2013年1月30日水曜日

越冬中のミツバチ

野生の生き物の宿命なのだろうが、ミツバチにとっては寒さとともに蜜源となる花が極端に少ない冬の数か月はひどく辛い耐乏生活に違いない。

時折、巣箱の底板を引き出して、巣箱内部を観察しているのだが、じっと固まって耐えている(ように見える)ハチたちを見ると、健気さと言うかいじらしささえ感じてしまう。
底部から見上げた内部の状況

ミツバチたちが巣から出る姿はほとんど見ることがない。
この期間は夏の間に作り上げた巣を齧りながら、貯めた蜂蜜を少しずつ消費しながら過ごしているようだ。
下の写真は引き出した底板の様子だ。
細かな巣の齧りカスが大量に堆積している。
巣の一部が崩れ落ちたものもある。
悲しいかな、この崩れ落ちた巣の欠片に既に死んでいるミツバチがしがみついている。
底板に溜まった食べカス
死んだ蜂の姿もある
どんな経緯があったのか・・
巣に齧りついたまま死んでいる
あと少ししたら早咲きの梅の花が咲く。
さらにその後には、周囲一面が黄色く染まり菜の花の絨毯となる天国のような季節が控えている。
なんとか耐えて生き延びて、その春の歓びを享受してもらいたいと願っている。
またハチミツを差し入れしてやろうと思う。

2月4日の立春まであと少しだ。
まだ寒い日が続くが季節は確実に移ろっている。

2013年1月28日月曜日

県道102号線 東野東原地区 道路改良工事進む

玉川村駅前を通っている県道102号線は、長沢水戸線といい常陸大宮市の長沢(ここ玉川村駅から北に5kmほどの場所)から、水戸市下国井町(常磐自動車道・水戸北スマートIC近く)までの約27.5kmの県道である。
北の始点・長沢地区から南下すると、旧の山方町内である照田地区までは道幅も広く真っ直ぐに整備された道路を進む。
だが、旧大宮町区域内に入ったとたんに幅員が狭くなり、道も地形に沿った昔ながらの狭い道路になる(Googlemapで確認できる)。
場所はここ
この道路部分の整備が遅れた本当の理由は知らぬ。
地権者交渉等、いろいろな事情があったのだろうと思う。
(偶然かもしれないが旧の行政区分の境目でに全く異なることに)こうも違うものかと考えさせられる場所である。

センターラインがある道を気持ちよく進んできたのに、いきなり対向車と譲り合わねばならない程道幅が狭くなり、かつ見通しがきかない曲がりくねった道に遭遇するのだ。
この道を利用しているドライバーにとっては、ちょっとしたストレスであったろう。

そんな難所もやっと道路改良工事が始まり、かつての姿を変えようとしている。
ストレスから解放される日は近いようだ。
県道102号線の中には他にも同様な場所はあるとは思うが、地元民としてはこの450m区間の改良を素直に喜んでいる。
残念ながら家の建て込んでいる玉川村駅前部分や、東野十文字部分等は拡張工事はなされない。

南側から拡張工事始点部分を写す。
看板によれば3月15日までの工期だ。
拡張部分を南側から写す。
道路西側の照田川の竹やぶを埋め立て10mほど広げ
曲線部分を真っ直ぐにするようだ
運行本数は少ないものの茨城交通の路線バスも通っている道路だ。
ダンプカーやトラック類の通行も多い。
この竹やぶに左前輪を脱輪した車(すれ違う時に左に寄り過ぎたのだろう)を目撃したことがある。
もうそんなことは無くなるだろう。
この道路拡張で移転を余儀なくされた地蔵も、新しい場所に既に鎮座している。
拡張部分を北側から写す。
お地蔵様も引っ越し済み(左の電信柱横)だ。
元は緑色の建物(工事現場用トイレだ)の所にあった
         

余談だが、この道路拡張工事部分(A〜B)の東側の一帯には、旧大宮町の大宮町史(昭和52年3月刊)付属の遺跡地図にNo49『東原遺跡 散布地』として記載されている遺跡がある(赤丸部分)。
大宮町史付属の大宮町遺跡地名表より

拡張整備区間はBからAまで450m
学術的な発掘調査はこれまで為されていないが、水郡線とこの県道の間の畑一帯に主に縄文時代中期の土器片、および土師器の破片が見られる。

