2012年5月31日木曜日

ホタル初見

ことしもこの里山の田んぼにホタルの季節が到来した。

今夕、自宅裏の田んぼ(ブログトップの写真に映っている田んぼ)で稲の葉中に仄かに点滅するホタルを見つけた。
まだ一匹ではあるが、今年の初見であり嬉しくなった。

ホタルが棲息していると思われる水路は、今年は大雨で水底まで何度も洗い流された。
先日の大雨の際は特にひどくて水底の砂利などはすっかり流れてしまい、ホタルの幼虫ももうダメだろうと思った程だった。

しかし、ふたたびこうやってホタルは戻ってきて神秘的な光の点滅を見せてくれている。
間もなく初夏。
巡り来る季節を感じる出来事であった。

         

水戸地方気象台が発表している『生物季節観測』によれば、管内でのホタル初見は平年では6月6日らしい。
     水戸地方気象台の生物季節観測 動物の観測日

寒・暑・雷・竜巻・大雨・強風など、異常気象が増えている昨今である。
人間にとっても驚き続きの気象だが、このような小さな生物にとってはとてつもない環境の激変であろう。
だがきっちりと季節を忘れずに出現してくれる不思議。

我々は彼らのためにもこの豊かな環境をしっかりと保全してやらねばならない。
これら小動物を守ることは、実は我々自身を守ることにつながっているのだが。

今宵また、ホタルの宴。

>>>>空を舞っているような映像だが、カメラ手ぶれによるものであり、実際には稲の葉にじっと留まったままだ。
>>>>この時期に現われるホタルは、ゲンジボタル。
申し訳なかったがフラッシュを発光させ撮影した。
葉の裏側にホタルがとまっている。

2012年5月30日水曜日

風神雷神

昨日(5/29)は西日本から東日本の広い範囲で、雹(ひょう)や雷雨にみまわれ落雷による火災等、被害が相次いだようだ。

常陸大宮市内でも午後になると黒雲がたれ込め、非常に強い雨と雹が地面を叩き付けるように降った。
氷の粒で地面がうっすらと覆われた。
合わせて激しい雷鳴も長時間続いた。
その様は、あたかも風神と雷神が共に怒り狂うような競演ぶり。
そんな状態が夜半まで続いた。

このような雷雨、今年は特に多いように思う。
気象庁はその直接的な原因は、大気の温度差が大きく・・云々と説明しているが、そもそもなぜ今年のように異常気象が多いのかということまでは説明しきれていない。
地球の回転軸でもズレたか。
あるいは地球侵略を狙うインベーダーが侵入して密かな転覆計画でも実行しているか。
またまた天変地異でも起こるか。

豊富な降水量は一次産業としては大切な資源ではあるが、過ぎたるは及ばざるがごとし。
どうか風神様・雷神様、お手柔らかに願いたい。



2012年5月28日月曜日

ミツバチの捕獲に成功せり

昨年から果樹園内にミツバチの巣箱2箱を設置して、ミツバチの捕獲を試みている。
その巣箱のうちのひとつに、先週からミツバチが出入りしているのが確認できた。

※ 巣箱には、A館・B館と便宜的に名前をつけた。出入りが確認できたのはB館。巣箱には表札をつけてみた。ミツバチの目には記号として映っているかもしれない。

一週間程様子を観察していたが、継続的にミツバチが出入りしており、次第に数が増えてきた。
どうやら一時的なものではないようだ。
巣箱設置2年目にしての出入り確認。
これでどうにか『ニホンミツバチ捕獲』成功、といって良いだろう。
やれやれである。
そしてやはり嬉しい。

