2022年5月25日水曜日

里山の太陽光発電事情

この里山でもご多分に漏れず耕作放棄の農地が増えている。管理を放棄した土地は数年のうちに樹木が生い茂り原野と化してしまい、周囲で耕作している者にとっては大迷惑だ。草や枝が侵入してくるので幅広に(隣接する他所の田畑の部分まで)予防的に草刈り取りをしてゆかないといけない事態になっている。

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このような明らかに荒れた土地や、しばらく耕作していないように見受けられる土地を丁寧に調べ上げて、土地を売ってくれだの貸してくれだののお手紙が何度も届く。太陽光発電パネルを設置する土地を探している業者からだ。

法務局(登記所)でこれらの土地の所有者情報をひとつひとつ調べあげて、手当たり次第に手紙を出しているようだ。同じ土地に対して複数の業者からくることもある。法務局に出向いて謄本を閲覧したり交付を受けたりするには大変な手数料がかかるのだから、業者としてはかなりの投資になっているはずだ。

この手紙を受け取った人のうち、どれほど実際に成約が取れているのかはわからぬが、近時、この周辺でもちょっとしたスペースにソーラーパネルが設置されているところを見るとけっこうな確率でヒットしており、商売になっているのだろう。

数年前、我が家近くの老舗ゴルフ場がコースの半分ほどの土地を太陽光発電業者に売却しパネルを敷き詰めた。18ホール部分に加えてその関連部分であるから、かなり大規模の発電施設になっている。幸いこの場所は敷き詰めたソーラーパネルが周囲からほとんど見えることはないし、人家からも離れているので良いのだが、困るのは(不快なのは)人家のすぐそばのちょっとした土地にパネルが小規模で設置されるケースだ。

確かに土地所有者の意向でその土地を売却なり賃貸したりするのであるのであるから、その行為自体について第三者があれこれ言う筋合いはない。だが、傍から見て感じが悪い・殺伐としていると思うのは小生だけではないだろう。

東野地区の鎮守である地殿神社(赤丸)の北西側・南側、鳥居周辺にソーラーパネルが設置され、今後もどんどん広がる様子を見せている(次の写真)。青丸の部分が設置工事中だ。


荘厳な鎮守の森がピカピカのソーラーパネルで囲まれてしまう日もいつか来るかもしれぬ態である。ここに鎮まる大己貴命(おほなむち 大国主命のこと)も、素戔嗚命(すさのうのみこと)もさぞやびっくりしているに違いないが、神々に口はない。

驚いたり困ったりしているのは神様だけではない。家のぐるりをソーラーパネルで埋められてしまっているお宅がこの近所に実際にいくつかある(次の写真の赤丸)。

JR玉川村駅から北に600mほど離れた場所のお宅
東西南北(かろうじて南西の一角は免れている)パネルだ

地殿神社から北西に1kmほどの場所のお宅
こちらも四方を固められている

設置のその土地がそのお宅のもので自らの意思で設置したのであれば問題ないが、他人の土地であるとするならば、さぞや窮屈な思いをされていることだろう。

脇を通過するたびに目に入るので、いつも考えさせられる。反射でまぶしかったり反射熱で日常生活に支障をきたすとして裁判になっているケースもあるようだが、なかなか司法での解決は難しいようだ。ここもご近所トラブルになっていなければよいのだが。

就農人口の減少・高齢化が進み、耕作放棄地の増加も間違いなく進む。原子力発電や石炭火力発電に代わる自然由来の再生可能エネルギーをもっと増やすべきとの議論はたしかに大事ではある。だが、一方で無節操にソーラーパネルが敷き詰められ里山の風景を壊している現実もある。どんどん進む里山の荒廃とその風景の劣化に心を痛め、苦々しい思いでいる。

2022年5月20日金曜日

麦秋の色

大麦が実りの時期を迎えており、周囲が次第に緑が濃くなって生命力が漲ってきている中で、ここ麦畑だけが枯れた色、否、黄金色となっていてパッと明るい。このコントラスト、眺めがとても好きだ。


