2011年11月28日月曜日

里山の色

いよいよ紅葉シーズンが最終の局面に入りつつある。
わが里山も、それぞれが葉を順番に落としてきて、木々の隙間から青空がのぞくようになった。
山肌が露になり、寒々とした姿になる日も近い。

         

この辺りの山には、人工的に植林した杉・檜の一帯が随所にある。
半世紀前までの時代には、燃料としての粗朶の収集には不可欠な場所であったのだろう。
里山として長く生活に密着してきた場所である。

ただ残念なことに、かつてはその生活様式に適合した里山の存在価値と形式ではあったのだろうが、今のエネルギー事情の時代にはそぐわないと言わざるをえない。
故に、人が入らず手入れもされずに荒れる一方だ。
いまのままでは存在意義が失われつつある。
必要な部分は残し、役目を変えて行かねばならない。

付け加えて、この植栽構造は景観としてはすこぶる良くない(と個人的には思っている。さらに付け加えると、杉花粉による花粉症の発生源でもある。まったく厄介者扱いだ)。
針葉樹の常緑樹であり、その部分だけいつも黒々とした場所となっている。
当然、樹下は薄暗く湿った空間である。
・・・ただし、この環境はシイタケ原木栽培にはかなり適した場所である。我がファームでもかなりの数の原木を林の中に並べている。その恩恵を享受しているので必要なものは残し、十二分に活用するという主義でいる。

これらのエリアをなんとかしたいと思っている。

         

杉・檜の林以外の場所は、大抵がクヌギ・コナラ・シデ系の落葉樹だ。
紅葉の色彩としては同じような色、すなわち明度の低い黄色、橙である。
カエデやハゼのような燃えるような赤、という訳にはいかない。

山全体がくすんだ色になる、というのが分かり易いであろうか。
もっと極端な言い方をすれば、ただ単に葉が枯れた、という方が合っているだろうか。
目を見張るようなアピールが無いのである。
谷津田を抱く里山の紅葉
色彩としてはパットしないが、その恵みは計り知れない
鮮やかな紅葉が見られる山岳地帯のような、寒暖の差も足りないのは確かにある。
が、それ以上に違いの大きな理由は植栽の内容である。
色鮮やかな葉、たとえばモミジが、ほとんど無いのは事実。
アクセントが見当たらないのだ。
要はメリハリがない山々なのだと思う。
仕方あるまい。
里山は生活と直結した、あくまで燃料・堆肥の源泉の場であって、眺めがどうのということ等は全く問題にしなかったはずだから。

逆に言うと、ちょっと手を加えれば見違えるように鮮やかな紅葉に映える山になる(可能性がある)かもしれないということだ。

ここに桜山・紅葉山を作りたいとする大きな理由がある。
いまの時代のニーズに即した里山に作り替えたいのだ。
人が眺めて美しい、楽しい、と思えるような里山であり、農業にも有意な里山が出来たらいい。

         

寒さに向かう日々、頭の中にそのメリハリを効かせた鮮やかな紅葉をイメージしつつ、薮を切り開き、木を伐り倒し、里山を作り替えるための作業が続く。
丸裸にするのではない。堆肥作りのための落ち葉のための木を残しつつ、である。
我々は里山に生かされている。
共存共栄が大原則だ。

これら全ての作業が、「楽しい」の一言だ。

1 件のコメント:

  1. 綺麗な里山です。毎日この綺麗なところで農業の仕事をやると幸せです。

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