以下は勝手な想像だが、お地蔵様が元いた場所の近くで、道路拡張に先立ち防火貯水槽工事(県道の東側土手部分だ)が既に終わっているが、この工事で遺跡の一部をおそらく破壊したのではないかと思う。
試掘も含めて調査が為されていないので、散布地域の正確な範囲は分からないのが現状だが、常日頃何か(土器片やら鏃やらメノウやら)落ちていないかと畑の土を眺めながら歩いている小生にはそんな気がしてならない。

そして今度の大規模な道路拡張工事だ。
地元の在野考古学マニアとしては破壊は(あったとして)最小限であって欲しいと願っている。
(クドいが、この道路を使う一市民としては大変有難い有益な道路工事であると思っていることだけはしっかりと記しておきたい)

2013年1月26日土曜日

わずかな貢献かもしれないが

こんな写真を見ると憂鬱になる方も多かろう。
飛ぶ前に伐採処分された杉の花粉
花粉症の元凶、杉の枝の先端に付いている雄花である。
まだ弾け飛ぶまでにはなっていないが、粒は確実に大きくなってきている。

         

ずっと山の木立伐採作業を続けている。
伐採したい木は沢山あるのだが、そんな中でも優先して杉の木を数本切り倒した。
倒れた木の枝を払いながらじっくりと観察すると、樹の先端のほうに花粉が入った粒々が、特にビッシリと付いている。
枝先がたわんでいるようだ。
手に持った感じもずっしりしていて、特別重たい感じがする。

この1本の樹だけでもかなりの量になる。
これらが気温が上がると弾けて飛散するのだから、その総量たるや計り知れない。
それも全国でだ。
心から花粉症の方にはお見舞い申し上げる。

今日切り倒したのは数本でしかないが、花粉が飛ぶ前の伐採である。
それこそ微々たるものでしかないが、少しでも花粉の飛散が少なくなればいいと思う。

2013年1月22日火曜日

常陸大宮市歴史民族資料館 企画展『常陸大宮の地下資源』

予報が外れ、雪こそ降らなかったが朝からぐずついた雨模様だった。
融けだした先日の雪と相まって地面はグチャグチャ、ベタベタで何をするにも中途半端。
このような日は作業を思い切って休む完全休業日である。

         

常陸大宮市の歴史民俗資料館・大宮館に出かけた。
ちょうど『常陸大宮の地下資源』という企画展を催している。
企画展のパンフレット
表紙の写真は久慈黒石硯だ
古くから産地として有名な砂金・金鉱山、水郡線敷設工事や戦後の東京復興に大いに活用されたという砕石や砂利、江戸で火打石シェアの大半を占めたメノウ、そして砂鉄や硯石など、当地域で採掘されたり生産された各種の鉱物資源の実物が簡潔な説明とともに要領よく並べられている。
他に植物や貝の化石も展示されている。

コンパクトではあるが内容は充実しており、極めてレベルの高い企画展である。
これらを見ていると、我々はなんと豊かな大地に生活していることかと改めて気づかされる。
ぜひ一度ご覧になることをお勧めする。(入場は無料だ)

         

展示品と合わせて、今回の企画展開催に当り市民から個人所有しているメノウの出展を募ったところ多数集まったようで、大小さまざまな珪化木・メノウが展示されている。
大きいものでは幅50cm、厚さ20cm、奥行き40cm程もあろうか、大メノウが2つ並べられていた。
これだけの大きなモノには初めお目にかかった。正直驚いた。
ここまで大きいと立派なお宝である。
我が家のメノウ軒下コレクション中の最大のモノと較べておそらく20倍はあろう。
資料館の展示品は写真撮影禁止なので、その大きさを写真で紹介できないのが残念だ。

         

何気なく見ている我が家の山も、新生代・新第三紀・中新世の玉川層という地層で、1680万年くらい前のものだそうだ。
この地層には化石が多い。
そういえば、近くの山中で露出している岩に、貝の化石が幾つも見つかる場所がある。
我々地元民が『貝殻山』と呼んでいる場所だ。
この付近は太古の昔、浅い海底であった証拠。
子供の頃から貝の化石など当たり前で何の不思議も感じずにいたが、これってすごいことなんだ。
うーん、1680万年かぁ・・、海底火山の爆発、大地の隆起、海進・海退・・・。。。
時間の尺度が違い過ぎて困惑してしまう。
資料館受付で頂いたパンフレットの解説と鉱石の現物を眺め、何億年・何千万年という悠久の時を思った。