6月に入ると収穫が始まる。


昔(子供のころ)は、この大麦を加工した押し麦を白米に混ぜて、日常的に食していたものだ。栄養的にとてもよかったわけで、しっかりと健康に育てられた。

白米至上主義にとりつかれ白米ばかり食べて脚気になったという話(ビタミンB1不足。「江戸わずらい」とか「日露戦争での陸軍」とか)は良く知られている。健康のために日常のご飯に麦飯を食べている方も多数おられるだろうが、昔ほどは食用での需要はなくなっているのではないかな。おそらく大半は飼料としての利用なのだろうと思う。

しかしながら、ビール製造時に使用される「麦芽」というのはこのオオムギ麦芽だそうだから、姿形は変わってはいるとはいえ、日々お世話になっている。ありがたい大麦だ。

などとつまらぬことを考えながら、夏も近づきつつあるこの五月の風景を見ている。

2022年5月15日日曜日

五月蜂

「うるさい」を「五月蠅い」と当て字するほどに、ハエは追い払っても追い払ってもしつこく近寄ってきて飛び回る、ほぼすべての人に嫌われる煩わしく厄介な存在で、その羽音は実にうるさい。言えて妙な「五月の蠅」だ。

同じ昆虫の羽音でありながら、ミツバチたちのそれはどれだけ聞いていても不快にはならず、むしろ心地よいから不思議なものだ。

ほぼ毎日の巣箱見回り時、ハチたちの出入りの様子を眺めつつ、この羽音に聞き入りしばし時の経つのを忘れている。ちょっとした贅沢で幸せな時間。詳しいことは分からぬがミツバチの羽音からはリラックス効果のあるフルアァ波が発せられているのかもしれない。ミツバチLOVEの愛好者にとっては天使の羽音といってもよいだろう。ハエとは大違いだ。

youtube => 心地よいミツバチ巣箱出入りの羽音


2022年5月9日月曜日

機械に食われる農業

 4月から5月は田んぼの作業が忙しい時期だ。田んぼの土を掘り起こし細かくする。水を溜めて代掻きをする。苗を植える田植え。けっしてこれだけではないのだが、これらはこのふた月の間にしなければならない大事で、大変な労力を要する作業だ。天候に左右されることもあり、短期集中かつ労働集約的な農業の典型となっている。

代掻き作業
土がトロトロになるまで攪乱する
昔は牛に専用の器具を引かせて何度も歩かせた

このような狭く変形した谷津田では
二条植えの田植え機が活躍する

食糧自給・農業の効率化のためには大型機械導入による大規模化・省力化が必須であることは言をまたない。ましてや農業従事者の減少と高齢化が進んでいるのであるから。

しかし当地のような中山間地域で営農の大規模化ができない場所での農業ではどうしても最低限の機械化しかできないのが現状だ。年に数日しか稼働しない田植え機や稲刈り機などは壊れたからと言って高額な新品は導入がためらわれる。とてもいまの農業収入では償却できない。かといってこれ等の機械がなければ耕作が継続できないのも事実なのだから悩ましい。

おそらくだが、我が家のような中山間地域の農業と同じく、平野部で規模を拡大し大型農業機械がほぼ必須の農家でも、この機械がもたらす収益の多くは減価償却として機械自身に食われているはずだ。働けど働けど我が暮らし楽にならず・・ではないのか。何のために大規模化し収入拡大化を目指したのか分からぬようになってはいまいか。ちょっとでも前提条件が狂う(経営者の病気・機械の故障・風水害)と成り立たなくなる。共済や保険があるとしてもだ。

農業とは本来、その土地で人が一生懸命に働き、自然を活用して価値を生み出す産業である。土地が本来持つチカラを発揮できるよう条件を整えるために、人間がしっかりと自然を観察することが何よりも大事だ。一律に否定するものではないが、いとも安易に農薬や化学肥料、ひいては自然を無視した農業技術(冬場にキュウリやトマトを栽培するためにわざわざ暖房するようなこと)に頼るのは本来の姿ではない。

規模は小さくても低コストで農業を続けられる方向に舵を切らないと行き詰る。政策立案に長けた頭が良い中央の方々の机上のプランではなくて、現場の実情に沿った実現可能な策が必要だろう。100%ではなくとも最適な解はきっと見つかるはずだ。知恵の出しどころだろう。

