2011年6月17日金曜日

かつてGold-Rush ありき

さすがに梅雨である。雨降りの日が続いている。
稲作を中心とする農耕文化が根付いているわが国では、この温暖湿潤気候の恵みである梅雨を最大限に利用してきた。
鬱陶しい雨ではあるが、植物の生育には欠かせない慈雨でもある。
今年は九州南部では特にひどい大雨のようであるが、時にこのように生活を脅かす一面を現すこともあるが、農業のために、あるいは上水道の水源としては、無くてはならない存在である。
農業とは関係ないが、久慈川周辺に降る梅雨時の雨を心待ちにしている人たちがいる。
         
唐突だが、常陸大宮市山方から久慈郡大子町にかけての久慈川沿いの山々は、古くからの金=Goldの一大産地である。
かつては山間に金の採掘跡の大きな掘り込みが見られた。
旧大宮町内にも金採掘跡がいくつかみられる。
この地域から産出された金は、遣唐使の渡航費用に充てられていたと「続日本後紀」に記されている。
  陸奥白河郡従五位勲十等八溝黄金神は、砂金常に倍する産出をなし、遣唐の資を助けたる
      (  『続日本後紀』巻五承和三年正月乙丑 )                                                                      ※承和3年=836年

16世紀には、当地を支配した佐竹氏が栃原金山(久慈郡大子町)を開いている。
佐竹氏は豊臣秀吉に多量の金を献上しており、上杉氏(佐渡金山を領有)、伊達氏(陸奥の金山を多数領有)についで3番目の多さだ。
これらの金は当地方から採掘されたものだ。今年のNHK大河ドラマ『江』では、絢爛豪華な大阪城や聚楽第がしばしば出てくるが、きっとそこには茨城産の金が大量に使われていたはずだ。
17世紀の徳川時代になっても、水戸藩は金山経営を熱心に続けた。その中心となった歴史ある栃原金山だが、1996年には閉山している。本州で最後まで頑張ったが、金価格暴落には勝てなかった。
余談になるが、金含有量は栃原金山が平均30g/tで、現在日本最大の金鉱山である九州の菱刈鉱山は平均50g/tだそうだ。栃原はかなりの高品位な鉱山であったようだ。
         
これら八溝山系の金鉱脈の恩恵であろうか、久慈川に注ぐ支流では多くの砂金を見つけることが出来るという。砂金掘りマニアの間では、久慈川近辺はなかなかメジャーな存在なのである。
水量が豊富になるこの梅雨時は、砂金探しにはきっと最適の季節なのだろう。小さなGold粒の魅力に取り付かれた人たちが、こぞって砂金掘りに興じているらしい。
 ある砂金掘りを趣味とする人のブログ

この人たちは、活動の場の具体的地名・場所は明かさないというルールを頑なに守っている。
従って、たくさんのHPで砂金掘りが紹介されてはいるが『久慈川支流』や『八溝山系を流れる川』程度の表記になっているのがほとんどだが、推察は出来る。
         
過去数百年、この八溝山系の山間部や久慈川沿いの静かな山村は、何回ものミニゴールドラッシュに沸いた。その時々の大名や事業家が、一獲千金の夢に胸を躍らせて、この地に踏み入った。
現代では、砂金掘りマニアが(・・ささやかではあるが)ひそかに砂利を掬っては胸躍らせている。

 ※ マナー違反や環境破壊につながるような目に余る行為を見かけたら、
    彼らをどうぞ注意してやって欲しい。
         
掘る人もなくなった地下には、数億トン(?)の金鉱脈がいまも静かに眠っている。そんな黄金の大地の上で、我々は生活している。
常陸大宮市山方・岩井橋より南(下流)を望む

同・北(上流)を望む
写真左岸の山間にも採掘跡がある
この辺りから北の支流が砂金探しのメッカらしい
久慈川に沿って走る国道118号線から見える八溝山系の急峻な山々

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