         

今日の展示会場は訪れる人も少なく、このような物思いに耽るにはちょうど良かった。
しばし展示品に魅了され引き込まれていたのだが、残念ながら幾度と無く繰り返されるある男性のカメラのシャッター音で興を一瞬にして削がれてしまった。
会場内は当然撮影禁止なのだが(=>壁には『写真撮影はご遠慮ください』と注意書きが張られている)、係員がいないことを良いことに、ほぼ全ての展示品をカメラに収めていた。

退出時に係員の方に確認したらやはり撮影は不可であるとのこと。
先ほどの状況を告げると、驚いていた。
男性は係員とは顔見知りらしく、2人が親しげに話していた内容から察するに(・・・聞こえてしまったのだから仕方ない)この歴史資料館と同様の施設で同様の仕事に携わっている御仁(県職員か?)のようだ。
撮影の許可は特別していないようだったので、資料館の係員もバツが悪そうであった。

おそらく彼には何かしらの特権意識があるのだろう。
あるいは単に彼の民度の問題なのかもしれない。

今回展示されているような鉱石を撮影したからといって、石そのものの性質やら歴史的価値に変化があるとは思えない。
だが中には金鉱山関連の古い紙の展示物(鉱山で働いていた人の給料袋だったか)もあった。

やはり、しかしである。
今回は良くても、企画内容によっては中には古文書や絵画など光で劣化しかねないものもあるはずだ。
やはりこういった場所では一律撮影禁止とするルールが正しい。
どうしても撮影が必要というなら、専門職員による可否判断のもとで慎重に行われるべきだ。

         

このように人の行動はどこで誰に見られているか分からない。

われわれのような一般の入場者がそこにいるのだから(いや、いてもいなくてもだが)ルールは守って欲しかった。
ましてや、展示物の保存に細心の注意を図るべきお立場・職種の公務員であればこそ、だろう。

企画展の内容が良かっただけに、ほんとうに残念な出来事だった。
なんとなく後味が悪いまま資料館を出た。
雨は前にも増して強くなり降り続いていた。

2013年1月21日月曜日

ジョウビタキ

14日に降った雪は日陰にまだかなり残っている。
毎日、日中の気温はたいして上がらず、凍てついたまま。
そして今夜(1/21)また雪が降るという予報だ。
日当りが少ない山の斜面はこんなぐあい
ガチガチに凍った雪の斜面は危なくてとても歩けない。
なのでなかなか山仕事に起動が掛からないでいる。

         

周辺を歩いていると、スズメより少し小さい鳥で胸から腹部がオレンジ色の小鳥をしばしば目にする。
人に対する警戒心はあまり無いらしく、かなり傍まで近寄ってくる。
ジョウビタキのオスである。
身近な冬の渡り鳥だ。
ジョウビタキのオス
キッ、キッとも、カッ、カッとも、チッ、チッとも聞こえる短い鳴き声だ。
この鳴き声が、火を付け道具である火打石の打音に似ていることから、火を焚く=>火焚き=>ひたき=>ヒタキ、ということらしい。
(ちなみにジョウは尉という字で、銀髪のこと)

ときどきぴょこんとお辞儀をして尾を震わせる仕草をしたりする。
歩き方もピョコピョコ(←まさにこの表現がぴったりなのである)で、実に愛嬌があり可愛らしい。
名前と姿がちゃんと一致している数少ない、好きな野鳥のひとつだ。

         

近寄る人を見ても遠くまで逃げるでも無し、また飛んで近寄ってくる。
人を観察しているようでもあるし、人が遊ばれているようでもある。

まだしばらくの間、この愛くるしい姿を眺められる。
これだから林の中の作業もまた愉しい。

2013年1月19日土曜日

春先の憂鬱 花粉悲惨予測

花粉症の方にとっては、憂鬱な季節がすぐそこだ。
この時期、暗澹たる気持ちになる方も多かろう。

         