などと思いながら、日常的に軽トラ・トラクターを使い、いまの田植え時には田植え機のお世話になっている。これらが壊れた時に次の機械を購入する決断ができるだろうか。次世代が今の状況での農業を継ぎたい・継げるとは思えない。かように理念だけでは続けられない厳しい現状がある。けっして望むところではないが耕作放棄も致し方ないときがやってくる。ご先祖様にはほんとうに申し訳ないが、現世を生きる我々の「生活」が優先されてもいいのではないかとも思う。

こんなところから地方の崩壊が深く静かに進行しているように見える。明治以降、近代~現代農業は進歩したように見えて百数十年でなにやら行き詰まりを見せつつある。平野部の大規模農業はひとつの専門工場の体であるのでそれらは横においておいて、ここらで「里山」に新しい視点の価値、ここでしか生み出せない価値を見出す思想が必要なのだろう。この過疎っている田舎には何もないようだが、実はお宝が埋まっていると密かに考えているのだがなかなか答えが見つからないでいる。

2022年5月3日火曜日

王女誕生の間(ま) 王台

ミツバチの世界では今の時期に新しい女王バチが生まれる。ひとつの巣・群れに女王バチが二匹併存することはないので、母親女王バチ(二回目以降の分蜂であれば先に誕生した姉の女王バチ。要は時系列的にみて前からいる女王バチ)が群れのほぼ半数の働きバチを引き連れて巣を新女王バチに譲り出てゆく。毎年営まれる種の生存と繁栄のための本能行動だ。

分蜂があった巣箱の中を覗くと、下の写真のような巣の一番下の先っぽに女王バチが生まれた場所を確認できる。ポッコリとした丸い壺のような形をしている。女王バチになるべく育てられるハチのために、特別に作られたこの部屋が「王台(おうだい)」と呼ばれる場所だ。

(写真のように、何個も王台ができるということは何回も女王バチが誕生するということであり、何回も分蜂するということ。成り行きに任せ立て続けに分蜂させると、群れは半分→半分→半分となり、一気に弱小化してしまう。なので人為的に孵化する前にこれを除去して分蜂をコントロールする養蜂家もいる。特にセイヨウミツバチの飼育では一般的な方法のようだ)

ここで与えられる特別な食事=ローヤルゼリーで女王バチとしての特別な能力(=産卵能力・寿命)と身体(=働きバチより一回り大きい)を得ることになる。この驚異的なパワーを我々人間も期待してローヤルゼリーを重宝しているわけだ。

赤丸部分が王台
左側の王台はすでに巣立った後
中央上はまさに部屋から出ようとする頃だろう
右側はまだ少し後になるもの

ただローヤルゼリーは新女王バチ誕生のときだけにごく少量作られる。ニホンミツバチの場合は女王バチ誕生回数自体が限られるうえ、王台に貯められる量はとても微量である。あまりに微量すぎてそれだけを取り出すことは実質的に無理に等しい。したがってニホンミツバチのローヤルゼリーはわれわれは食することはできないと考えてよいだろう(従ってニホンミツバチのハチミツには含まれていない)。一方、セイヨウミツバチの場合にはローヤルゼリーだけを採る特別な手法が確立されているため、商業目的で大量生産され製品化されている。ご存じのとおりだ。

一方で、通常の働きバチが孵化する場所は一般的なあの六角形の巣だ。育つ環境からしてこんなに違う。同じメスなのだが扱いはまるで違う、厳しい現実なのがミツバチの世界だ。

働きバチは生まれて死ぬまでの1~2カ月の間ずっと蜜を集めて働き続ける。女王バチは生まれ2~3年生きるとしてもひたすら産卵するだけの役目。どちらが幸せなのだろうか。どちらも幸せなのか。むろんそれぞれのミッションはそんな単純なものではないだろうが、いずれにしても各々に与えられた使命を立派に果たし、愛おしいほどに、精一杯、懸命に、ひたむきに生きている彼女たち。われわれ人間にはうかがい知れない世界があるのだろう。


ここの豊かな自然の中で存分に生の喜びを謳歌していること、それだけで両者ともに十分に幸せなのではないかと素直に思う今日この頃だ。・・・ミツバチ飼育はある意味で哲学でもある。