いつもはなかなかできない掃除をしたり、しめ飾りを付けたりと正月の準備が急ピッチで進む。
商業施設では、昨日までのクリスマス装飾からいっぺんに正月モードに突入する。キリスト教の宗教行事が済むと神道行事への素早い切り替えは見事である。
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迎える正月が『めでたい』のは、無事に年神様を家に迎え入れられた(られる)ことがめでたい、のであるが、そんな民俗学的な知識は知らなくても良い。全員平等に正月は迎えられる。
大掃除は「年神様は汚い家には来ない」から掃除するのであり、松の枝に注連縄や幣を付けて玄関先に立ててるのは「年神様は尖がったもの(松の針状の葉とか、角松の竹の鋭い切り口など)が好き。なので年神様がやってくるときの目印」を家の前に置いておくもの。
だが、正月に「おめでとう~」といって互いに挨拶する、(本来の宗教的意味合いが全く重要視されない"形だけの宗教行事"がやたらと多い)この国ではそれでもいいのではないかと思う。
気にする人だけが、大切なこととしてこのような精神文化・風習は守り続ければよい。
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東野の鎮守は「地殿神社」だが宮司不在となって久しく、北塩子地区にある鹿島神社が管理してくれている。なので鹿島神社のY宮司が東野地区の氏子へもお札を配ることが習わしとなっている。
先日、新しい天照大神のお札と御幣等が届けられた。
配られたお札とご神璽、茨城県神社庁からのお便りなど |
願わくば平穏無事な一年であってほしいものである。我もまた都合よく年神様にお願いする小市民である。。