日本気象協会は花粉飛散予測を定期的に発表している。
その第1報は昨年10月3日になされ、この1月16日にその第3報が発表になった。
どうやらスギ・ヒノキの花粉は関東甲信では昨年比310%だそうだ。
去年の夏が暑くて日照時間が長かったからだという。

HP⇨日本気象協会 2013年春の花粉飛散予測(第3報)

毒々しいほどに赤い色が広がっている。
これを見ただけで気が滅入るひともいるはずだ。

         

その名が一般的になって久しい花粉症であるが、幸いなことに小生は花粉症とはまったく無縁である。
漆にはメッポウ弱いのだが、スギ・ヒノキ花粉には強い。

なので、その症状の辛さは十分に想像はできても、共有することができない。
身近に辛い思いをしている人間がいるとこちらまで辛くなるのだが、花粉の辛さに無縁の身としては、申し訳ない気分にさえなってしまう。
ある人の場合、とくに目が痒くてたまらず『目玉を取り出して洗いたい』と毎年ぼやいている。どうやっても痒くて涙が出てたまらないのだそうだ。
日常生活に支障がでるようでは本当に困るから、切実な問題に違いない。
これでは花粉飛散ではなく花粉悲惨だ。

         

付近の里山のスギの樹も、花粉詰まった玉が膨らんだ姿がはっきりと目に付くようになった。

この粒には悪魔が詰まっている。
スギ花粉の飛散は、ちょっとしたテロリズムかもしれない。
いまや国民病である花粉症だが、発症したあとに症状を緩和する薬を服用するなどの対処療法のみで、決定的な予防法・免疫療法はまだないようだ。
だが、独立行政法人 理化学研究所 免疫・アレルギー科学総合研究センターではスギ花粉症をなくすワクチンの臨床研究が進んでいて、動物実験で効果が確認されたため、人体での効果確認の段階にはっているようだ。

福音となることを祈りたいものだ。

2013年1月13日日曜日

Japan = 漆器

Chinaは中国の英語名であると同時に、『陶器』をも意味する。
同じようにJapanは日本のことであり、『漆器』のことも意味する。

茨城県北部、特に常陸大宮市山方地区や隣町の大子地方は昔から漆の生産地である。
この地で漆器の創作活動をされている工芸家もいると聞く。
であるが、茨城北部の漆の品質の素晴らしさについては一部の人にしか知られていない。
しかたあるまい、海外からの低価格の漆の輸入が増えたことと、漆器そのものの需要が減っている。
漆の品質は最高級であっても、国内需要そのものが少なくなっており一部の工芸家中心の需要だけでは産業としてなかなか成り立ちにくい。

この現状に危機感を持ったグループが『YUS山方漆ソサエティ』を立ち上げ活動しているという。
現在の活動状況については存じ上げないが、地場の伝統産業・文化を守り引き継いでゆく大切な活動と言えるだろう。
声援を送りたい。
         

我が家の近くの山には、漆の大木が何本かある。
大きさを示すために手を近づけただけで触ってはいない

幹周りは1メートルはゆうにあろうかと言いう大木ばかりである。
かつては漆掻きの職人さんが漆樹液を採取に山に入っていたようだ。
直接その姿は見た記憶がないのだが、幹に付けられた傷跡が今でも多数残っているし、先代からもそのような話を聞いた。
木に付けられた傷跡が比較的新しいのもあるので、(知らない間に)きっと誰かが樹液採取を行っているのかもしれない。
ずいぶん高い位置にまで引っ掻き傷がある
         

とある理由から漆については興味もなかったので調べることもなかったが、調べてみたら漆の文化はとても奥が深いようだ。
特に漆職人の手仕事を紹介するHPを見て、その感を深くした。
 ・・ 受け継がれてきた九千年の歴史→うるしとわたしたちのくらし

手仕事の見本のような作業ばかりだ。
このような文化は後世に残したいものだ。

         

