2012年11月2日金曜日

静織(しどり)の里の古代遺跡

常陸大宮市は中心部を国道118号線が縦に走っている。
旧大宮町中心部は4車線バイパス4.5kmが開通し、人・モノの流れが大きく変わった。
やや信号機が多いと感じるものの、いまや交通の大動脈となっている。

このバイパスを南進し、大手シッョピングセンターを過ぎ坂を下ると、4車線区間が終了する(地区名では上岩瀬)。
GoogleMap==>上岩瀬・玉川
急に車線数が半減するのであるから、当然に渋滞が起こり易い。
4車線化されるのを心待ちにしているドライバー諸氏も多かろうと思う。
国道118号線上岩瀬の坂上から南側を望む。
この坂を下ると市の境界である『玉川』を渡る。
正面に見える森は那珂市下大賀。瓜連・静の台地だ。
この先も4車線化の計画はあり、用地買収を含めて進行中とのことだ。
上の写真の4車線道路が真っ直ぐに延伸して正面の森を突抜け、那珂市瓜連の台地に至る計画で、既に玉川を渡った付近では大型重機が作業しているのが見える。
一級河川『玉川』を渡ると常陸大宮市から那珂市に入る。
国道東側では重機が建設作業中だ
         

この4車線化工事に伴い、那珂市静のJR水郡線・静跨線橋付近(場所はこちら)では遺跡の発掘調査が行われていた。
発掘風景を見かけ、思わず車を止めて見学してしまった。


右の道路がJR水郡線の静跨線橋(北東方向・下り車線方向を写す)
どうやらこの発掘部分が道路拡幅されて4車線化されるようだ
埋蔵文化財発掘現場の標識
どうやらこの遺跡は6世紀〜8世紀あたりの住居跡が中心らしい。
時期的には常陸風土記の記された時代の少し前だが、あるいはかぶっているかもしれない。まさに静織りの里の住人の住んでいた跡である。
作業員が遺跡の記録を進めていた
このようなキレイな状態にするまでの土堀作業が実はエラく大変なのだ
方形の住居跡の掘込みとカマドの跡、土壙がいくつか見えた。
1メートル単位のメッシュを張り、遺物(おそらく土師器が主だろう)の堀上げ作業の最中だった。
しばしこの作業風景を懐かしく眺めた。

         

かく言うワタクシは、学生時代にこのような遺跡発掘作業に狂ったように没頭した人間である。
茨城近隣県にあるC市で学生時代の4年間を過ごしたが、当時彼の地ではモノレール建設やら動物公園建設やらで至る所で遺跡の発掘が行われていた。三十数年前のことである。
そんなこんなで地元学校の考古学研究会メンバーとして、かなりの日数を捧げてしまっていた。(⇨実はこれはまた良いアルバイトでもあった)
当時から『野外』・『土いじり』が好きで、今の生活もその延長線上と言える。

         

このあたりは、常陸国二之宮・静神社にもほど近い瓜連台地の東端である。

古来より人が住んでいた地で、文化的にも進んでいた一帯である。
かの『常陸風土記』に玉川メノウとともに『静織(しどり)の里』として登場する由緒ある一帯である。

右奥の山が静神社の杜だ
遺跡の発掘によってはじめて解明される事実も沢山あるのだが、同時に発掘は遺跡の破壊行為の一面もある。
いまの時点で最新の技術・手法で発掘して分析してはいるものの、将来更に優れた技術・化学分析手法が開発されるとも限らない。
そんな可能性を待たずに、いまの時代の人間のご都合のために、破壊して葬りさっているということでもある。
同じ状態(古代のままの未発掘状態)では二度と発掘できないのである。
(奈良県の高松塚古墳などは良い例だ。壁画が劣化してしまい剥がして保存している。おそらく発掘調査しなければこのあと何百年も極めて良い状態で残ったはずだ。ただ、素晴らしい壁画が世に知られることもないままではあるのだが。。)
恐らくこの『下大賀遺跡』も記録保存されるだけで、近いうちに4車線道路の地下に埋まり、この部分の遺跡が消滅する。

         

発掘調査をしていると、そこで暮らした人々の確かな『生』の痕跡を目の当たりにする。
往時の人が日常で使った土器の破片。寝起きした建物跡。火を使ったカマド跡、など。
学生時代には、小さな土師器の土器片にそれを作った人の指紋が残っていたのを見たことがある。
千年以上前の、人の生きていた証が我が掌中にある。
不思議な縁でたまたま手にした土器。
目を瞑ると、一瞬にして我が心は古代にワープし瞼裏に風景が鮮やかに甦る(・・気がする)。

一般的に発掘調査とは、屋外にあって土との格闘を基本とする、体力を要する作業だ。
さらに局面によっては、地道で根気が要る繊細な手作業も要求される(この遺跡の発掘段階である記録と遺物堀上げがまさにそうだ)。

そして作業環境といえば、夏は日差しを遮る物など無い炎天下での作業だし、冬は寒風吹きすさぶ中での凍える作業であり、決して楽な環境とは言えない。
ただ、古代をイメージするタイムワープの瞑想ができると、楽しくて仕方ない作業なのだ。

今の『農』的な生活にも似たような部分がある。
これから先も、おそらく『土』から離れることは無いのだと思う。

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