2012年8月29日水曜日

ミツバチの敵 

たまたま目撃した光景から。

日本産のトンボで最大級のオニヤンマが、ミツバチの巣箱周辺に沢山飛んでいるのに以前から気づいていた。
なにしろこの類いのトンボは、この地域ではどこでも普通にお目にかかるので、目の前を通り過ぎても特段注意はしないような日常である。
なのでかなり注意深く観察しないと気がつかないほどなのであるが、その飛行する姿と遭遇する頻度が、巣箱の周りでは確かに高いことが、少し気にはなっていた。

その理由が今日分かった。
オニヤンマがニホンミツバチを捕獲して食べているのである。
全くの偶然だが、捕獲の瞬間とそのあと近くの木の枝に止まって食べている姿を見ることができた。
さらには映像にも収めることが出来た。

以下はその捕獲した後に枝に止まり食べている映像だ(枠からはみ出るが、今回は特別に大画像で)。
捕獲してすぐ木の枝に止まった。
近づいても気がつかない程、一心不乱に貪っていた。
トンボは貪欲である。


巣箱近くを巡回飛行するのは、捕獲効率は確かに良いだろう。

ミツバチの巣の出入り時の比較的低速時のミツバチを狙っている訳だから、オニヤンマもなかなか賢い。


食物連鎖と言われれば、確かにそうで納得は行く。
ただ自然界の掟であるとはいえ、罪もないミツバチが易々とトンボの餌食となり、無惨な姿になってゆくのを見ると、ちょっと悲しくなった。
(毎日観察しているので、どうやら情が移ったようだ)
ここまで近寄っても逃げない。
もうミツバチの姿はほとんど無くなっている。
長期間かけ丹誠込めて集めた蜂蜜をいきなり奪う人間も、ミツバチにとってはまさに天敵だろうがはけっして命までは奪わない。

2012年8月28日火曜日

作物禁忌

迷信といえばそれまでだが、農業には作物禁忌といい、「○○を栽培してはいけない」との言い伝えが根強く残っている。

また、以前のブログ(2011/11/06ブログ)で書いたように、ここ常陸大宮市東野地区では柚子の栽培が禁忌とされており、このように地域を単位とする作物禁忌もある。

かく言う我が家では、生姜(しょうが。葉生姜も根生姜とも)と干瓢(かんぴょう・・つまりはユウガオの栽培)が禁忌とされている。

近所の同姓一族の中には、キュウリを禁忌としている家もある。
農家で夏にキュウリを作れないというのはたいそう不便であろうと思うってしまう。

         

作物禁忌の理由は、全く不明のものがほとんどだ。
その理由はおそらく次のようなことだろう。
(1).その作物は神様が食する作物であるとの理由。
人間が食するのは恐れ多いから作らない。

(2).その作物により神様が怪我をすると困るからという理由。
神様は高齢で足が弱く(・・・誰も見たことがないはずだが、こういう場合の神様って『高齢』だったり『足もとが覚束ない』などやや弱弱しいのである)、神社近くの畑に蔓性の作物(南瓜、瓜など)を作ると蔓に足をからませ転倒して怪我したり、棘のある木を植えると目を怪我したりするので作らない。
東野の柚子はこれに当たる。

(3).いつの時代か、祖先がその作物を食べて病気になったり、死んだりしたことがある。
あるいは、当時の知識では死因が分からない、とくに疫病や食中毒などのとき、誰か(地域や一族内の有力者、寺・神社の僧侶・神官、はたまた占い師やら陰陽道に通じた祈祷師など)が推測でもって○○を食べたせいではないかという話をしたことが、伝聞推定の域を超えて事実として固定化され、伝わっている。
そしてそれを今も守る。
我が家の生姜などはこのケースかもしれない。

         

