旧「玉川小学校」は「大宮北小学校」と名を変えて同じ場所に存続しているのでまだよいが、「大宮第一中学校」は誰も立ち入ることのない、まさに「廃校」となっている。何かに利用する計画も無いようだ。
かつて自転車で登下校した中学校横の道路を通り過ぎることがある。
花壇には雑草が茂り、手入れされなくなった植木は樹形が変わってしまっている。
かつて生徒の賑やかな声が溢れた校庭のグランドには雑草が目立つ。
中学校生活にはなにか特別な思い出がある訳ではない。校舎にもグランドにもクラブ活動にも。
ただ、この齢となって廃校となった校舎を眺めるときに、やはり感傷に浸ってしまう。歳を取ったのだろう。
誰しもが感じるしみじみとした懐かしさは当然にある。
だが、それだけではない特別な『哀しさ』がこの旧一中周辺に漂っている。
次の写真は一中校門のすぐ前だが、不法投棄されたゴミで異様な光景となっている。
「不法投棄禁止」のメッセージがなんとも虚しい。
林の奥までゴミが続く |
道路左側は旧一中。正門はすぐ近くだ。 |
ここは人通りもないような山中ではない(・・・山中でも不法投棄はダメだ)。
不法投棄は廃校になってから直ぐの頃からだ。
心無い人の少しの不法投棄から始まり、あれよあれよという間にここまで増えたのだろう。
やはり日本国民の一部はまだまだ民度が低いようだ。
行政は手が回らぬらしく、一向に片付く様子もない(市議会で取り上げられている様子もない)。
地元住民も気分悪かろうに。
このような意味で、この道を通るとき何とも言えない「哀しい」気分になる。
卒業生に限らず、大多数の普通に良識ある人はそう感じるのではないか。
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