と書いておきながら、個人的には漆は大が付くほど嫌いで、憎い存在である。
見たくも触りたくもない考えたくもない。まさに忌避したい最たるものだ。

その理由は。。
過去(小学校時代だ)に何度か漆にかぶれて大変な思いをしたので、心底嫌悪している。
全身の隅々までがかぶれて真っ赤に腫れあがり、それはそれは痒い。
掻くと悪化するためひたすら堪える。
そんな数日間を必死に耐えて過ごさねばない。
最も腫れがひどい数日間などは、瞼が腫れて目は開けられないし、呼吸さえ困難になる(ように感じるのである)。
なす術なく、ただただ寝て腫れが収まるのを待つしかないのである。

このような生命の危機とまで感じた記憶が数回もあって、それぞれが未だに鮮明に脳裏に焼き付いている。まさにトラウマである。
この痛い記憶があるため、漆に罪はないが、大嫌いなのである。
まさに肌に合わないので仕方ない。

         

いまも山で木立の伐採仕事をしていると漆の木に遭遇することが多い。
細心の注意をしつつ(憎たらしい漆のやつめ・・とひとりごとを呟きつつ)切り倒して葬っている。
これで少しだがわが心は穏やかになる。

2013年1月10日木曜日

玉川村駅で観測するP波

寒い日が続いている。
この時期は外での農作業はほとんど動きらしい動きは無く、ニュース性に乏しい。

周囲の風景も、見た目ちょっと変わるのは霜が降りて真っ白くなった朝程度で、ほとんどが寒々しいモノトーンの風景であまり変わり映えしない最近だ(雪でも降ればまた別だが)。
これがこの地域のありのままの姿なのだが、どうせこのブログに載せるのであればせめて少しでも変化のある風景なりを紹介したいとつい考えてしまう。
なので最近は風景の写真をあまり紹介できていない。

         

昨日(1/9)のNHKで、JR東の新幹線が地震を関知し停車させるシステムで大きな成果が出たとのニュースをやっていた。
先月12月7日に発生した東北地方で観測した震度5弱の揺れの際には、大きな揺れが来る38秒前に緊急停車指令を出せて走行中の新幹線が安全に停車できたそうだ。
東日本大震災の時では10秒前だったというから、この28秒の進歩というのはすごい。
38秒あればかなりの事が出来る。

新幹線 緊急地震速報活用でより早く停止(1/9 NKH NEWSweb)

東日本大震災の半年後からJR玉川村駅構内に地震計を設置する工事をしていた。
今ではJR東の沿線81か所と太平洋・日本海沿岸16か所にこのような計測施設があるようだ。
まさに玉川村駅を含む複数の地震計測地点から送られたP波のデータが東北新幹線を大きな揺れの前に止めた。

機関庫跡の荒れたスペースの一角にポツンと建つ地震計の建物。
地震計が設置されている建物
精密機械のためだろう、常時空調が動いている。
一見するとただの倉庫のような建物だが、実は極めて大切なお役目を引き受け、モノ言わず毎日しっかりと勤めを果たしているようだ。
水郡線の車窓からこの建物見かけたら、こんなことも思い出してくれたら地元民として嬉しい。

2013年1月7日月曜日

2013年を賑わす・・かもしれない

2013年を賑わすかもしれない。
といってもワタシが・・では無論ない。

昨年は金環日食やら数回の大流星群がニュースになったが、今年は肉眼でも見えるほど明るくなりそうな彗星が二つも地球に接近するなど、いくつもの天体ショーが予定されているので、そのことだ。
おもなものを挙げてみると次の通り。

3月~4月  『バンスターズ彗星
4月26日  部分月食(早朝、関東以西でわずかに欠ける)
5月下旬  水星、金星、木星が集合
8月中旬  ペルセウス座流星群
11月3日  アフリカなどで金環皆既日食(日本では見えない)
11月~12月 『アイソン彗星
12月2日  水星が月に隠される水星食

         

とりわけ、年末ごろに見ごろを迎えるアイソン彗星は最も輝くとき(太陽と至近距離になるとき)には満月とほぼ同じほどの明るさになり、史上最も明るい大彗星の一つになるとの期待が高い。
これらの彗星は楕円軌道ではないために、再び太陽に近づくことはなく二度と見ることはできないという。

