あるところは蕎麦畑がひろがる平坦地であり、
あるところは十メートル程の幅の玉川の岸であり、
あるところは山の尾をめぐる谷の入り口である。
(タイトルを『夜明け前』としたので、このような書き出しが相応しいと思いパクってみたが、かなり唐突で無理がある orz)
夏至からひと月以上過ぎたとはいえ夜が明けるのはたいそう早い。
今日(7/28)の段階でも午前4時前には空は十分に白んで、山の端も木々もはっきりと確認できる。空気はヒンヤリとしており、ちょっと肌寒いほど。
ここは蓄熱する人工物とてほとんどない田舎。都会のように日中に照らされ蓄熱したコンクリートからの暑さがないので、明け方は驚くほど涼しい。
夜明け前のこの時間帯に、周囲の山々がひと時賑やかになる。
時系列で様子を記してみる(朝早く目が覚めてしまったためメモしてみた)。
3時50分頃、ヒヨドリが一斉に鳴き出す。
4時10分頃、ヒヨドリの無き声にカナカナ(ヒグラシゼミ)が一斉に鳴き出して加わる。ヒヨドリの鳴き声がかき消される程だ。このときが一番賑やかで、それはそれはウルサい。空はすっかり明るくなる。
4時40分頃、カナカナが鳴きやむ。ヒヨドリの鳴き声だけになる。
5時10分頃、その声も鳴きやみ、わずかなウグイス、山鳩、カラスの鳴き声だけとなりちょっとした静寂な時間となる。次第にこれらの鳥も鳴き止む。辺りはすでに十分に明るく、曇った日中とさして変わりない。
5時38分、玉川村駅に上りの始発の汽車が入る。県道を通過する車の音が増えてきてざわつきだし、今日の人々の活動が始まったことがわかる。
なんの特色もない田舎の町だが、よく目と耳と感性を使って辺りを見渡すと素晴らしい世界に気づかされる。あまりにありふれているから気づいていないだけだ。
名所旧跡があったり、歴史の教科書に登場するような場所だけが自慢できる田舎ではない。むしろ昔からそこで懸命に生きた名も無き先人たち=我が先祖達の、汗や涙が染み付いた土地のほうが、素晴らしい田舎であると思っている。
ここ常陸大宮市東野、わが故郷はそんな場所である。
血につながる故郷
言葉につながる故郷
島崎藤村
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