2015年11月30日月曜日

『玉川里山はちみつ』店舗販売開始

12月から『玉川里山はちみつ』を店舗販売することになった。

いままでは親戚や知人ら限られた方を中心にお分けしてきたが、今回、正式に商品としてお取り扱いいただく店舗ができ、広く一般の方にこのはちみつを販売することになった。
多くの皆様に『玉川里山はちみつ』を味わっていただけるのがうれしい。

次の2店舗でお取り扱い開始
  ● Cafe Gallery  BUJIEMON
        常陸大宮市山方670
  

  ●スイーツ専門店  Trois Frères(トロワフレール)
    常陸大宮市上町367-5

お立ち寄りの際にはぜひどうぞ。

こうなってくると来年のミツバチ捕獲に向けての準備にますます力が入ろうというもの。
大変だがやりがいがある。一段と面白くなってきた。

2015年11月27日金曜日

保育園のイルミネーション

市内のさる保育園で行われていたクリスマスイルミネーションの点灯式にたまたま遭遇した。
大小様々 屋根の上から下まで
点滅するものあり、流れるように光るものあり
辺りの住宅地一帯が暗いだけに余計に煌びやかに浮かび上がる光。
ここに通う園児と父母であろうか、多数の人たちが点滅する光を見上げては写真を撮っていた。
皆の顔には自然と笑みがこぼれている。
光の前に集まって撮影のあう人たち
飾り付けも大変だったろうなぁ・・などと心配するのは、この場合にはちょっと野暮・無粋である。
ここは素直に『わぁ~キレイ!!』とか『華やいだ雰囲気で、いいねぇ』とか『寒くなったよねぇ、もう少しで12月だもんねぇ~』とか言って見上げたいものだ。

クリスマスの宗教的意義や信心は横に置いて、クリスマス関連の賑やかな飾り付けや行事は無条件に人の心に何か楽しい気分をもたらしてくれることは確か。
これを小生は、目に見えぬ、たとえば『サンタクロース』と呼ぶ何かが人々のココロに入り込んで何となく幸せな気持ちに変えてくれている、ということだと密かに思っている。それは赤い服は着ていないし、じいさんでもない。姿・形のない不思議な『何か』だ。
遠目に眺めていた小生ではあったが、少しだけ『何か』に忍び込まれてしまった。

2015年11月24日火曜日

またミツバチに逃避される

ご近所のKさん宅に置いてある巣箱から、ミツバチが逃避した。

秋口からのオオスズメバチの猛攻を受け続けていた巣箱。10月中ごろからハチの数が激減していたが出入りは少しはあった。何とか持ちこたえてくれればと願っていたが、今日の内検で完全にいなくなっているのを確認した。まったく残念至極である。

分蜂ピーク時期からやや遅れた6月末の入居であったものの、かなりの強群で勢いよく巣作りをしていた。見ていても楽しくなるほど頼もしい群で、高さ14センチの巣箱の3段目まで巣を順調に伸ばしていた。
だが、箱を開けてみると蜂の姿はまったくなく、蓄えられていたはずの蜜も見事に無くなっていた。

泣く泣く台から外して持ち帰った。
取り外してきた巣箱
左側が巣箱上。3段目まで巣が伸びてきていた。
最盛期にはこの巣が見えないくらいハチがびっしりと張り付いていたのだが。。
天井板を外して上から見た巣箱内部。
本来は蜜で埋まって、琥珀色のはずだった。
空っぽの巣はカサカサである。
逃避の原因は『オオスズメバチ』の連日の猛攻しか考えられない。
いくら粘着シートを張り巡らしても、スズメバチトラップの液体を吊っても、巣箱入り口で常にオオスズメバチが待機しているような状態では、さすがに嫌気がさしたのだろう。オオスズメバチも多数繁殖している周囲の恵まれ過ぎた自然環境のせいともいえる。
こうなると我々人間も対処しようがない。今年はオオスズメバチが異様に多かったのがさらに不幸ではあった。やれることはやってきたうえでの結果である、諦めるしかない。

これで、管理下のミツバチは5群(うち1群はいつ消滅してもおかしくないほどハチが少ない弱群)。ひやひやしながらこれら5群が冬本番を迎える。
                                           
巣箱観察を楽しみにしていたKさん。
この結果に少し残念な様子であったが、そこは長年厳しい自然と向き合ってきて、素晴らしい人生経験と哲学をお持ちだ。泰然と構えておられる。気を落としてがっかりしている小生を淡々と諭してくれた。
『やっぱりそうがぁ。でもしゃあんめぇなぁ。来年があっぺ。ここいらがらハヂメ(※註)がいなぐなったわけじゃあんめえし。レンゲが咲いたら大丈夫だっぺ』(→やっぱりそうかい。でもしかたないね。来年があるよ。ここら周辺からハチがまったくいなくなったわけではあるまい。種を蒔いたレンゲが咲いたら、きっとまた入ってくれるに違いない。大丈夫だよ)

