今日も全国的に猛暑日となった。
常陸大宮市のこの地でも、言葉にするのも忌々しいほど暑いこともあるが、それ以上に盆という極めて大切な年中行事期間中のため、仕事らしい仕事はしないことにしている。
先祖の霊を子孫の我々の生活の場にお招きしているためでもあるが、静かに密やかに先祖の霊と対峙しすることにしている。
それは大切なことだと思っている。
盆の風習もいつの間にかだいぶ簡素化されてきた。
子供の頃のかすかな記憶では、もっといろいろな風習があり、しっかりと守っていたように思う。
お盆のお供えは、サトイモの葉にナスを刻んで乗せ、供えた。
キュウリやナスに割り箸を刺して、先祖の霊が乗る動物を作った。
(この近辺では大きな河川がないため、精霊流しの習慣はない)
盆の飾りつけもいろいろなものを並べていたように記憶している。
これらの簡素化も時代の流れであり、致し方ない。
ただ、精神性は変わっていない。
親類縁者、兄弟姉妹、先祖を同じくするものが集い、今このようにあることを喜ぶ。
これ以上の先祖供養はないであろう。
人が死んで悲しいものの一つは、その人の記憶が忘れ去られることだろう(と想像する。なにぶん経験がないので)。
死後何年か経過するたびに、○回忌として故人を偲ぶ、というのは、残された我々に精神の安寧をもたらすと同時に、先祖にとってもそうやって偲んでくれるというのはうれしいのではないか。
あれやこれや、普段は考えることもないことを、祭壇に並んだ先祖の位牌を眺めながら考える。
同じ時間を生きた父母や祖父母、写真でしか知らない先祖、名前だけしか知らない先祖、名前も知らない先祖。
皆がきっと我々を守ってくれているのだ。
日の光であり、雲であり、風であり、雨であり、草であり、さまざまなものに形を変えて、見守ってくれているはずだ。
まもなくお盆が終わる。
先祖の霊がまたあの世に戻ってゆく。
お盆が終わるとあわただしく、秋の農作業が始まる。
月末から来月初には稲刈りの見込みだ。
今年は常陸秋蕎麦の種まきも予定している。
今年の稲は、今しっかりと実を付ている。
黄色く色づき始めた。
例年になくよい米が取れそうな気配だ。
これもご先祖様のお守りいただいているお陰だと思う。
ありがたし。
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