キンリョウヘンの設置、蜜蝋の塗付など効果があるといわれることは全て試してみた。
どうにかそれらの苦労が報われた形だ。
シイタケ小屋南側で、スモモの樹の木陰に設置したミツバチの巣箱
常時数匹のハチが出入りしている
右の黒くなっている部分は蜜蝋を塗った部分だ
ややピントがボケているが一番奥のハチは
玉になった黄色い花粉を両足に付けて帰巣してきた
菜の花を始めとする春の花盛りシーズンはとうに終わり、人間にとっては目に付く印象的な花は少なくなっているように思うが、彼らミツバチにしてみるとまだまだ活動の場があるらしい。

黄色い丸々とした団子状の花粉を両足に付けて帰巣してくるハチが多数確認できる。
きっとハチミツも運んでいるのものがいるのだろうが、こちらは近くで見ていても確認はできない。

                                        

ミツバチをじっと観察していると、見飽きることがない。
飛び交うこれらのミツバチは、みな働き蜂である。
小さなその姿は実に愛らしく、ひた向きな働きぶり、奮闘ぶりには感心する。

夫々が脇目も振らず飛び交い、花と巣箱を頻繁に往復する。
全身全霊、一心不乱に与えられた働き蜂としての使命を全うしようとしている。
実に健気。いたく感動する。
楽しいのであろうか、苦しいのであろうか、何の疑問もないのであろうか、などとも考えてもしまう。
そして、なんとなくその様は現代のサラリーマン諸氏を見ているようでもあり、ちょっと悲しくもなる。

                                        

巣箱に耳を近づけると、内部からはアエコンの室外機が唸っていような低い羽音が聞こえる。
箱の内部にはかなりの数のミツバチが羽を振るわせて蠢いているらしい。
今まさに新居であるこの巣箱に巣を作っている真最中のようだ。
(あとひと月程したら、底板を外して底部の掃除をする予定なので、その際に内部を写真に収めたいと思う。)

予定では、秋にはこの巣が(人間という)強盗に襲われ、せっかく一夏かかって貯め込んだハチミツが奪われてしまうことになるのであるが、彼らはまだそれを知る由もない。
なんとまあ、自己の欲望のためには非情で、ワガママで、罪深き人間であることか。

                                        

この程度の数箱を扱うような趣味の養蜂では(けっして業として営む訳ではないので)手間が掛からない(・・手間を掛けない)うえに、ハチミツを自分で採るというなかなか一般の人は経験できない作業を楽しめ、更には食せるというこれまた大きな楽しみもある。

この秋にハチミツ収穫作業ができそうな場合、ぜひ見てみたいという希望者にはぜひ一緒に巣箱開封を共にし、滅多にできない経験を、感動をしていただければと思う。
またその時期にご案内したい。



今回の捕獲成功を契機として、新たに同形の巣箱を3〜5箱ほど作っていろいろな場所に設置しようと考えている。

ミツバチが活動する環境も、巣箱を設置する場所も十分すぎる程のこの庭だ。
いつの日か皆様に、純国産・天然・完全自然食品の、純正ハチミツをお分けできる日が来るかも知れない。

2012年5月21日月曜日

金のリング狂想曲

太平洋側を中心とした日本の広い範囲で21日朝、太陽の中心部が月に隠され、細いリングのようになる金環日食となった。
久しぶりにしみじみと天を仰ぎ見た人も多かろう。

日本の金環日食は1987年の沖縄以来25年ぶりで、今回のように広範囲で見られるのは932年ぶりだそうだ。
茨城県も含めて広くこの史上まれな天文ショーを観測できた。

                                         

いまでこそ、その仕組みが解明されて、さらには発生する正確な日時・観測可能範囲まで計算されいるため、何の疑問も持たずに心待ちにし、天を見上げで驚嘆の声をあげられる。

それに比べ、なにも知識がなかった古代の人たちにしてみれば、かかる不思議な自然現象は驚きと戸惑いであったことだろう。
何か不吉なことの前触れ・前兆と捉えたのも頷ける。
天照大神が天岩戸に隠れたという古事記・日本書紀に見える記録も、はるか古代のこのような不思議な記憶があったればこそ成立したものなのだろう。
大自然を前にして畏敬の念を抱くということ、現代などに比べはるかに厳しい自然とともに生きざるを得なかった時代の、実に自然で素直な気持ちであったはずだ。

