2012年11月21日水曜日

常陸秋そばの脱穀 & 山仕事本番

今日の晴天を活かして、常陸秋そばの脱穀を行った。
ここ数日は晴れ間続きであったので、適度に乾燥しているはずである。
ブルーシートを広げ、ビールケースを中央に置き、蕎麦の実が付いた束を打ち付け、脱穀する。
少量だからこそ出来る脱穀方法だ。

ホコリまみれになりながら、脱穀を終了。
続いて、唐箕(とうみ)を使って茎・葉などのゴミを飛ばし、実(玄蕎麦)だけを選別する。

なかなか手間がかかる作業ではあるが、自家栽培の新蕎麦を食するための大切なステッテプである。
決して手は抜けない。

         

これで今年の主たる田畑の作業が終わる。
あとは冬の山仕事がメインとなる。
シイタケの原木を切り出すのもこれからが本番だ。

これは同時に、桜の苗木を植えるための準備作業でもある。
いつの日にか実現したい『花見山』をイメージしつつ、木を伐り倒し山を設備してゆく。

危険を伴う作業でもあるので緊張しながら、チェーンソーを操作する。
だからであろうか、木を切り倒すという行為は何とも言えぬ爽快感が伴う。
日常の生活の中では得難い感覚であり、病み付きになる作業だ。
きっとドーパミン等の脳内物質が盛んに分泌されているのだと思う

         

荒れた山をキレイにしてゆくということは、シイタケ原木準備もそうなのだが、有機堆肥作りの落ち葉を集めることでもあり、燃料の薪を作る(⇨薪は具体的に使う予定は無いのだが、非常時用の備蓄だ)という作業でもある。
これらを通して里山の保全ということである。

木の伐採なり、運び出し、後の薪割りの作業は、全身をひどく使う作業だ。
消費するエネルギーは膨大で、有酸素運動の典型である。
なので、わざわざお金をかけて街のスポーツジムに通う必要など全くない。
(会社の定期健康診断後の医師との面談で、運動不足を指摘され)ゴルフなどする必要もさらさらない。
これらの山の作業は、健康的であり金も一切掛からない、極めて優れものである。

田舎の農的生活にはいろいろな意味で、無限でエコロジーな循環があるのである。
このような中に身を置いて生活をしていると、人間っていうのはちっぽけな存在であり、自然の一部だとつくづく思う。
畏れ多いことだが、『山の神』をごく自然な感覚で感じとることができる毎日なのである。
斯様な感覚、『自然』が観念的になってしまった都会暮らしでは無理だろうな、きっと。

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