今日の茨城北部は、いかにも台風の影響といった風・雨・晴れ間であった。
晴れ間が広がったと思ったら、激しく打ち付ける雨と風。そしてまた晴れ間。
屋外での仕事予定が立てにくい天気である。
そんな目まぐるしく変わる天気の中、2011年度の稲刈りを開始した。
まだ近隣周辺の田んぼでは稲の刈り取りは始まっておらず、当地区では最初の刈り取り開始である。
5月1日に2011年の田植えを一番最初に行った田んぼから稲刈りを開始した。
田植えも一番最初・稲刈りも一番最初の田んぼだ 田んぼのコーナーには、稲刈機が入る(回転する)スペースをあらかじめ手刈りしておく |
このままあと数日放置すると、稲穂から発芽してしまう可能性もあるからだ。
昨日来の台風の風でさらに倒されてしまい、田んぼ一枚の半分近くが倒れた。
よく実った反面、頭が重たいので倒れ易くなっている 風の通った方向が見て取れる |
機械で刈り取るにしても寝てしまった稲は厄介だ 倒れた時期により向きも異なっている |
今では多くの農家はコンバインを使っている。
稲を刈り取りながら、同時に稲穂の脱穀までしてしまう優れもので、省力化・効率化の切り札だ。
そして稲穂を取った後のわらは細かく刻まれて田んぼにまき散らす。
したがって農作業に使える稲ワラは非常に少なく限られてしまう。
脱穀した稲籾は乾燥施設に運び、機械乾燥させることになる。
そこには昔ながらの、稲束をオダ竿に掛け、天日乾燥させる風景はない。
省力化のためには仕方ないのかもしれない。
なにせ高齢化と兼業化が進む農業である。
昔ながらの、稲束を掛けるオダを作り、一束ごとに掛け、天日で十分に乾燥させ、そののち回収して脱穀する、という手間と体力のかかる作業はやっていられないのだろう。
だが、我が家ではこの作業を今も続けている。
稲刈り自体は稲刈り機で大半を行うものの、稲束をオダに掛けて干すのである。
稲刈り用の鎌 ギザギザがついている |
稲束を掛けて干すこの作りをオダと呼ぶ 脚となる3本足(オダ足)をワラ縄で縛って作る。横棒(オダ木)を渡す 設置・分解が簡単に出来る簡易設備だ |
経営的な理由を幾つか挙げれば、コンバインを導入したところでその導入効果に見合うだけの整理された広い田んぼではないこと(一枚あたりが狭く曲線に囲まれた田んぼが多いのである)、米価が安いため機械の減価消却がとうていできないこと、総耕作面積自体がさして広くはないこと、年に数日間しか利用しない典型的な機械(しかも高価)であること・・などがある。
コンバインによる効率的な農業は否定はしないが、我が家にはその導入メリットがあまり感じられないだけなのである(機械を持たないもののヒガミではない)。
それに、なによりも天日干し・自然乾燥の稲に拘りがあるのだ。
天日による自然乾燥の米は、短時間に人工熱風で乾燥した米にはない味わいがある(と確信している)。
さらに付け加えるならば、伝統的な稲刈り作業の手の感覚を忘れないためだ。
手間はかかるものの、そこには昔からの伝統的な手順と技・コツがあり、機械に頼ると忘れてしまう。
このような勘やコツ、技はいったん失うと元に戻せない。
そしてどんどん人間は退化してしまう。
何でも機械に頼り、機械の出した答えを正しいと信じ込んでしまう。
大事にしたいのは、自然から情報を読み取る本能的な能力とでもいうことだろうか。
あるいは微妙な指先の感覚で善し悪しを判断する力、とでも言うべきか。
このような本来人間が持っている能力を大事にしてゆきたいと思うからだ。
3本のオダ足を田んぼに刺し、竿を渡す脚の組み立てなども、実に経験と勘が必要だ。
簡単そうで意外と難しいのだ。
脚を立てる田んぼのぬかるみの判断。力の加減。
稲束を掛けて倒れないようにバランスよく水平に脚を立て竿を渡す。
刈り取る面積ら判断して竿の長さを確保する。
また、手で刈り取った稲束を括るのにもコツが要る。
手刈りした時にはワラで稲束を括るが コツが要る |
稲刈り機械が入る場所をまず最初に手刈りする |
田植えの準備から始まり、稲刈り後の、脱穀、籾摺り、精米まで。
稲作の農作業とは、まさに総合芸術だろう。
台風性の雨が強くなったため、稲束にビニールシートを掛けて 本日の作業を終える |
明日以降、天候を見ながら(倒れた稲の状態を見ながら・・遅れると発芽してしまうからだ)一気に刈り進めることにしよう。
台風一過の晴天を期待したい。
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