ごく稀にしか見られない珍しい天体ショーとはいえ、ここ数日の21世紀の巷間は、やや騒ぎすぎのきらいがあるのでは。まさに金環食狂想曲。。
(これ自体がニュースになることは良いのだが。でもしかし言い換えれば、それだけ平和な世の中ということもできる。ただ足下を見れば問題山積の今の日本だが。)

テレビニュースもワイドショーも、新聞も、実に丁寧に観測のための情報を提供してくれている。至れり尽くせりの感がある。Too much!!
さらには、太陽を直接見ると目を痛めるから直接見ないようにとの『ありがたい』ご注意までも。
これを商機として、だいぶ観測メガネも売れたようだ。

当たり前だが、太陽を直接見ると眩しいし、目も傷めると容易に想像がつく(はずだと思う)。
だが、こぞってテレビ・新聞でこのようなことまでわざわざご親切に丁寧に言ってくれている。
聞いていると、なにか馬鹿にされている(・・もしくは幼児扱いされている)ような気がしないでもない。
本当にここまで手とり足とり教えてもらわないとだめなのだろうか、一般の人は。
皆さんはいかがお感じであろうか。

と思ったが、夕方のニュースでは6都県で16人が目の異常を訴えて眼科医の診療を受けた(日本眼科学会発表)とのニュースがあった。
このようなことは全くの個人の責任ではあるが、やはりどうしようもないのかな、今の日本では。
どうやらそれぞれが自分の責任で思考することを停止してしまったらしい

                                           

怪しいものを含めて、ありとあらゆる『情報』が氾濫している現代だ。
われわれにとって大切なのは、これらの情報の真偽を疑うことから始まり、取捨選択すること、次にその内容を理解し、吟味すること。
そしてその判断結果から、何かしらの行動を起こす、ということまでを含めて、いわゆる『情報リテラシー』の訓練がなされていないと、古事記・日本書紀の太古の昔の人ととなんら変わらない。
むしろ情報が害になってしまう恐れも。

農業に関する情報もまったく同様だ。
農業者のバイブルである月刊誌『現代農業』は、栽培方法やら改良機具やらの紹介で情報満載だ。
だが他地域での栽培成功事例などはここでは当てはまらないことももしばしば。
やっぱり当地の現場が一番大切なことはいうまでもない。
が、アンテナは広く張り巡らしよりよい方法を広く外に模索することも大事だ。
でないともっと良くしようとする現状改善は進まない。
要は情報と正しく向き合うことだろう。
でないと単に振り回されるだけで徒労に終わる。

                                             

今回は金環日食であり、太陽の光が月の周りから見えたため、薄暗くなっただけであった(皆既日食は太陽を月が覆うため夜の状態になる)。
もっと暗くなものるとひそかに期待していたのだが。
ではあるが、今日は素直に天を見上げ、自然に畏敬の念を抱いた。

次に日本で真っ暗になる皆既日食が(特に茨城地方で)見られるのは、2035年9月2日(出典:Wikipedia 日食)、とのことだ。
観測可能地域は能登半島から茨城県にかけてらしい。
あと22年後。。
果たしてどのような世の中になっているのであろうか。
この地域の様子はいかなるものか。
我々世代とて、そもそも生きていて天を見上げられているのだろうかとも思う。
今日のこの日(・・そして東京スカイツリー開業前日だったなど)を思い出しながら眺められることができたらなぁと。

2012年5月10日木曜日

ヒマワリの種を配布

昨年、JR玉川村駅前の無人野菜販売所の周囲にヒマワリを植えた。
大輪の花がいくつも咲きそろい、通勤・通学等で通り過ぎる方達の目を楽しませることができた。
昨年のヒマワリ
昨年秋にはこのヒマワリから大量の種が収穫できたので、今年は地域の皆さまにもそれぞれの家庭で栽培していただこうと考え、種を袋詰めして配布することとした。

