2011年8月6日土曜日

有り難きこと

福島第一原発の事故は、依然として先行きが不透明で、近隣県に住む我々としても不安は大きい。

国は事故の収束に向けて工程表なるものを定め対応している。
そのスケジュールに沿うべく、現地ではこの暑い最中でも作業員の方々の必死の作業が続けられているはずだが、現場での作業内容に関する報道が確実に少なくなってきている。
特別なことでもない限りニュースに流れてこない。

何かこういった目に見えない尊いもの(作業)に対する『敬意』が蔑ろにされている気がする。
(爆発した直後に、自衛隊の方々が決死の覚悟で放水作業をした際のような報道である必要はない)
このような作業員の方々の日夜の奮闘は、こうやって安全な場所にいてのほほんと便利な生活をしている我々にとってはとても有り難いことなのだ。

         

つい先月まで節電、節電と声高に騒いだ世間であるのに、電力供給がピンチとの報道が少なくなると、大半の人はどこか遠い昔の話のように忘れかけはじめている昨今だ。

以前のように、当たり前のこととして生活インフラが使えることは大切なことだが、その裏でどれだけたくさんの人々の苦労がその便利さを支えているか、また社会的コストをかけているか(かかっているか)、仕組みが機能不全を起こした際のリスクがどれだけ大きいか、などを常に念頭に置かないと、かかる『敬意』はなかなか生まれない。
つまり大切なのは、有り難みを忘れない、ということだろう。

あの3.11で、帰宅困難になったり、停電で四苦八苦した苦い記憶は、常に意識の中に留めておくべきであり、これだけの便利な生活はまことに『有り難し』=『そのように有ることが極めて難しいこと』であることを肝に銘ずるべきだ。


         

普段何気なく生活してきた田舎でも、当たり前のことが当たり前でなくなって初めて、その有り難みがわかった。
以前と変わらぬように見えるこの日本の大地が、目に見えぬ放射性物質に汚染されているという恐怖。
そして安心して食べ物を口にできぬ不安である。

そういう状況に置かれた我々がすべきことは、正確な情報に基づき、正しく行動することで、不安を減らすことなのだろうと思う。


         

今回、野菜類を販売所に並べるにあたり、わが農園の放射線量を正しく知りたいと考えた。
やはり買ってくださった方が口にするものであり、安全なものを提供する義務があると思うからだ。
自分の畑の作物に対して責任を持ちたいと思う。

県や市では公共施設などでの放射線量の測定値を公表しているが、では自分の住んでいる場所はどうか、畑はどうか。
やはり心配である。
この知りたいという基本的な欲求は、公表されている数少ないポイントの計測値だけでは決して満たされない。

そこで自分で計測しようと考え、ネット販売でガイガーカウンターという放射線量測定器を注文した。
約1ヶ月ほど待たされたが、先日ようやくその機器が届いた。
簡易測定器ではあるが、既に利用している人のコメントでは公的な発表値とほぼ同じ数値を検出しているとの情報から、まずまずの計測機能はあるのだろうと思っている。
ポケットがんま(Gamma)くん
早速、主に野菜を作っている畑と果樹園で、地表と地上1mを計測してみた。
市の発表値とほぼ同じ値であり、ひとまず安心した。
(畑はトラクターで土を深めに耕し撹拌しているので、やはり数値は低めだ)
順次、家の回りや田畑を詳細に計測してゆきたいと思う。

家の周囲に恐らく存在するであろう高放射線量地点、いわゆるホットスポット(・・・雨樋下や排水溝周辺だ)を正しく把握し対処することで、次世代の子供たちに対し今の大人ができる最大のことを全うし責任を持ちたいと思う。

このようなことをしなくて済む日が早く来てほしい。


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