2011年11月29日火曜日

福島県伊達市のコメ問題

残念でならない。
他でもない。
福島県伊達市の2カ所のコメからを超える放射性セシウムが検出されたことで、福島県に対してこの地区の今年穫れたコメの出荷停止の指示が出されたという報道である。

コメが出荷停止になったことが残念なのではない。
無論それもあるが、それ以上にいったん安全宣言が出たにもかかわらず、出荷も始まったところでのこの検査結果が出されたことで、底知れぬ絶望の縁に立つ農家の方々の気持ちを考えると、である。

自分が出来ることでなんとか福島の方々を支援したいと考え、安全とされたコメを購入することで、具体的に行動を起こされた方もおられるに違いない。
検査の結果が、国の暫定基準値以下で『安全』であるということを根拠に、買い求めたはずだ。

買おうとした、あるいは買ってしまったが、その後で基準値以上の数値が出たとの報道である。
さて一般的な消費者はどう行動するか。
敢えてこれから買い求める人など恐らくいないだろう。
それはそれで仕方ない。

          

それ以上に心配なことは、ややこしく、如何ともし難い次の段階である。
一般大衆の意識としては、これまでの検査への不信感、なによりも福島の農家ならびに諸機関への不信感がいっそう深まってしまうのではないか。
本当は放射線量が高いコメ(あるいは場所)があるのを彼らは知っていながら隠してきたのではないか。
今回公表された以外にも汚染されたコメ(あるいは場所)があるのだろう。
どうせ検査なんてそんな程度のものであり、信じられない。
・・・などである。不信ここに極まれりだ。

仮に、全くの第三者が行う厳密で精度の高い検査によって、放射性物質の検出がゼロとなったとしても、このいったん付いた「放射能・フクシマ」ブランドだったり、「安全とされた後で高放射線量が検出されたコメを作っていた地域」というレッテルは容易に剥がせない。
このような不信感が根付くと、完全に払拭することはまず不可能に近い。
そして福島の農家は、今年、来年も再来年も、おそらくは向こう半世紀以上はこの放射性物質と向かい合わねばならないのである。
あまりに惨い現実である。同情を禁じ得ない。

実質、福島でのコメ農業は不可能と、死を宣告されたに等しい。
まさに風評被害の最悪の極みである。

          

この、「後で公表された都合の悪い(望ましくない)事実」というものは、いたく人の心を傷つけ不信に陥れるものだ。
いったんこうなった以上、愚直に全量検査(大事なポイントは全量検査である)を続けて、数値を公表してゆくしかないだろう。
もう『サンプルチェック』では市井の人心は納得しない。
福島に何枚の田んぼがあるのかは分からない。
今回の2地域と似たような環境にある雨水が集まり易い谷津田がどれだけあるかは分からない。
それらの田一枚一枚の全てを、そして一枚の田の中で出来るだけ多くのポイント(最低でも四隅近くと中央の5カ所であろうか)で、検査をしてゆくのだろう。
そして、穫れて集荷された後のコメでも、全ての袋を軒並み検査するのだろう。
出来るだけ多く、しつこいくらいに。

かつて牛肉のBSE問題の際には、肉を全量検査するという安全安心を担保するシステムが構築された。
この先例に習い、同様のシステムの構築することが唯一の方法であり、実行が急がれる。
でないと、作っても作っても信用されない・買ってもらえない、まったく徒労のコメ作りになり、福島の農家が浮かばれない。
そもそも、原発事故さえ無ければこのような事態は起きなかったのだが。。。

          

いったん事故が起こると今の科学の力ではコントロールできないような、そういった意味では未熟な原子力なのである。
使用済み燃料の最終処理の技術さえ、まだ確立されていないはずだ。
問題先送りの原子力であって、時期尚早な技術へ全面依存しているのがいまの原子力だろう。

急遽入院し退任した福島第一原発の吉田所長が、奇しくも会見で述べている。

『格納容器が爆発していれば、大量の放射能が出てコントロール不能になる(と思った)』
『最悪の場合、メルトダウンもどんどん進んでコントロール不能になるという状態で「これで終わりかな」と感じた。』
『次がどうなるか私にも想像できない中、できる限りのことをやった。感覚的には極端に言うと「もう死ぬだろう」と思ったことが数度あった。』

これが現実である。
現場を経験した責任者としてのご発言であり、ずっしりとした重みがある。
今後、我々が半世紀以上も背負わなければならない『放射能』という重荷を考えるとき、暗い気持ちになる。
東電による住民への賠償は当然としても、金で片付かないものがあまりに大きく、先の長い果てしない苦悩を福島県民に強いるのだ。

それでも、世論は発電コストを論じ、原発推進を語るのだろうか。

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何度も言うが、安全安心な場所で、ラクチンな便利生活を享受している都市部の方々には、この深い苦悩は到底分かるまい。
特に評論家という職業の方々は、無責任きわまりない発言が多い。
多数の国民の間では3・11が過去のものとなりつつあるかもしれないが、当地では今なお現実の切実な問題であり、過去の話では決してない。
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やはり脱原発が人類にとって幸せな道なのだろうと思う。
エネルギーを含めた大量消費社会を根底から見直すことだ。
(今までと較べると)生活は格段に不自由にはなるが、昔の生活に戻ることができれば、それが本当に幸せな社会なのかもしれない。

イデオロギーは別として、田舎で目指そうとしているシンプルな生活は、それに近いかもしれない。
籾殻を焼き燻炭として農業に使う。
煙も燻炭も自然に帰る。エコロジーな生活がある。
1時間に一本程度の運行の水郡線だが
この生活を不便とは感じない

1 件のコメント:

  1. 原発の問題が地震より被害が大きと思います。福島県の農家たちは可哀想です。番組で渡辺さんの新米は放射性物資非検出ことを見て、茨木県の野菜も大丈夫かなと思いました。

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