2011年5月2日月曜日

100年の記憶

田植え作業の合間を縫って、『玉川村・花見山』(仮称)に向けた準備を兼ね里山の手入れを行いました。
わがファーム裏手の山には、植林されてから100年は経とうというヒノキの大木が随所にあります。
これらの木々は手入れが満足になされてこなかったこともあり、枝が混み合い、地表には光が届きにくくなっています。したがって樹木の下はいつも薄暗い状態で、日陰を好む植物しかないような偏った生態系となっています。

ブログ表紙写真の正面に見える黒々としたヒノキ林が、まさにその状態となっています。
この山一帯を、あの福島市にある花見山のように変えるために、伐採作業を続けています。

素人がチェーンソーで大木を切り倒すことは、大変危険な作業です。
遠目に見ると単なる樹木に見えますが樹高は20mほど(5階建てビルに相当)。
木の根元から見上げるとはさすがに迫りくる迫力。ちょっと怖くなります。
そんなこともあって、チェーンソーの刃を入れる前には、樹の霊に対して伐採する許しを求めます(かなり一方的な通告ではありますが)。そして敬虔な気持ちで祈りを捧げます。

直径50cmのヒノキでは、ほぼ100年の年輪を刻んでいます。
100年前というと、明治44年(1911年)。翌年には元号が大正に変わろうとしている明治末期です。
以来幾多の風雪に耐え、この山野と人々の生活を見守ってきました。
100本の年輪は、まさにこの土地の歴史記録でもあります。

倒す方向を左に定めて、三角の切り込みを入れる。
次に三角切り込みの反対側(右側)に水平の切込みを一本入れる。
すると左側に倒れる。

周囲の木をなぎ倒し、大音響と共に倒れた。
この瞬間が一番緊張する。
 
直径(最大径)は、ちょうど50cmだった


年輪を数えると102本であった。
密に詰まった年輪が何箇所か見て取れる。

切り口からはヒノキの芳香が漂う

よく見ると、年輪が密に詰まった年が何回かあることが分かります。
きっと植物が生長しにくい環境の年だったのでしょう。
我々先祖たちも農作物を育てるのに苦労した年であったに違いありません。
いろいろなことを想像させる木々の年輪です。

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