これらの言い伝えは、その禁忌とされる単位が、地域だったり家単位であることから、氏神の信仰や血縁を同じくする人々の結びつきが関係していると思う。
まさに、かつての家制度の名残であるだろう。
昔は、人力主体の農作業を続けてゆくためには相互互助は必須であり、そのためのユニットとしての神社単位の氏子だったり、先祖を同じくする血族の結束力・絆は、格段に強固なものであったからである。

しかし、それらの作物も神饌(神に供える)すれば食べてよいだとか、分家したタイミングで栽培を始めるのであればよい、など禁忌の規定はかなりルーズでもある。
所詮その程度のものなのではあるのだが、誰もあえてその禁忌を犯そうとはしないのである。
心の底に『何か気持ち悪い』感が潜み、『別にわざわざ禁忌を犯してまで作らなくても』というものがあるのだろう。
緩やかではあるが確実に現代も人々の精神を拘束している。

某宗教の教義のように、その食物(たとえば豚)を一切摂取してはならない、成分としてはいっているものまでダメ、というほど厳格ではないのがなんともほほえましく日本的ではないか。

         

我が家の隣の畑で耕作しているNさん。
趣味で農作業をしておられるというものの、なかなか本格的であり、実に丁寧にいろいろな種類の野菜を作っておられる。
そのNさんから、我が家での禁忌作物である『生姜』をいただいた。
立派な出来でありみずみずしい。
さっそく夕餉の卓に並べた。
掘りあげたばかりの葉生姜

         

こういった採れた野菜の物々交換や、栽培の情報交換も、その場でしばしば行われる。
野菜を介しての会話が弾む。
大事な近所付き合いであり、楽しい時間だ。そして参考になる情報も多々得られる有意義なひとときだ。
大切に残してゆきたい地域コミュニケーションであることは言うまでもない。

2012年8月24日金曜日

都会向け『疎開保険』

読売新聞の朝刊(8/24)から。

中国山地にある鳥取県八頭郡智頭町で考案した『疎開保険』なるものが注目されているという。
智頭町は中国山地中央部にある典型的な田舎の町だ
仕組みはこうだ。
掛け金に当たる年会費(一人10,000円)を納めると、災害にあったときに町内で受入れるという契約。
居住している地域が被災し災害救助法の適用を受けた場合、町内の民家や宿泊施設に1週間避難ができ、災害がなくても毎年秋には約4,000円相当の米や野菜を加入者に還元する、というもの。

昨年1月スタートというから東日本大震災の前から始まっている仕組みだが、震災後には加入者が急増しているという。
すでに契約者は300人を超えたということだ。
地理的に比較的近い大阪(80人)・兵庫(24人)からの申し込みが多いのは当然としても、東京(76人)・神奈川(27人)・千葉(17人)からの申し込みも多いのに驚く。
このシステムでは、定期的に町と都会とが交流できるうえ、町の農産物の販路が広げられるメリットもある。
何もない田舎だからこそ可能なことであり、都会と田舎がそれぞれの特長を活かし、互いのメリットを享受できる。
平常時から、物質的にも精神的にもつながり助け合うモデルがここにはある。

         

このような仕組みは、以前からここ常陸大宮・東野でもできないかと、常々考えていたことだが、ぼんやりと考えていただけで、具体的な行動はなかなかできないでいた。
(本来は自治体が積極的に音頭をとってやるべきことだろうとは思う)

いち早く実践した智頭町には敬意を表したい。
契約者数が増加しているとの報に心を強くした。
一年でこれだけの申し込みがあり、確かなニーズがあることが分かった。疎開地までの距離もあまり関係ないようだ。
潜在的なニーズはもっと大きいに違いない。
やり方によっては、きっとこの需要は喚起できるはずだ。
都市住民を田舎へ呼び込む強烈なきっかけとなりうる。
在京の親類だけへの声かけ対応ではなく、個人的なつながりからではあるが全くの第三者に対するシステム・サービスを作っていきたいと思う。