そう、上手くいったりダメになったりの繰り返しがニホンミツバチ飼育の面白さではなかったか。気を取り直して来春の捕獲に向けて頑張ろう。まったく居なくなったわけではないのだ。
今まで以上に、あれこれ知恵をめぐらそう、そうすればきっとまた入ってくれる。それだけの素晴らしい環境がここにはあるのだ。


(※註) ハヂメ・・蜂のこと。
この辺りでは一般の動物名の最後にメを付ける言い方・方言がある。われわれ人間に対して動物を下等なものに位置づける、蔑む意味合いを持たせている。メは接尾語もしくは助詞であろう。
使い方としては、犬は『イヌメ』、牛は『ウシメ』、豚は『ブタメ』、鳥は『トリメ』など、ほぼすべての動物に付ける。亀や燕などメで終わる動物名にも付け、『カメメ』や『ツバメメ』となるから不思議である。一般には男性が使う言い方で、女性はあまり使用しない。さらに一定年齢以上だけが使うようになっているため、古語になりつつある方言といえる。死語になる日も近いのだろう。貴重な方言が消えつつあるのが寂しい。

2015年11月23日月曜日

オダ小屋

刈り取った稲を天日干しする際に必須な装置、『オダ』。稲束を掛けるものだ。
田んぼでの脱穀風景
オダから乾燥した稲束を外して、脱穀機にかける。
オダの構成は、脚部分の棒と、『長柄(ながら)』と呼んでいる横に長い棒部分の2つだ。
オダは、稲刈りの際に屋敷の蔵軒下の保管場所から運んできては田んぼに設置する。
上掲の写真のような脱穀作業が終わると役目を終えるので、これらを分解して再び屋敷の蔵の軒下まで運んで片付ける。
脚の部分は分解して、しばらくの間、田んぼにて乾かす
一口に田んぼまで・田んぼから、といってもこれらの部材を運ぶのはたいそう厄介な仕事である。脚は重たいし長柄は長くて扱いにくい。田んぼまで距離がある場合はなおさら。特に7~8mほどある長柄は簡単には軽トラでは運べないため、結局は人力で2~3本ずつ運ぶのが常だ。

この手間を省くべく、田んぼの隅に保管小屋を作ることに決めていた(決めていたのは、昨年の秋だ)。やっと今年の今になって建築作業に着手できた。
というのは、昨年冬に切り倒した杉・檜の樹を小屋の柱に活用するために、1年間が必要だった。切り倒して直ぐでは重たくてとても作業ができないので、1年経ち軽くなった樹の幹・丸太を使うのである。
まるまる1年かがりとなる、実に長い計画である。

直径20cm~25cmほどの丸太を山から運び出して、実労働日数3日ほどかけて『建築』した。

横幅約9メートル、奥行1.8メートル、高さ2メートル。波トタン15枚。
水平をしっかりと確保、強度を十分に確保、トタン板をキレイに並べる、に注意を払った。
素人の大工仕事としては、十分に満足いく仕上がりとなった。
綺麗な一直線のトタン屋根
見た目にもたいへんよろしい
山から切り出した太さの不揃いの丸太を使ったためにサイズ調整の苦労があったものの、なんとか様になった。
あと何年この小屋を活用してゆけるのかはわからない(自信がない)。
手作り感満載の小屋である。スッキリ片付いて気持ちが良い。
不揃いの部分もあるが保管機能には全く問題ない。
この小屋の効用を実感できるのは来年の秋の稲刈り時。これもまた気の長い話で、秒刻みのあわただしい現実世界とはだいぶ様相を異にする。これがまた里山ライフ。

2015年11月19日木曜日

同好の士

先日、見知らぬある年配の男性が我が家を訪ねてこられた。仮に本村さんとしておく。

小生がニホンミツバチを飼育しているとの噂を聞きつけて、ここを探してわざわざいらしたようだ。
本村さんは同じ市内、山方地区の舟生に住んでおられる。
今年からニホンミツバチの飼育を始めたが、すべてが試行錯誤で、他の飼育現場を見てもっと勉強したいと。勉強熱心な方だ。

