問題が多く)実行に移せないでおられる方も多いことだろう。
だからワタシなどは本当に恵まれているのだと思う。
確かに便利で刺激的でオシャレな大都会ではある。
が、いまさら住みたいと思わない。住めない、無理だ。
我が先祖から引き継いだDNAにはそう刷り込まれているらしい。
赤坂から帰りの地下鉄車内で、窓ガラスに写った自分の疲れた顔を見ながら、つくづくそう思った。
都会の雰囲気に疲れつつ、サカスマルシェを後にした |
サカスから赤坂駅に降りる光る階段 ここ赤坂には似合っても、やはり茨城・玉川村駅にはいらない |
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