昨年のヒマワリ栽培の試しみは、時節柄・地域柄から『放射生物質』の除染に役立つのではないかとの思いがあったが、公的機関による実験データでは、それがあまり期待できないとされた。
ではあるものの、あの黄色くて力強い花が街に大量に咲き揃い溢れているという風景は、それでなくとも活気がないこの街に少しでも元気を出させるのではないかと思う。

JR玉川村駅前の無人野菜販売所にて無料配布中
ビニール袋に小分けして説明書きとともに封入
今月中旬から来月あたりに播種すると、ちょうど夏の暑い盛りの時分に花が咲くはずだ。

できるだけ多くの方に配布して育てていただくため、ビニール袋に育て方の説明書とともに種を50〜60粒程入れ、300セット準備した。
この袋を4月末の連休から無人野菜販売所で無料配布中の張り紙をして並べている。
ほぼ2週間経過し、残りが僅かとなった。

この種がどこでどんな風に栽培されるかは分からないが、小さなヒマワリ種が大きく育って、いろんなところで人を楽しませ、元気づけてくれると嬉しい。
街の活性化などと大それたことは到底できないが、何か小さなことからでも始めれば少しずつでも何かが変わって行くはず。
その一助・きっかけになれば幸いだ。

2012年5月8日火曜日

ブルーベリー 花盛り

先日、栃木・茨城の南部周辺で発生した竜巻は、甚大な被害をもたらした。
家もビニールハウスも、そして農作物もメチャクチャになった。

近づいてくる竜巻を撮影したビデオ映像をテレビで見たが、恐ろしいものだ。
以前は竜巻発生や被害のニュースというのは、こんなにはなかったように思う。
明らかに頻度や内容が変化していると思う。
何か異変の前兆では・・、などというのは考え過ぎであろうか。
杞憂であれば良いのだが。

         

昨年、多くの皆さんに楽しんでいただいた我がブルーベリー園。
今年も枝に沢山の花が付いて、いまが真っ盛りである。
そこかしこで、ミツバチの一種である『クマバチ』が受粉作業に大忙しである。
黒くて大きなクマバチ
見かけによらずおとなしいハチだ
今年は冬の間に枝を剪定して、混合っていた枝・古い枝をだいぶ整理した。
スッキリして満遍なく日光が当たるようになったものと思う。

今年もまた豊作であることを祈り、皆さんにお越し頂ける日を楽しみにしている。

2012年5月6日日曜日

となりのトトロの時季

スタジオジブリによるアニメーション『となりのトトロ』は、多くの人が目にしたことがある作品だろう。
徳間アニメ絵本より
かつて子供と一緒に映画館に足を運んで見た人も多いことと思う。
繰り返し繰り返しテレビで放映されてもいる。
息の長い人気あるジブリアニメのひとつだ。

古き良き時代のノスタルジーが強烈に全面に押し出されている作品だが、陳腐な表現だが心温まるアニメということができるだろう。

         

話は、昭和30年代前半の田舎を想定している。
そして、このとなりのトトロの映画の始まりの部分は、草壁親子が小さな三輪トラックに荷物を満載して引っ越してくる場面だ。

5月の日曜日、天気は晴れ。
水が張られた周りの田んぼは田植えが終わっているのか、これからなのか、という状況のようだ。
まさに今の時分であろう。
始めの部分
(徳間アニメ絵本より)
この常陸大宮市東野周辺の雰囲気も、このアニメそのままの感がある。
深い森の緑と田んぼが広がる風景。
点在する家の造りこそ今風のものに変わったものの、あたりの風景は昔となんら変わっていない。
見渡す限りの里山の森は、濃淡ある色とりどりの緑。
目に青葉・・である。