都市の居住者で、田舎に地縁・血縁などの頼れる知り合いがいない人にとっては、近すぎず遠すぎずの関係を保ちつつ(・・つまりは必要以上に濃い付き合いを要しない。ここがポイントだろう)、非常時には(契約をもとに)遠慮なく頼れるという、ちょうどよい距離感の仕組みであろう。

太平洋戦時中の疎開では、まだ都市住民にとっても田舎との地縁・血縁が色濃く残っていた時代であったからなんとか(窮屈で屈辱的な生活であったとしても)できたはずだが、いまはこのような仕組みでないと大半の人が疎開などできないだろう。
先の大震災を経験した現代の都市住民の方々には、何かしらこのようなコンテンジェンシープラン(Contingency Plan)を用意しておくことも大事だろう。
震災から生き延びたとして、次に生きてゆくための安心を担保する仕組みである。

         

災害は発生しない方がよいにきまっているが、発生したときになくてはならない仕組み。
これぞまさに保険の理念だ。

天災は忘れたころにやってくる(物理学者・寺田寅彦の言葉という)
首都圏にあって、常磐自動車道・JRのアクセスも良い場所だ
(JR玉川村駅 跨線橋から北東を望む)



2012年8月21日火曜日

真珠の耳飾りの少女

『真珠の耳飾りの少女』に会いに上野へ出かけた。
非日常的刺激を受けに、ということである。
東京都美術館 マウリッツハイス美術館展

          

今更ながらではあるが、こういった名画を鑑賞できるだけの鑑賞眼や知識を持ち合わせない身である。
そんな情緒を解し喜ぶ心がないような身でありながらも感じるのは、文句なく素晴らしいということ。
『心なき身にもあはれは知られけり・・』といったところか。
そして、意外に小さい絵画であるのに驚く。

陳腐な表現だが、不思議な魅力がある絵である。
薄暗い館内で現物に対面すると、その思いはより強くなる。

彼女の視線に射すくめられ、身動きできず、当方の心の中まで見透かされているような。
たとえれば、彼女の唇が『わたし、全~部知ってるのよ・・』とでも言っているような、かな。
この眼差し・・
この不思議な感じを、気のきいた言葉で説明できない語彙の少なさ・表現力の乏しさのわが身が悲しい。

感動の余韻を引きずりながら、美術館を後にした。
外は灼熱地獄だった。

         

日本でも人気あるフェルメールであるが、彼の作品の中でも特に人気の高い一枚である。
この種の有名絵画の展示の際はたいてい混雑するものと覚悟してはいたが、それにしてもすごい混雑だった。
入館するのに行列、入館して会場に入るまで(チケット切り離しの受付到着まで)に行列、(この絵だけではあるのだが)絵を見るのにまた行列・・・。
やっと彼女の前に来ても、『立ち止らずにお進みください』との係員の甲高い声が興を削ぐ。
普段の生活ではありえない人ごみ=混雑である。
あまりに人が多すぎて、田舎者は疲れてしまう。

         

小生に絵心が少しもあれば、我が家の咲き乱れるヒマワリも、キャンバスに描かれているのかもしれない。
ゴッホのように、とはいえないまでも。。

彼らの名画にも無論感動するのだが、ここの日々自然の織りなす風景も、またなんと感動の連続であることよ。
写真に収めることしかできないのが残念だ
夏の暑いイメージだけはお伝えできる画像ではないかと思う

 渦を巻いているが如き、整然とした幾何学模様
宇宙が表現されていると感じる

2012年8月18日土曜日

ブルーベリー摘み 盛況

今日の天気。小雨のち雷雨のち晴れ。
季節の変わり目の不安定な空模様たった。

この妙な空模様のなか、ブルーベリーの摘み取りに2組のお客さまがお見えになった。
一組は昨年のブルーベリー摘み・栗拾いに続いてのお越しとなった千葉・柏からの4人組メンバー。
もう一組は仲睦まじいカップルのお二人。横浜方面から。
お楽しみの皆さま
降ったり止んだりの曇天を見ながらの摘み取りはせわしくもあったが、籠に入れつつ頬張りつつ、お楽しみいただけたようだ。

