2011年8月23日火曜日

PDCA(Plan-Do-Check-Action)

ここ数日は雨続きの天気で、涼しい日が続いている。
そして激しい雨とともに風も吹いた。
刈り取りを間近に控えている稲は、一部ではあるがこの風の影響で倒れてしまった。

とりあえず米の品質には影響ないものの、刈り取り作業の負担がより掛かるようになるので厄介である。
自然のなせる仕業とはいえ、やはり腹立つものがある。


既に田んぼは稲刈り作業に向けて、出水口を開き水を切る(土を乾かす)手はずを整えている。
この雨が田んぼに流入しても、すぐに流れ出てしまうことだろう。
あと3〜4日すれば表面が乾いて、稲刈り機が支障無い程度に落ち着いてくれることと思う。
穂の状態と土の状態とを睨みながら、刈り時を注意深く窺っている。


        

稲作とは、実に手間がかかる作業だ。
これらの1年を通しての稲作の労働を、米の原価計算に反映させたらとんでもないことになるはずだ。
であるが米価は驚くほどに安く、補助金をもらっても間違いなくペイしない。
農業は、経済行動としての合理的な説明は不可能だ。
利潤追求の行動としては、到底成り立たない不合理なものだろう。

ではあるが農業を続けているのは、環境保全の意味合いも当然あるが、食糧安全保障の意味で(せめて自分たちだけは)自給自足したいという思いと、趣味というべきか楽しみを農作業の中に見い出しているからに他ならない。
どんな事態が発生しても、この土地と設備さえあれば自足自給してなんとか生きてゆける。
3.11で実証済みだ。
これが農業者の強みだろう。

        

今日は、同じ市内で同じく農業をして(楽しんで)いる親戚の親子2人が、ブルーベリーの摘み取りに来てくれた。
実を摘み取りきれずにいるため、お誘いした。
同じ市内で近隣ではあるのだが土壌が違うのであろうか、ブルーベリーの樹の生育はあまり良くないという。
当地のこのブルーベリーの撓わに実った完熟果実を見て驚いていた。
この地の酸性の土壌が、よほどこのブルーベリーの樹には適合しているとみえる。
一緒に摘み取り作業をしながら、晩夏のひと時を楽しんだ。

        

摘み取りが終わってからの、お茶を飲みながら情報交換の時間もまた大切なひとときだ。
野菜の育て方の工夫、種の播き方育て方、防虫の仕方、肥料の施し方、栽培している新しい野菜品種のこと、等々。
上手に育てている人の話には思わず身を乗り出してしまう。参考になることばかりだ。


農業はひとりでやるよりも、みんなで楽しくやったほうが断然面白い。
悲しいかな、一人では経験できることはひどく限られるが、みんなの夫々の経験を参考にすれば、失敗も成功も共有できて、なにより時間が短縮できる。
農業は、土作りから始まり収穫まで、とにかく結果が出るまでの時間がかかる。
月単位の仕事であり、気象状態に大きく左右されてしまう。
できれば失敗はしたくないのが人情だ。
だから、この情報交換のひと時も大切な時間だ。
実体験はやはり説得力が違う。

        


農業は、とてもクリエイティブな仕事だと思う。
いろいろな知識を要求される。
土壌学・地学・気象学・生物学・化学・植物学・動物学・薬学・・。
それも理論ではなく、応用実学としてだ。
実践して結果を出すことを要求される。
もっともっと上手に栽培するための創意工夫も大切だ。

そして、この工夫には完成というものが無い。
仮に上手にでき満足したとしても、今後も常に上手に栽培できるとは限らない。
むしろ失敗の方が多い。
計画し、実行してみて、結果をチェックして、反省すべきことは反省し、再度試す。
世間で実行されているPDCA(Plan-Do-Check-Action)とおなじものが、この農業にはある。
もっと上を行く生産者がいる。
きっと常に創意工夫を忘れずに、日々奮闘されているのだろう。
上手に農業をしている人は、自然にこのPDCAを行っている。

さらには、最近では単に栽培するだけではなく、上手に消費者にアピールし、販売するスキルも我々に要求されつつある。
農業とは、とてつもなく奥深く、創造的でやり甲斐のある職業ではないのかな。
ここに楽しみもあり苦しみも有る。
難しいがやり甲斐ある仕事だ。

お2人は大きな満足とともに、籠一杯のブルーベリーを摘んで帰られた。

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