この時季のこの山々の緑を目にすると、この『となりのトトロ』の冒頭のシーンをいつも思い出す。
JR玉川村駅の歩道橋からの眺め


このアニメのキャッチコピーは『このへんな生きものは、まだ日本にいるのです。たぶん』というもの。
確かにこの森の中には、何かが棲んでいると思っている。
森の精とでも言ったら良いのか。
その気配を感じる。
姿・形はたとえばあの大トトロや小トトロ、あるいは猫バスやススワタリなどのようなものにすると理解し易いので、アニメではあのようなキャラクターになっていのだろうが、決して当たらずとも遠からずではないかと思う。
これぞ宮崎アニメの真髄であろう。

         

農業で穫れるものに限らず、自然の恵みはすべからくこれらの目に見えない『何か』による賜物である。
間違いない。

2012年5月4日金曜日

雨後のタケノコ

昨日の集中豪雨によって、茨城県内でも崖崩れが発生した。
ニュースの映像を見ていても、なにか秋の台風の際の如くの内容ばかりであった。
多すぎる異常気象・・・どうなってしまったのだ、日本は。
なにかがおかしくなっている。

我が家の田植え直後の田んぼであるが、どうにか単なる冠水で済んだようだ。
当然なかには流されてしまった苗もあるのだろうが、一部の被害に留まった模様。
まだ濁った水が多くて十分な確認はこれからだ。
しばらく水が引くのを待つしか無い。

         

昨年もタケノコを頂戴した親戚から、タケノコを掘りに来ないかとのお誘いの連絡があった。
早速伺った。

親戚宅の裏手にある竹林に入る。
まさに『雨後のタケノコ』状態である。
竹林のあちらこちらに頭を出している。

背負い籠一杯のタケノコを掘り上げた
これだけのタケノコ。
皮を剥き糠を入れて煮るだけでも大変だ。

         

この親戚の家では、ワラビを栽培している。
例年ならば地元スーパーにも出荷している極めて品質の良いモノだ。
だが、放射生物質の基準値が4月から厳しくなったことで常陸大宮市内のワラビはタラノメと合わせて自粛要請となってしまい出荷できないでいる。

⇨常陸大宮市はタラノメは新基準値(100Bq/kg)の1/10以下。ワラビは検出せず、であるが自粛要請が出されてしまったので仕方ないようだ。

茨城県のHP  ・・特定林産物に係る放射生物質の検査の結果について
ためにお裾分けとなった。
収穫したワラビとワラビ畑
(実際の収穫量はこの10倍以上だ)
さっそく夕食でタケノコとワラビを堪能したことは言うまでもない。

         

それにしても東電はこの原発事故で、取り返しのつかないことをしてくれたものだ。
大に小に、様々な形で人々の暮らしを破壊してしまった。
質素に慎ましく、勤勉に、正直に、生活してきた人々の、今の生活と将来の夢までを、一瞬にして壊した。

原発施設のある場所は、ほぼ全てが自然豊かな地方である。
電気を浪費している(としか見えない)『大都市』なる宗主国の市民のため、電気をせっせと作りつづける植民地としての『地方』の構図がここにはある。

発生した事故をいまの科学技術ではコントロールできない原子力。
何万年もの将来までも放射能の汚染を後遺症として残すのである。
今を生きるこの世代がこの快適な生活を守るために、このように将来にも多大な犠牲を強いてしてしまってよいのか、という倫理的な問題もあるはずだ。
原発事故がなくとも、原子力発電で出される放射性廃棄物について、最終処分場の場所も処理技術もいまだに見通しがつかないでいるのが現状ではなかったか。

そんな技術的にも解決すべき課題が多いまま見切り発車してしまった、問題先送り山盛りの原子力発電なのである。
見たくない部分には目をつむり電気を消費している。刹那快楽主義・・。

我々は(自分たちの子や孫、さらにその子孫のためにも)、この科学の火がなくても生きて行くだけの知恵を、いまこそ持たねばならないと思う。
いまの生活も見直さねばなるまい。

         