さらに、穫りきれないで畑にある夏野菜を、皆様自身の手で収穫もしていただいた。
ナス・トマト・キュウリ・ピーマン・オクラ・ミョウガなど、こちらの収穫もまた新鮮な体験であり、十分に堪能されたようだ。
主催者としては嬉しい限りだ。

まだまだ受入れ態勢も設備も不十分であり、課題も多いと認識している。
来年に向けての仕事が山盛りだ。

皆様、こんな状況ではありますが、懲りずにまた来年もどうぞおいで下さい。

         

昨日(8/17)と今日(8/18)は、水郡線に『風っこ奥久慈清流ライン号』が走った。
JR東水戸支社 夏の臨時列車
窓が開放された、いわゆるお座敷列車だ。
我が家の前のおよそ1000本のヒマワリは今が満開だ
黄色く色付き始めた田んぼを眺めつつ走る
今日は、この列車を目的とした、珍しいお客さまも。
満開のヒマワリと『風っこ号』を一枚の写真に収めたい、とのことで重たい機材を担いだカメラマンがひとり庭先にやってきた。

撮影ポイントを入念に選び、機材をセットし、ずいぶん前から列車を待っていた。
どうやら無事に撮影できたようだ。
この方の話では、風っこ号の運行区間(水戸←→常陸大子)を全て現地調査して、このポイントを見つけたとのこと。
列車が近くを走る場所で、これだけのヒマワリがまとまって咲いているのはここだけらしい。
これもまた、ちょっとうれしい。
大量のヒマワリを植え育てた甲斐もあったというもの。
してやったり、だ。

2012年8月17日金曜日

ハチミツの採取予定のお知らせ

残暑見舞い申し上げる。

依然、残暑が厳しい。
県北部で激しい雷雨の模様

         

ミツバチはこの暑い最中も健気に飛び回り、花粉や蜜を集め続けている。
巣箱は炎天下に置いてあるのではないが、その中はさぞや熱いことだろうと思う。
今日のような日中の大気が異常に熱くなっているとき、しばしば外壁に出て固まっているのを見かける。

涼をとっているのか、羽で扇いで巣箱を冷ましているのか、やはり生き物だなと感じる。

         

ひさしぶりに巣箱の内部を見てみた。
いまは5段中の(上から)4段目中央部で巣作りをしているところだ。
3週間程前(7/21)から見ると、巣作りは確かに進んでいるが、以前程の巣作りピッチではない。
おそらくこの暑さのせいもあるのだろう。
ほぼ3週間前(7/21)の様子
・                 
今日(8/17)の様子
暑いからだろうか、ハチたちが箱の周囲に散らばっている。
おかげで巣の状態が確認できた。
ペースが遅くなっているとは言っても、最下段(上から5段目)まで巣が到達するのはもはや時間の問題である。
6段めを積み上げても良いのだろうが、バランスも悪く危ない。

やはり最上段を外し蜜をとる意外あるまい。
いよいよ採蜜の時期が来たよである。

なにぶん初めての養蜂であり、全てが初めての体験である。
YouTubeで採蜜作業の詳細を紹介されている方がおられるので、採蜜方法はそのまままねることにする。

採蜜作業は以下のとおりの日時で実施する予定だ。

この(・・滅多に見られない・・)作業を見学されたい方は、下記までご連絡くだされば個別にご案内差し上げます。
ぜひ貴重な体験をご一緒しましょう。(当然、参加費など無し)
ついでながら、その場でハチミツをちょっとは味見できるはずです。
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●日時         2012年9月1日(土)   午後1時〜 小雨決行
●場所        当ファーム園内(JR水郡線・玉川村駅近く)
●問合せ・見学申込み hitachi-satoyama-farm@live.jp   まで