本村さんは、社会人としてのマナーを十分に心得た方である。
ちゃんと名乗ったうえで突然の訪問を詫びつつ、訪問趣旨を丁寧に説明してくれた。かようにちゃんとした見学申し出を断る理由はない。まして同好の士である。小生とてけっして鬼ではない。屋敷の周囲の巣箱を案内して回った。営巣中の巣箱では、観察窓から内部を覗いてもらった。
この窓から見える巣の状況とミツバチたちの動きに本村さんはとても驚いた
本村さんの巣箱は、我が家と同じ重箱型ではあるが窓のない単なる四面壁の箱型。
これでは内検が甚だ難しい。中を見るために涙ぐましい努力をしている。だが中がどのようになっているのいまひとつ分からずに想像を逞しくしている。これはやはりストレスという。当初に小生が試行錯誤していたのとまったく同じ状況だ。
また、採集したハチミツも上手く濾過できず濁ったままとのこと。当方の濾過方法・道具を参考にしたいとのことなので、一式をお見せした。

小生の巣箱にしても濾過道具にしてもまだまだ改良すべき点はあるが、本村さんにとってはすべてが新鮮に映ったようで、たいへん驚いておられた。きっとDIYスピリットが刺激されたことだろうと思う。目を輝かせて説明を聞き、帰られた。

本村さん曰く。
ミツバチを飼うようになってから、暇があると巣箱のハチの出入りを眺めている。いくら見ていても飽きない。愛おしくて仕方ない。熱を入れ過ぎ妻には呆れられ、怒られている。でも楽しくて楽しくてタマラナイ。良い飼育方法を取り入れてもっともっと増やしたい。養蜂は定年後の最高の趣味だ。 

ま、まったく同じではないか。
・・・奥様に何を言われても、さらには愛想を尽かされても、それでも深入りしてのめり込んで行きそうな気配ありありである。

ニホンミツバチに魅せられ、人生が変わってしまった男がここにもいた。
これだけ魅せられるものを人生の後半に手にしたことで、生活に張りが出て、充実した毎日を送るとしたら、これは幸いなことに違いない。
まさに『円熟人生』だろう。
本村さん、互いに頑張りましょうね。
羽を震わせて飛び立とうとしている
Lovelyだ

2015年11月17日火曜日

皇帝ダリア 開花

昨年入手した皇帝ダリアの茎から、株の増殖を図り、奇跡的に一本だけ根付いたものがある。
やっと花が咲いた。背丈は一般のものに比べると低く、2m程だがいくつもの蕾をつけており、まだまだ花が開きそうな気配だ。
なかなか華やかさがある大輪の花だ。
花が咲き終わったら、また茎から増やしてみたい。
これは11月半ばに花が咲く花で、貴重な蜜源。
そう、ミツバチのために・・・だ。

2015年11月15日日曜日

瓜連・常福寺の『ろくやさん』の縁日こと

先日出掛けた『ろくやさん』。毎年、旧暦9月26日・27日に瓜連・常福寺で開かれる『二十六夜尊』。本堂までの参道約270mにはテキ屋が隙間無く並ぶ、近郷では数少ない人出ある縁日だ。

本来の縁日の趣旨は、同寺HPによれば『(常福寺第二世の了誉)上人の偉大なるお力を少しでも恵与下さるようにとの、向学の学徒・家族の祈願』とあるが、実際のところは先祖供養の色彩が濃いようだ。本堂手前の蓮華院には先祖供養のお札を買い求める人が列をなす。
ここで求めるお札には『南無二十六夜尊 為○○家先祖代々浄火供養之塔』とあり、○○に姓を墨書してもらう。このお札を二十六夜尊堂に納める。大半のひとがこの目的で来ているのだろうと思う。

二十六夜尊堂にお札を供えて手を合わせる
                                           
今年は、たまたま浄火供養の儀式の時間帯に境内に入った。
初めて目にする『浄火供養』の儀式。声明の内容はさっぱり分からぬが、しばし立ち止まって眺めた。参拝の目的は先祖供養であっても向学の祈念であっても、ここに集う善男善女はこの儀式を真剣な面持ちで見つめている。
壇上の僧侶に一心に手を合わせて祈る素朴な人々の信心の姿がここにあった。
                                           
一通り参拝のあとの帰り道、いろんなことを考えながら参道を歩いた。そして家に戻ってからのこの一週間も。
縁日を通じての仏様のご縁って・・・、信心ってのは・・・。
縁日自体が非日常の場であって、テンションが上がるのは不思議ではないが、どうもそれだけではないような何かがもたらされる気がしている。
『信仰』とはちょっと違うのだが、集まる人たちに心の襞を一枚増やしてくれるなにか不思議なものなのかもしれぬと。結縁によって皆の心の中に何かが残るのではないかと。
ここに来る・来たことで残る暖かい記憶とでもいうものか。
それがいつか何かの拍子で呼び起こされて、ちょっとだけ切なくなったり幸せになったりする。

