2014年1月28日火曜日

平成26年の蜜蜂飼育届等の提出について 〜茨城県県北農林事務所

ミツバチを飼う場合には、業としてでもあるいは単に趣味としてであっても、役所への届け出が必要になった。
昨年(平成25年)1月に施行された『改正養蜂振興法』にともなうものだ。
昨年はその法の存在を知ったのが2月であったため、遅れてではあったが茨城県県北農林事務所(常陸太田市)へ急ぎ提出した。
また今年も提出の時期となった(1月末までに提出しなければならない)。

この届け出には、1月現在の飼育群数とその年の養蜂計画などを記入するのだが、当然のことながら飼育計画は希望を込めて多めの蜂群数を記入している。
昨年提出時は飼っていた群数は『1』だったので一気に倍増の『2』としたのであった。

しかしながら、昨年9月にこの唯一の蜂群の巣箱がスズメバチの襲撃に合い、あっけなく全滅した。(2013/09/19ブログ)

ススメバチの飛来をしばしば目にするようになり、ススメバチ対策をそろそろしないといけないなぁ・・と思いススメバチ侵入防止の金網やらを買い込んだ直後で、明日には備え付けようとしていた矢先のなんとも悲しい大事件だった。

毎日毎日、朝に昼に夕に、飽きること無く眺めて観察していた巣箱である。
今はあの可愛らしいニホンミツバチの出入りが、無い。
愛情を降り注いでいた対象を、突然失った寂しさというのはそれはそれは大きかった。
今なおその後遺症は続いている。空の巣箱を見ると虚しい気持ちになる。

ではあるが気を取り直して、新たに今年も挑戦である。
県北農林事務所からのお手紙
今年は、控えめだが意欲的な数字『1』を計画飼育群数に記入して提出する。
ニホンミツバチの飼育計画を 1群 とした
ニホンミツバチを引寄せる蘭・キンリョウヘンも、春に開花するよう温室で調整している。
蜜源の菜の花を増やすため、菜種をいろんな場所に撒いた。
われわれ人間ができることは最大限準備して、ニホンミツバチ様ご一行をお待ち申し上げている。
分蜂の時期(3月〜5月)まであと少しだ。
あとは天に任せるのみ。つまりはミツバチ達の気分次第。
結果が出るまでの待つ間も、これもまた楽しい時間だ。

『1』といわず、『2』でも『3』でも(・・あるいは用意している巣箱全部の『6』でも)入って欲しい。
この場合の数字の外れについては大歓迎だ。

2014年1月27日月曜日

久慈の山・・のおこぼれ


常陸大宮市山方。
この街は、かつて山方城の城下で南郷街道の宿場町としての賑わいを見せた。
佐竹氏が常陸国を統治し、最も勢いが盛んだった時代(時の権力者である豊臣秀吉と佐竹氏はかなり親密な関係だったため、その後ろ盾もあって佐竹氏は関ヶ原の戦い前までは当地で絶対の権勢を誇った。秋田へ国替えする少し前、つまり西暦1600年・慶長の頃のことだ)には、この地が持つ地政学的な重要性からであろう、太田の佐竹宗家は重鎮・東義久を山方城主として送り込んでいる。

南北600mほどの直線的な宿並は、秀吉や石田三成と昵懇だった東義久が地割り整備させたときのものらしい(当時の佐竹宗家・佐竹義宣よりも、義久は信頼があったようだ)。
宿を貫く街道の北端は城の曲輪に真っ直ぐ続いており、防御上は好ましくない街構成のはずだが敢えて豊臣系の町割り(長方形街区)としたようだ。このあたりにも義久のしたたかさがうかがえる。
山方宿内の往還もさぞや賑やかであったことだろう。

・・・等と書きだすと、また佐竹氏の話か、と思われるかもしれないが、今日はもっとソフトな内容である。

         

今なお地名に宿の字を残す日本3大宿(新宿・原宿・山方宿)のひとつである山方宿であるが、残念ながら地方の小都市衰退の例に漏れていない。かつて賑わいをみせた宿場町はすっかり姿を消し栄光の時代の面影はほとんどない。その遺物遺構すら探すのは難しくなっている。

そんな場所なのだが、他の商店が続々と閉店・廃業する中で今なお往時からの伝統と技を連綿と受け継ぎ、しっかりと営業を続けている企業がある。
名門『根本酒造』である。
社のHPによれば、慶長年間から・・とある。まさに東義久が城主だった時代からである。
この街の栄枯盛衰を見続けてきた当地屈指の老舗酒蔵である。
国道118号バイパスからは酒蔵群と巨大な看板徳利(ストリートビュー写真中央部 高さは4〜5mはあるだろう)がよく見える。

         

根本酒造の代表銘柄が『久慈の山』である。
この銘酒を醸造した残りかす、すなわち『酒粕』を今年も手に入れることができた。

ご承知の通り、酒粕は『かす』といってもその秘めたチカラは極めて高く、素晴らしい食品である。
 ご参考  ⇨  酒粕の栄養  
The 酒粕 (by  根本酒造)
当たり前のように『甘酒』を作ってみることに。
レシピと言う程のものは何もない。
手で粗くちぎって水に浸しておき、ドロドロになったところで煮立てて、砂糖を入れてかき混ぜたら、出来上がった。
かき混ぜているときから、昇りたつ湯気の米麹のぷ〜んとした良い香りが、鼻腔をくすぐる。ひょっとしたらこの酒粕は大吟醸のものかも知れない、などとひとりごち。
色彩的にも柚子皮の黄色が入ると美しい。
口腔での麹と柚子のコラボは絶妙で素晴らしい。
そして以前、なにかで見たことがあり是非試してみたかったことがあった。
甘酒に『柚子の皮』を刻んで散して飲むと美味い、とあった。
先日皮を剥いて冷凍保存しておいたものがある。