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2012年8月14日火曜日

2012 常陸秋そば 発芽

8月に入り、適度な範囲で降雨がある。

大地はお湿りを得て、植物は一息ついている。
動物たちも同じであろう。

         

この適度なお湿りを受けて、先日播種した常陸秋そばが一斉に芽を吹いた。
ぞっくりと揃った新芽は、チビながらもうすでに蕎麦の様を呈している。



このチビの茎が伸び、白い花が咲き揃うのもアッという間だ。
ちょうど実が付く頃は台風時期で、簡単に倒伏してしまうことが多い。
さて今年はどうであろうか。

         

まだ日中の日差しは強く暑い日が続いているが、朝夕の風はめっきり涼しくなっている。
今日の空はすっかり秋の風情、鱗雲だった。
来月に入ると、まもなく稲刈り作業が始まる。

季節は足早に移ろっている。
空を見上げると鱗雲
足下の田んぼの稲は、稲穂が頭を垂れ始まった

2012年8月13日月曜日

お盆

今日(8/13)から、田舎ではお盆である。

『盂蘭盆会』と言うのが正式名称のようだが、このニュアンスだと仏教行事のような意味合いは確かに強い。
だが、民族学的にはどうやらそれだけでは説明の付かない部分も多いらしい。
きっと日本古来の神道における先祖供養の風習や神事に、そのあと伝来した仏教の教義が、はたまた徹底していた江戸時代の宗教政策などが、適度に混淆していまの形になったのであろう。
個人的には、農耕儀礼のひとつの形と素朴な祖霊祭祀の形が合わさったものではないかと言う気がする。
この行事にも正月同様に、根底には農の臭いがある。
地域によって、信仰する宗教によって、形はかなり違うようだが、あながち的外れでもないだろう。

しかも時代によって形もそれなりに変化している。
かく言う我が家でも、昔から伝わる通りの形を原則踏襲しつつも、飾り付けを含めて(盆提灯などはその典型だが)だいぶ簡略化し便利なモノに置き換わってきているのが実情だ。
こうやって文化は少しずつ変化を遂げつつも、引き継がれるようである。

         

まずもって大事なことは、形ではなく先祖を畏敬の念をもって供養することだろう。
今の自分がここにこうやってあるのも、先祖のお陰なのであるから。
系図や家譜などが確かな形で残っていて何代も前の先祖の名前が判明している家などはごく少数の名家だけだろう。
大多数の人は、5代前(おおよそ江戸時代末期あたり)以前の先祖の名前はたぶん知らないのではないかと思う。

だが、名前も顔も知らぬ先祖ではあろうが、確かにそこに誰かがいて、脈々と命が繋がれてきたからこそこの世に自分が存在するのだ。
縁(えにし)である。

         

年に一回くらい、祖霊が主役のこの行事で、墓参りのとき・あるいは祭壇に並ぶ位牌に手を合わせるとき・離ればなれの親戚・兄弟が集うとき、共通の先祖に思いを馳せることぐらいしようではないか。
このときぐらい、先祖を想う静謐な時間があってもよいではないか。

そのことだけでも(普段は先祖のことなど微塵も思い出さない身であってたとしても)きっとご先祖様はお喜び下さり、普段の行状をお赦しくださるに違いない。
なにしろ霊となった方は、われわれの墓参りの回数がどうの、仏壇の供え物がどうのなど、そのような細かなことでお怒りになること等けっしてない。霊的存在であるお立場となっては、ココロは広いはずだ、きっと。
そして罪深い子孫をお許し下さるはずだ、きっと。
でもそれに甘えてはいけない。
そんな怠惰・邪悪・不遜・横着なココロだけは見透かすしているはずだから。
Bon Festival
prayers are offered to one's ancestors

2012年8月11日土曜日

金スマ 5年目 夏の大収穫SP

昨日(8/10)、金スマ『ひとり農業』の夏野菜収穫のスペシャル版が放映されていた。
恒例となった感があるが『5年目 夏の大収穫SP』と題して、またまたいろんな野菜の収穫に関わる渡辺氏の奮闘ストーリーだった。
2012/8/10 金スマひとり農業