そう言えば周囲にも、婆さんに連れられて小さいときに来たなあ・・など回顧するちょっと年上の人は多い(昭和30年代のことであろう)。
必ずある煮イカの屋台
子供の時の舌と鼻孔の記憶は簡単には消えないものだ
この男の子たちもいつの日か父親になって、
この興奮を我が子に懐かしく話す時がくるのだろう
あと十数年もすると彼女たちもすっかり大人の女性になり
それぞれ人生の選択をして違う人生を歩み出す。
仲よしと一緒に屋台巡りしたことも
楽しい記憶の1ページとなることだろう
このような気持ちが育まれると他人に対しても優しくなれる(と思う)。
自然と人を化すのが仏のご威光かもしれぬ。縁日が多くの人を惹き付けて止まないというのも、まさにそれで、衆生に対する間接的な救いなのだろう。
                                           
単なる縁日に出かけても、あれこれ考えしみじみとした気分になる。
残念ながらこのような感慨は、同様に人出は多いものの、かの新そば祭りにはない。
齢を重ねたせいもあるが、こんなことを思うことこそが仏のお導きかも知れぬ。現世利益ばかりではない。
農業は自然相手で神仏への感謝の連続。
なにものが おわしますかはしらねども かたじけなさに なみだこぼるる  の心境だ。ありがたや。。

2015年11月14日土曜日

ミツバ巣箱追加製作開始

今年もまたミツバチの巣箱を作り始めた。
今日のような天気の悪い日は、特に急ぐ用事がなければ日中は巣箱作りに没頭している。
今回の製作目標台数は待ち箱20台と巣箱10台。
現在、待ち箱と巣箱を合わせて総数30台設置済み(うちミツバチが入居中は6台)だ。
これを一挙に倍増させようとする意欲的な計画だ。

年一回の捕獲チャンスである4月中旬~5月末の分蜂シーズンに、どれだけ多くのミツバチを捕獲するかで、その年の成果はほぼ決まる。今年は入居後の逃避が4回あり、最終的に住み続けているのが6群。なので入居成功率は(4+6)/30=33,3%となる。あれこれ捕獲に工夫を凝らしてもこれでしかない。

ミツバチの巣箱入居確率を同程度と仮定すると、飼育絶対箱数を増やすには、できるだけ数多く待ち箱・巣箱を置くことが重要となる。つまり空の箱をできる限り多く置いて、捕獲チャンスを増やすのである。
(厳密には、待ち箱の回転率も考慮すべきなのだが、現状は限りなくゼロに近いので無視する)
試算では、(30-6+30)×33.3%=18。 うまくいって18群程度のゲットで、既存分と合わせて24群。本音ではもっともっと欲しいところだ。
                                           
巣箱作りも手慣れたものだ。
手を抜くところとはしっかりと手を抜き、設計図にはない観察窓を作る部分では時間をかけて作っている。材料をホームセンターで買い求め、一気に製作に取り掛かった。これから年末までで仕上げるつもりだ。
観察窓を作るのに手間がかかるのだが
後のことを考えると手を抜けない大事なステップ
                                           
と同時に、これらの巣箱の設置適地を選んでは地権者と交渉を続けている。
特に待ち箱は広範囲に設置する予定でいる。遠隔地となるが隣町の旧金砂郷村および旧山方町の知人と話がついて屋敷周辺での設置許可を戴いている。
無論、先だって設置のご了解を頂いたSばあちゃん宅のような我が家のご近所にも、数多く置かせてもらう予定でいる。
並行して、見込み通り捕獲でき、はちみつが採れたと仮定しての販売ルート確立もめどを付けねばならない。
               ・・・やること・考えることがいっぱいだ。

2016年の養蜂プランは計画策定段階から、早や実行段階に入った。

2015年11月12日木曜日

鶸萌黄色か苔色

ギンナンの実の果肉の処理が終わり、乾燥させたものが出来上がった。

殻付きギンナンの実(種?)をラップに包んで電子レンジに掛ける。
ものの一分ほどで破裂音が数回し、固い殻が割れる。ラップは破れないので安心である。
取り出して、ひび割れた殻を外すと、中からキレイな緑色の粒が出てくる。
新鮮なギンナンのうちだけに現れる色。
新しいうちは、モチモチ感がたっぷりある。
旬の里山の食材である。

鶸萌黄(ひわもえぎ)という色か。(⇒カラー見本 鶸萌黄)
ちなみに鶸とは野鳥のヒワのこと。
あるいは苔(こけ)色という色か。(⇒カラー見本苔色)