そういえば、『茨城県民の歌』の3番には『世紀をひらく原子の火・・』という部分があったのを思い出した。
一定の年齢以上の茨城県民であれば学校で習い(・・ことあるごとに歌わされ)きっと歌えるはずだ。
 ⇨  茨城県民の歌
あのころは、原子の火が明るい未来を開いてくれると信じていたのだが。

2012年5月3日木曜日

5月の豪雨

ゆっくりとした低気圧が東に進んできている。
今日の昼前後、激しい雨に長時間見舞われた。
せっかく昨日までに植え終えた稲苗が、この激しい雨に伴う水流で流されやしまいかと気が気で無かった。
田んぼの排水口を、いくら調整してもとても追いつかない流入量であり、手のホドコシようがない。
ただ雨がやむことを祈り、見守るだけである。

これから雨が止んでも、保水力のたっぷりとある山に囲まれた田んぼであるため、しばらくの間は大量の水が流れ込み続ける。
田植えを終えた田んぼ(右側手前)も全面冠水した
左側の谷間からは怒濤の如く水が大量に流れ落ち、田んぼへも入り続ける
我が家の裏手にあるため池も、既に満水状態。
かなり大きめの排水口から、激しく流れ出ているもののとても追いつかず危険水位を超えてしまい堤を超えようとしている。

何とまあ激しい豪雨であったことか。

この豪雨で冠水した苗たち。
まだ泥に定着もしていない田植え直後の苗たちである。
心配であるが、どうなっているのかいまは確認のしようもない。
流されていないか、どの程度再度植え込みが必要かどうか、明日確認するこことしよう。
いつもは穏やかに流れるため池の放水路も
大量の水が激しく流れ落ちている
これだけ排水してもため池は溢れそうな状態が続いている
順調に進んでは早めに終了した田植えだが、早めたことが、吉と出るのか凶と出るのか。
まったくもって自然相手は悩ましい。

2012年5月2日水曜日

田植え 終了す

明日からの雨の予報に接し、田植えを急いだ。

早朝より田植えを開始し、残りの4カ所の田んぼを一気に終わらせた。
夕刻からは雨が降り出し、雨中の強行軍であったがなんとか明るいうちに機械も引き上げることができた。

当ブログのトップ写真の田んぼは、例年最後の田植えとなる場所。
モチ米を植えている田んぼだ。
ちょうどここを植えている頃に雨が強くなってきたため、雨カッパを着ての作業となった。
雨カッパを着ての田植え作業となった
周囲の山々の緑が急に深くなったのがお分かりと思う
とにかく、とりたてて(機械等の)トラブルも無く無事に田植えが終了したのは幸いであった。これで一安心である。

田んぼでの作業はおわったものの、諸々の後片付けが残っているが、これは明日の作業としよう。
JR水郡線夕方5時の下り列車が通り過ぎた
         

例年恒例で栽培している古代米の一種『赤米』の苗も、今日あわせて植え終えた。

品種改良された代表のような現代品種である『コシヒカリ』の苗と較べると、この古代米は格段に原種の特徴を残しているような気がする。
たとえば、コシヒカリと同じように種を専用土に播き、同じ場所に置き、温度管理をし、灌水しても、根の張り方には大変に違いがあるのである。

近時の品種改良では、食味の追求や病気に対する耐性、育て易さなど、じつに様々な研究と開発・改良が加えられ、素晴らしい食味や育て易さが実現できた。
そのひとつの結晶が、いまのコシヒカリなどの現代の美味い米の品種である。

古代米の根は、コシヒカリと較べるとずっと貧弱である。
生育してゆくためには根が密に張っているほうが有利であろうと思われるのだが。
古代米の収穫量は、コシヒカリに較べると単位面積当たりずっと少ない。
これもまた原種の特性であろう。
コシヒカリの苗の根
真っ白くなるほどビッシリと密に張っている
古代米・赤米の苗の根
コシヒカリに較べるとずっと疎になっている
苗の茎・葉も違いが明瞭だ