今回の放映では、6月から8月上旬に掛けての収穫となるグリンピース・スナップエンドウ、キヌサヤ、ラッキョウ、スイカ、キュウリ、ジャンボニンニク、マスクメロン、トマト、など。
実に盛りだくさんで、都市生活者に農耕ライフを素晴らしさと豊かさを余すところ無く伝えてくれている。
一人農業の企画の狙いはまさにここの一点だろう。

いつものことだが、映像としてみるのには大変に面白く編集されていて、田舎暮らしだったり、自然だったり、農業だったりが単純に素晴らしいものに思えてくる。

このようなTV映像で見ると、植え付ける映像の後は収穫の映像で、放っておけば自然に(勝手に)成長し、いとも簡単に収穫できるような誤解を与えかねないが、スキップされた中間の時間にこそ農業の大変さが、醍醐味が、面白さが、ある(・・・・と思う)。

  ⇨ 実際、この生活は大変な面も多々あるがそれ以上に素晴らしいものなので問題はない。実際に経験したことが無い人にとって、仕方がないことだが、この感覚はなかなか共有できるものではない(・・・と思う)。

今後もぜひ季節毎の特集を組んでいって欲しいし、長く続けて欲しい番組だ。
単純な田舎暮らしへの興味をひくことでも良いし、もっと進んで農業に対する関心を高めることでも良い、広く農業そのものをアピールして欲しい。

同じ市内で、山を2〜3つ隔てた同じような山間の場所で、同じようなことをしている者として、精一杯エールを送りたい。

それにしても、今回の放送で雑草の『スベリヒユ』という正式名称と、この雑草が食べられるものだと初めて知った。
農家にとっては厄介な雑草の代表的なヤツだ。
カラカラに乾いた地面でも生え、逞しい生命力の持ち主だ。
茎が赤い姿からだろうか、この地の年寄り等は『飲んべえ草』などと呼んでいる。
Wikipedia スベリヒユ
食べられると知っても、だからといって食べようとは思わないが、ちょっと見直した。

2012年8月10日金曜日

2012 常陸秋そば 播種

今年もいよいよ『常陸秋そば』の種を播く時期が到来した。
昨年の収穫分から確保しておいたものを、今日播種した。
(昨年はお盆の後の8/21に播種したが、今年はやや早めてみた)

         

『常陸秋そば』はご承知の通りその道の方には異常とも言える程人気が高い蕎麦である。
特に隣町常陸太田市の旧金砂郷村赤土地区で栽培されるそれはスーパープレミアムが付くほどの逸品である。
手打ち蕎麦にこだわる方には憧れの蕎麦粉であり、なかなか手に入らない幻の玄蕎麦のようだ。
お米では新潟県南魚沼郡産のコシヒカリ、いわゆる『ウオコシ』がつとに有名で高価な価格となっているが、蕎麦の世界では金砂郷・赤土産常陸秋そばがそれを上回る取引価格となっている。
そのぐらい、ブランド化したモンスター蕎麦が『常陸秋そば』なのである。

だからであろうか、毎年秋に行われる『金砂郷の蕎麦祭り』では、この金砂郷村産の常陸秋そばを使用して、蕎麦打ちの神様と呼ばれるあの『翁達磨』の高橋邦宏氏が打つ蕎麦を求めて何百人もの人が行列を作るのが恒例となっている。
昨年秋の金砂郷蕎麦祭りでは、会場に向かう車の列で付近の道という道がすべて大渋滞になったが、おそらくはこの高橋氏の蕎麦を求めた人々であっただろう。
ワタクシなどは、かかる事態が予想されたため(近隣の地の利・優位性を活かし)早めに会場に入り、高橋氏の店を含めてひととおり食べ歩いて、早々に会場を後にした。
帰り道、会場に向かう何キロも続く車の列にはさすがに驚いた。
きっと嫌気がさしUターンした人も多かろうが、それでも一度は食べたい『常陸秋そば』+『高橋邦宏名人の手打ち蕎麦』の組み合わせであったのだ。
・    2011/11/20 ブログ

