先週に引き続きひとり農業で一時間放映された。
予想した通り、稲刈りを中心とした作業と、秋の味覚の大特集だ。
薪と釜で炊いた新米、陸稲での栗おこわ、とろろご飯、クルミご飯、とろろみそ汁、マイタケ炙り焼き、・・・渡辺氏や永島氏が現地で食べた夕食も、スタジオでパネラーに出されたお盆の上もまさに秋満載だ。
当たり前のことだが、我々のような一市井人がブログやHPなどを通じて、文章やら写真でどれだけ農業の大変さと楽しさを伝えようとしても、悲しいかななかなか伝えることができない。
だが、このメディア、この番組の映像が伝えるインパクトはとてつもなく大きい。
普段、何気なくスーパーマーケットで手にする食材(今日の放送でいえば、米であったり長芋であったり、マイタケであったり)が、どれだけの苦労と時間が掛けられているものかが、直截な表現で伝わる。
すごいことだ。
今日のパネラーたちも、初めて見る・知る事実に感動と驚きの連続であったようだ。
であろう、と思う。
毎回感じることだが、この番組は『農』が持つ多種多様な意義を、『農』から遠ざかってしまっている人々(・・・この番組で中居氏の後ろで足を組んで座る赤い制服を着た妙齢の女性たちがいるが、彼女たちに代表されるような都会暮らしのオネエサマたちがそうだ。または一日中都会のオフィスにて知的頭脳労働に勤しむサラリーマンの方々か。。)に伝える、実に良い番組であると思う。
『農』について知ること・考えることは、自分たちの『食』を考えることであり、ひいては『環境』と『生命(いのち)』を考えることだと思う。
いまの自分だけではない、子や孫の代までの生命や環境について関心をもつことになるはずだ。
どうやら渡辺氏は40歳になったようだが、ぜひこのまま頑張ってほしいものだ。
渡辺氏の今年の稲刈りは、まさに泥濘の田んぼで、倒れた稲を手刈りするという、大変な苦労を強いられたようだ。
かく言う我が家の田んぼも、同じ市内の近くの場所であり渡辺氏の田んぼと同様の山あいが多い。
今年は台風でかなり倒され、稲刈りの困難さは似たようなものであった。
渡辺氏が、疲れて自宅で倒れ込むのも実によくわかる。
そこまで身体を酷使し、不作のリスクを賭して育ててきた米であり、野菜なのだ。
だからこそ、だからこそ、秋の収穫の感動が大きいのだ。
美味いのだ。
これだけの感動を、季節毎、毎年繰り返して経験できる愉しみがあるからこそ、続けられる農作業だ。
金銭的な価値では到底計れない『感動』がここにある。
今回の放送内容と同じような試しみは、我がファームでもいくつか行っている。
つまりは、今回と同じ秋の味覚を十分すぎるほど堪能している。
里山に囲まれた田畑を耕す農家の特権であり、密やかな愉しみである。
我がファームで試験栽培している『アラゲキクラゲ』が大量に出た。 コリコリした食感が実にいい。 中国産乾燥キクラゲとは、確かに違う。 |
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