単に甘酒だけでも十分に味わい深いのだが、柚子皮をほんの少し入れるだけでまた一段と風味が広がるから不思議だ。ここでも柚子皮は不思議なチカラを発揮するようだ(あくまで個人的な感想)。
鍋物や暖かい麺類には柚子皮が最適と信じていることは先日のブログで記した通りだが、甘酒にも最強の組み合わせであることを確信した。
こんなことは既にご存知の方もいることだろうが、小生としては意外な発見であった。

          

今年も県北地域は冷え込みが続き、久慈の山間の『袋田の滝』もかなり氷結したようだ。久慈川では『シガ』と呼ぶ川面の氷が流れたとニュース放映されもしたようだ。
まだ一月。寒い日が続く。

体を芯から暖め、健康にも美容にも良いとされる酒粕とその甘酒。
さて、これからの山仕事・・野良仕事には、『久慈の山』のおこぼれの甘酒を啜って体と心を温めてから出るとするか。

・・ささやかではあるが幸せを感じる瞬間である。
こんな当たり前のことを当たり前に続けられるということ、なんと幸いなことか。
いろんなのものに素直に感謝できること、実はこれがいちばん幸せなことではあるまいかと、最近妙に思うようになった。甘酒に酔ったからではない。。

2014年1月2日木曜日

柚子の香りと神の思し召し

ここ常陸大宮市東野地区では柚子(ユズ)を栽培してはならぬという言い伝え、すなわち作物禁忌を頑なに守っている。
ために、料理に使う柚子は他地域の人から貰うか、あるいはスーパーなどで買うということになる。(・・・他地域では普通に植えてあるモノなので、きっと貰うチャンスは多いだろうから、買い求める人はあまりいないのかもしれない)

東野地区の作物禁忌を知っている親類から、昨年秋にも柚子を頂いた。
枝から採った柚子の実は寒さに弱いうえに、あまり長期間の保存には堪えない。
発砲スチロールの箱に入れて置いておいたりするのだが、半月ほどもすると腐って黴が生えたりしてしまう。
専門の業者さんは何かしら良い保存方法や装置をお持ちなのだろうが、われわれにできる精いっぱいの保存方法はこの程度だ。

柚子の実で一番多く使う部分はやはり皮であろう。
七味唐辛子にも名を連ねている伝統的な香味だ。

日本料理には柚子をちょっと添えて味を引き立てるものがある。
甚だ個人的ではあるが、暖かいうどんや蕎麦、ラーメンなどの麺類にはこの香りが最高だと思っており、いつも使用している。
刻んだ柚子の皮を僅かに散らすだけでぐぐっと高級感が出てくるから不思議だ。格段に美味くなる。いや、むしろ別物になると思っているくらいだ。

深遠で不思議な力が秘められている柚子、というのが小生の考えである。
高級料亭で出される会席料理のよう(・・悲しい哉、そのような場所へは行ったことがないので全くの想像である)ではないか、とひとり悦に入っている次第である。

科学的に分析してしまうとなんとも味気ないが、やはり優れモノのようだ。
  御参考 →  柚子の効用  

という具合に個人的には大変好きな柚子の香りであるので、一年を通してこの味覚・香りを堪能するために、いまの時期にやっておくべき作業がある。
皮の部分だけを冷凍保存するのである。

冷凍していない皮は当然に香りは素晴らしいが、冷凍保存した皮であっても香りはなかなか素晴らしい。もともと皮自体の食感を楽しむものではないのでこの点で冷凍保存は好都合と言える。
冷凍されることで細胞が壊されるので、解凍時には香り成分が出やすくなるのではないかと思う(・・ただ確証はない)。


ピーラーで剥いても無論良いのだが、やはり少し厚めで長く皮を削いでおいて保存する方が、後々使い勝手が良いということを経験的に学習しているので、包丁で丁寧に剥き取っている。
こうやって剥きとってタッパーに入れて冷凍庫へ。

使うたびに少量とりだして刻んで散らす。
ちなみに昨年作ったもの(冷凍保存一年経過したもの)は多少色合いがくすんではくるが、十分に使用できる品質である。


一年経った2012年度のもの。
今季のものに比べれば見た目の色は悪くはなるが
品質には問題なく十分に許容範囲だ。
 
さてさて、冷えるこの時期の夕べには暖かい鍋物や麺が恋しい。
高級料亭の味を想像しつつ、刻み柚子を散らすとしよう。

それにしてもこんな有益な食材を禁忌扱いにした東野の鎮守の神様は、困ったものだ。
だがしかし、このように解することもできるな。
こうだからこそ、他地域の親類や知り合いと柚子のやり取りを通して今なおこうやってお付き合いが続けられる、と。
スーパーで買ってきてしまったら親戚付き合いも疎遠になるばかりではないか。
何かしらのきっかけが無いと親戚と言えども、行き来っていうのはしにくいものだしなぁ・・。
神の思し召しは、柚子の香りのように深遠であることよ。