蕎麦好きの人にはこのような混雑などはまったく問題にならず、逆に価値を高めるだけのものだったのかも知れない。

それだけの価値ある蕎麦だ。
その種を自分で畑に蒔き、秋には自分で収穫し、後に自分で石臼で手挽き製粉し、そして自分で手打ちして、食して愉しむ。
これに勝る贅沢は無いと思う。

暑い日中ではあったが、畝を切り、種を播き、土を掛け、作業を終えた。
蕎麦の種と畑
当地方では今がまさに種蒔き時であるので、恐らくさまざまな方・団体が今週から来週にかけて『常陸秋そば』の播種作業を行っている。
そしてブログなりHPにアップすることだろうとおもう。
例年、どなたのHPも力が入ったリポートで、なかなか熱いものばかりだ。
かく言うこのブログでも、年末近くには製粉なり手打ち蕎麦の話題を、今年も提供できることと思う。
今日は我が家の隣の畑でもNさんが蕎麦の種を播いていた
         
いつも思う。
たとえどんな世の中になっても(・・・世界が同時経済不況になったとしても、首都直下形大地震や東南海大地震が起こって政治・経済が麻痺状態になったとしても)、この土地さえあれば、農家はこうやって自然に生かされて、ヒトが生きてゆく上で必須の食物を自ら生産できる。
生命を維持できる。
他人を頼らず生きてゆける。
そして、働く場所がある。生き甲斐がある。
(身体が動く限り定年はない。精神的にも肉体的にも自由で解放されている)
・・・なんと贅沢で幸せなことであろうか。

こ難しいことはさておいて、ただただ蕎麦の種を播き、土を掛ける。
やがて咲くであろう白い花と、香り高い蕎麦の香りをイメージしながら。

ココロははや新蕎麦のあの香りと味に飛んでいる。

今年は自宅近くの条件の良い畑に蕎麦を播いてみた。
昨年は長年荒れ地だった畑での蕎麦栽培だったので、
今年は栽培環境は格段に良い。期待できる。

2012年8月8日水曜日

AYU ready?

常陸大宮市は、西を那珂川、東を久慈川という大きな河川に挟まれている。
その両河川の間の台地上に、旧大宮町の旧市街地が広がっている。

台地の東西の端の部分は急な崖になっているところが少なくなく、特に現在の大宮小学校がある付近の北側・東側は急峻な崖となっているうえ、鬱蒼とした木立が立て込んでいて人を容易に寄せ付けない。
ここがその昔に部垂城(へたれじょう)があった場所である。
地政学的にみても、天然の要塞となる絶好の場所である。
このような地形をして、辺垂(へたれ)=周辺が垂れ落ちている、という文字が当てられ(後に辺→部と変化)たのも頷ける。
残念ながらいまでは城跡としての遺構はほとんど残っておらず、小学校と幾つかの寺院・墓地に姿を変えているが、その天然の城壁ともいうべき崖は往時そのままだろうと思う。

         

常陸大宮市の元になったひとつの自治体に旧大宮町がある。
この大宮と言う名称は、やはりこの部垂城内の一画に鎮座する『甲明神(かぶとみょうじん)・甲神社(かぶとじんじゃ)』という神社に由来する。
(甲神社の尊称『甲大宮』にちなむ)
その昔、当地方の領主であった佐竹一族の信奉も篤く、室町時代に奉納された能面などの寺宝が多数あることから、県北地域においてはそれなりの影響力をもった社ではあったようだ。
近世初期まで近隣12ヵ町村の総鎮守であったと聞く。
甲神社
現在でも境内は杉の大木が林立して神秘的な雰囲気が漂う場所だ。
中には神木として崇められているかなりの大木の老木もある。