色の和名とは、なんと情緒があって素晴らしい言葉の数々であることか。
たしか高校の時だが、利休色なる色シリーズがあることを知り、へぇ~と感心したものだ。
ただ、和名に使われる単語の意味が悲しいことにかわからないものが多い。現代生活と縁遠いものばかりだからか。
こうやってギンナン一つ食らうに際しても、ネットで調べてわかることは無限にある。
知らぬでも生きて行けるが、こうやって薄っぺらい知識でも広がると楽しい。

モチモチを頬張りながら、晩酌のビール(正確には発泡酒350ml缶)が進む。

2015年11月10日火曜日

里山の彩り

付近の山々の紅葉が進んできた。近くのお屋敷の大イチョウの葉も黄色が鮮やかになってきて、たいそう目を引く。
水郡線の車窓からも良く見える大イチョウ
去年のSL試運転時には絵になった
こちらは山裾にある小振りのイチョウの木だが、杉林を背に植えてあるため目立つ。
いい感じの山野辺の道

我が家の庭に目を転じれば、纏紅葉(まといもみじ)が紅葉の盛り。

そして、今年もたくさんの実をつけ皆さんへお分けしたポポー。
一年の大仕事を終えて、ひっそりと冬支度を進めている。
我が里山はこれだけの彩りにあふれている。

2015年11月8日日曜日

2015 常陸秋そばフェスティバル里山フェアに行ってきた

昨日、常陸秋そばフェス初日に行ってきた。
今年のパンフ
毎年人気において他を圧倒していた高橋名人の『達磨』が今年は不参加で、どうかなと心配したが全くの杞憂だった。
開始時刻は午前10時にもかかわらず、会場に入った9時20分にはすでに下の写真のような人、人、人。新そばを提供する各店舗には長い行列。昨年よりも人出は多いような気がする。

どうにかお目当ての蕎麦を買い求め、新そばを堪能した。
ケンチン蕎麦は外せない
ザルそばは新そばの香りを楽しめる


今年は4店舗の蕎麦で打ち止めた。これ以上食べると味の微妙な違いが解らなくなる。それに若い時ほど食べられなくなった。
店舗で蕎麦を受け取り、フードコートよろしく中央のテント下のテーブルコーナーで蕎麦をすするわけだが、人出に対してテーブルが少なすぎて『立ち食い蕎麦』を強いられる人が続出だった。
さらにはテーブル間のスペースが狭すぎて、人の出入りが困難な配置。
せっかくの新そばを楽しんでもらうにしてはあまりにお粗末。
こんな具合では今日(11/8)の雨の中では、来場者は堪ったものではないだろう。
次回以降、改善が求められる点だ。

昼時を前に早々に会場を後にしたが、駐車場と会場を往復するシャトルバスは、軒並み満員で次から次へと到着する。この時間から会場入りする人たちはさぞ大変だろう。
やはり、人気ある常陸太田の常陸秋そばフェスは、初日の早い時間に入るに限る。
全く個人的な好きな食べ方だが、最初の二つまみほどの蕎麦は、
そばつゆを付けずに蕎麦だけを口に入れ、30回ほどひたすら噛んで味わう。
次第に蕎麦の甘みが感じられるようになってくる。
それでも飲み込まずに噛み続けると香りが口中にふんわり広がってくる。
この段階まで来ると、つい飲み込みたくなるのだが、そこは我慢して噛み続ける。
すると蕎麦本来のますます甘み・香りが際立ってきて、やたらに美味なのである。
『(蕎麦は)噛まずに飲み込むくらいで、のど越しで味わう』を粋とする輩もいるが、
これは全くの邪道だと思う。本当の味を知らないでいる愚か者であろう。
真に新そばを味わうには、ひたすら噛んで噛んで噛んで、舌で十分に味わうに限る。
蕎麦は完全咀嚼が一番の食べ方であり、のど越しなどではない、というのが小生の考えである。
この食し方では穀物が本来持っている味を味わい尽くせるのである。お勧めである。
天気予報は当たって、今日は一日中雨降りで寒い一日。屋外の催し物は雨が降ると最悪だ。昨日のうちに行っておいて良かった。
新そばを満喫した後、お隣の那珂市瓜連の常福寺の縁日『ろくやさん』に回ってみた。今年は11/7~8が縁日だ。
長くなるので、この話題は次回。

満腹感、充実感に満たされた一日だった。
このようなイベントにちょこっと参加できて、ささやかだが満腹感とともに精神的充実感に満たされる。これがここで生活する良さなんだなぁ。