天文現象の当たり年だった昨年に続き、華やかな天体ショーの話題が今年もメディアを賑わすことだろう・・・というのが、タイトルの趣旨だ。

長い尾を引きながら天空を駆けていく彗星は、古代より私達に驚異とそして感動を与えてきた。
しかし洋の東西を問わず不吉なものとされ恐怖の的だったようでもある。
彗星はしばしば王や高貴な人物の死や、大災害といった不吉なことの前兆と考えられ、昔の人はその出現を恐れた。
あるいはまた、地球の住人に対する天からの攻撃であると解釈されることすらあった彗星である。
かの日本書紀の舒明記には3か所も(特に不吉なこととしてではないが)彗星に関する記述があるという。

         

いまでこそ科学的な説明もついているし、出現する時期までかなり正確に予測できているため、それを不吉な前触れと恐れる人もいない(と思う)。
先月には、古代マヤ暦による地球の終わり云々の騒ぎも半ば楽しんでいたようだし。

でもやっぱり、宇宙の遥か彼方から飛来する彗星にロマンを感じ、その時が来ると不思議とそわそわしてしまうのではないか。
まして『最も明るい彗星』だとか『二度と見られない』などという説明まで付くとなおさらだ。
ワタシもおそらくその時が来ると無関心を装いつつも、きっと空を仰ぎ見てしまうことだろう。

ということで、皆がまた口を開いて天空を眺める日が何回かある。
ニュースになる日が来る。
願わくば今年は、心を痛めるような悲しい出来事が起こることなく、ただ無心に空を見上げたいものだ。
けっして不吉な前兆であってほしくない。

2013年1月5日土曜日

ブルベリーの養生 籾殻マルチ

年を越してもまだブルーベリーの葉は完全には落葉せず赤い葉を付けている。
今となっては品種は不明の我が園のブルーベリーの樹だが、なかなか葉が散らないというラビットアイ系の特長がよく出ている。
とはいえ、近々落葉するものと思う。
花芽が付いているブルーベリーの枝

より良いブルーベリーの木とするため、東京・大手町のJAビルにある農業専門の本屋で専門書を買い求め、いろいろと勉強している。
*****カバーには『分かりやすく手ほどきしている』と書かれているが、そこはやっぱり専門書。説明している内容は専門的であり、小生にとっては難解である。*****

ブルーベリーの根は細く網状で、ごく浅い所にしか広がっていない。
もともと多量の水分を必要とする植物であるので、乾燥に弱く、根元の周辺には保湿のため(それと防草のために)マルチが欠かせない。

買い求めた『ブルーベリーの観察と育て方』に、分解が遅く窒素分が少ない『籾殻』がマルチに適しているとの記述があった。
いままでは稲藁を敷いたりしていたが、これは分解も早く窒素分が多いようで、恒常的なマルチとしては望ましくないらしい。

さっそく昨年末から籾殻を大量に根元周辺に敷き詰めはじめた。
厚さ10cmほどに敷き詰めた
確かに分解は遅い籾殻である。
厚く敷いておくと雑草は生えてこられない。
夏場の草刈りも省力化できて手入れも楽になりそうだ。

今年の開花と収穫を心待ちにしている。

2013年1月3日木曜日

大学に農学部新設の動き(産経新聞記事から)

あけましておめでとうございます。
我がファームも特に何ということもなく平穏な新年を迎えました。
このような平穏なスタートを迎えることが一番ですね、小市民としては。
今年もよろしくおねがいします。
寒い朝  溜め池に氷


         

今日(1/3)の産経新聞ニュースから。
いま大学では農学部の設置の動きが広まっているという記事
(見にくいが、リンク切れ時のために添付。クリックすると拡大画像)
(現実的な面として)卒業後、幅広い就職先が見込めるということもあるようだが、食の安全・安心について学ぼうとする若い人が増えることは望ましいことだ。
農業技術を主に習得する『職業訓練校』ではなく、農業経営者としてのビジネス感覚も学べるだろうし、地域活性化に貢献できるような幅広い視野をもった人材が育てられるだろう。
農業は基本的には経験と勘が大切なのだが、それだけでは難しくなっている時代である。
科学的な知識と裏付けがこれに加わると最強である。
広く知識を得、視野を広げることで、変に偏ったイデオロギーとも一線を画することもできる。
TPP問題も自分の考えで反対やら賛成やら、条件付き云々に与することができるはずだ。

これからの新しい農の形を創ってゆく流れだろうと思う。
一時的なブームで終わってほしくない。