2011年10月14日金曜日

里山の秋は豊穣である

今年もクリのシーズンが終わろうとしている。
わがファームのクリは、例年より実の付き方が大変良かったのではないかと思う。
夏のあの暑さが影響しているのかもしれない。要は当たり年だったのである。

敷地内に何本のクリがあるのか正確な数は知らないが、実を拾っている木だけでも10本はある。
早生から始まり、この一ヶ月膨大な量を収穫することができた。

         

そのクリの木も一本一本に個性というか特性があって面白い。
落果する時期もさることながら、実の大きさ、虫の付き易さ、味覚がそれぞれの木ごとで微妙に異なる。

木の大きさと実の大きさは相関が無い。
3〜4本ある樹齢100年以上の老木は、幹も太く大きいが必ずしも大きな実がなるものではない。
当たり前であるが、この老木も昔は小さかったのだし、樹の伸長につれて実が大きくなるということでもない。
同様に小振りの木だからといってその実が小振りであることもない。

味については、個人的な好き嫌いや味覚のセンサーによるものが大きいだろうが、ワタシ個人としてはクリの木によって味に明確に違いがあると思っている。

調理の容易さからであろうが、どうしても大きい実が好まれる傾向にあるが、大きいからといって必ずしも美味しいということはないだろう。
小さい実にも美味しいものがある。
近時は品種改良が進んで、大粒で味覚を追求した品種もあるようだが、我がファーム内にあるクリはほとんどが昔からのも。
へんなカラクリは一切無い。
品種などは当然不詳であるものの、昔ながらの味だろうと思う。

何かのテレビ番組だったと思うが、季節の話題コーナーに登場したクリ農家が、木から落ちて時間がたったものは甘みが落ちるという話をされていた。
そのために朝早いうちに拾い、早い出荷は欠かせないのだそうだ。
こう見えても鮮度が大切な農産物らしい。
我が家ではそこまでのこだわりはないが、食べきれずに数日置いておいたクリはその風味が違う(気がする)。
ちなみに、無人野菜販売所に並べているクリはその日の朝に拾ったものをご提供している。

         

このブログのトップ画面に写している山々はわが里山であるが、この山の中にも無数のヤマグリの木がある。
このヤマグリもちょうど落果の時期である。

ヤマグリとは、文字どおり山の中に自生しているクリの木である。
このクリは、イガも実も果樹園に植えてあるクリより一回り以上小さい。
これがクリの原種というか、品種改良する前の昔昔の姿なのであろう。
小さいながらもイガの中には実が3粒入っている
実は2〜3cmほどだ
このあたりの里山では、いまこのような木の実が沢山見つけられる。
細く先の尖ったコナラの実、真ん丸なクヌギの実、など(ドングリと呼んでいるのはこれらの総称だ)。

我が里山がある常陸大宮市東野地区にも、縄文時代の遺跡が確認されているだけでも2カ所ある。
広範囲に土器が分布しているので、まとまった戸数の集落があったのではないかと思う。
それらの人口を維持するだけの後背地として、動植物が豊かな森がここにはあるのだ。

これらの木の実は縄文時代人の貴重な食糧のひとつであったはずだ。
数千年も以上前から、この森はここに生きる人々の生活を潤し続けて来た。
人間も森の生き物たちも生かされて来た。


『なにごとの おわしますかは しらねども かたじけなさに 涙こぼるる』(西行法師)なのであって、やっぱりこれらの山には山の神様が、大木には木の神様がおわしますのである。
山中に自生するヤマグリの大木
幹周りは2m以上あり、一人では抱えきれない
これらの森の恵みの有り難さを、ここ50年ほどですっかり忘れてしまっている現代だ。
残念ながら森の荒廃は相当に進んでいる。
この里山の恵をいつまでも享受できるように、いま保全にチャレンジしている。
せめて我が家の里山部分(・・といっても相当広く、人手が足りないのが現実だが)には十分な手を入れてゆきたいと思っている。

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