(⇨ 昔から続いた街の名前である由緒正しい『部垂(へたれ)』は、江戸時代になって今の『大宮』と呼び名が改められている。
どうにもヘタレは語感が悪かったらしい。
ただ、この『部垂』という名称は、秋田県大館市に移った佐竹氏の一族が町の名前として大切に引き継いでいて、現在も存続している。
一画にはちゃんと『部垂神社』もある。
常陸徳川氏の藩内に対する文化政策は徹底していたようだ。
寺社の整理統合は強烈であったし、どうやら地名等も含めて佐竹時代の文化を一掃したかったのではないか。
という意味からすると、本元の改称は仕方ないとしても、大館市の名称存続は、移り住んだ人々が常陸時代を懐かしんだ・常陸時代を忘れないというよりも、むしろ反骨精神だったのかもしれない。
かつて大館市を訪れ、部垂町を散策し小さな部垂神社の祠の前に立った時、そんなことをふと思った。)

         

城跡の周囲が旧の大宮町市街地の中心地である。
昭和40年代頃までは商店街も賑わいがあったが、ご多分に漏れず衰退が激しい。

地方の、これといって特色の無い小都市たどっている典型だろう。
この街も、旧道を避けて中心からはずれた場所にバイパス道が開通した。
すると大小の商業施設が沿道に多数開店。
警察署・役所・金融機関など主要施設も一斉に移動していった。
沿道は全国どこでも見られるのと同じ風景に変化し、チェーン店の看板が立ち並ぶ。
それに合わせて、人と車の流れが激変した。
そもそも少子高齢化が進み、人口が減っている最中、狭い街のなかでの旧市街地からバイパス付近への人口移動・建物移動である。
結果、歯抜けとなり駐車場が目立つようになった。
元は小売店であったであろうシャッターを閉めて久しいと思われる店舗も多い。
時代の流れとはいえ、寂しい風景だ。

         

そんななか、その旧市街地で頑張っているある店舗がある。
実在の店は呉服屋なのであるが、某ネットショップでは風呂敷専門店として名を広めている。
残念ながら昨今のご時勢として、呉服業界は将来大きく発展する可能性は極めて乏しく、最低限の一定数のニーズは残るとしても、むしろ衰退業種と言ってよいのでは無いかと思う。

そんななかで早々とネットビジネスに活路を見出したのは先見の明があったと思う。
それにもまして、取り扱う商品は実用に供する機会が激減しているあの『風呂敷』なのであるが、工夫次第でなかなかニーズを掘り起こせているようだ。

この店の店主は、失礼ながらご高齢の女性である。
このビジネスモデルに思い切って舵を切った当事者は、店主の息子さん(呉服店の運営会社の社長)であるのかも知れないが、まったくもって、そのご英断というか勇断には頭が下がる。

お店や商品の詳しい話はこの店のHPをご覧頂くとして、今回この店が取り扱う商品のひとつである『ステッカー』が、少しずつ話題になっているのでぜひ紹介したい。
ふろしきや HP

朝日新聞(週刊茨城朝日 8/8版)にも取り上げられた。

那珂川・久慈川ともに日本国内で屈指の、鮎が遡上する清流である。
その鮎をモチーフにして、語呂合わせもしつつ、街の活性化の一助にしたいという熱い思いがこのステッカーを作ったようだ。
常陸大宮市 ステッカー

町起こし・ふるさと再生・地域活性化に向けて、全国至る所で頑張っておられる方・団体がある。
それこそ取り組み方は千差万別だろうが、このようなやり方もあるのだなあと感心した。
それもこんな近くの場所で。

へんな先入観に囚われていると独創的なアイデアは出てこない。
最初からダメだと決めつけたら前には進めない。
この街が元気になることは、なんでもとにかくやってみようと思う。

このステッカーを見て、『お前の方は準備できたのか?』と問われているような気がした。