2011年12月19日月曜日

水戸黄門最終回

TBSで42年間もの間放送された長寿番組『水戸黄門』が、本日(2011/12/19)で終わった。
♪人生楽ありゃ苦もあるさ〜♪のテーマ音楽も、どうやら聞き納め。
茨城の地元では番組継続の署名活動が盛んに行われたが、残念ながらその願いも届かなかったようだ。


         

今年7/20のブログ『水戸黄門』雑感にも記したが、個人的には水戸黄門=徳川光圀に対する思い入れは全くと言っていい程、ない。
この番組最終回の日にあたって、前回ブログに記せなかったことを少々述べてみたい。
繰り返しになるが、個人的な心情では、この県北の地は佐竹一族が苦心惨憺して開拓し、統治してきた「佐竹の地」であり、徳川氏は他国からいきなりやってきた支配者、いわば外様の殿様なのである。
佐竹氏は出羽国・秋田に国替えされたとはいえ、一族の多くはそのまま土着し、遺臣として残った。いわずもがな(わが先祖も含まれるであろう)百姓は移住せずそのままだった。
どんなに徳川光圀が良い領土経営をしたとしても、佐竹時代を懐かしむ民百姓は多かったはずなのだ。
つまり佐竹470年は実に長く、この統治の間に染み付いた開拓に流した汗と、領土統治・拡大の戦いで流された夥しい血の跡は、容易には消し難いはずなのである。
たとえ新支配者・徳川氏が佐竹一族所縁の城郭設備や寺社仏閣を破壊しようとも、である。
この思い入れが個人的には甚だ強い。


         

このテレビ番組としての水戸黄門では、ひとつ思い出がある。
だいぶ昔の就職活動でのこと。
第一志望だった某M物産の最終面接が、(茨城出身のためと思われるが)水戸黄門の時代劇話で盛り上がり、談笑のひとときと相成ってしまった。
その最中に、いきなり「あの水戸黄門の勧善懲悪のスタイルについてどう思うか?」と真面目な質問が、ある役員から飛んできた。
ここぞとばかり自説を得意げに披露した。

・単なる娯楽番組として楽しむには良い。ただ、光圀に関わりある地に育ち学んだ身としては、史実ではないことばかりで複雑だ。
・権力や金持ちの悪を、幕府や徳川氏という中央の威光(=印籠)で押さえつけるシーンは、ある意味爽快ではあるが、やはりおかしい。これでは藩の政治=地方自治は成熟しないだろう。悪代官やら悪徳商人は、この威光にひれ伏しているだけであって、ご隠居が説く政治倫理なり職業倫理に共感している訳ではない。ご隠居一行がいなくなったら、同じことが繰り返されるはずだ。
・権威主義の権化のような番組。不正を糾すのを他人に頼る他力本願の典型的な例だ。
・つまりご隠居一行の世直しの旅というのは、偽善であり自己満足に過ぎないのではないか。
・なぜこのマンネリが人気を得ているのか分からない。
などと言った記憶がある。
今思い返すに、なんとまあ青臭く生意気な理論を、恥ずかしくもなく披露し言い放ったのかと思う。

そんな屁理屈・難しいことは言わずに純粋に楽しめば良いだろうに、と言われそうだ。
その通りだ。それは良くわかっている。
だが、この考えは基本的に変わっていない。
・・・まあ、どうでもよいことなのだが。

あの時、あの面接で質問した役員ほかはどのように感じたのであろうか。
いまも多少は気になるところではある。
幸いに内定はもらえたので、まあ、これもどうでも良いことなのだが。


         

ものごと、いろんな見方がある。
そして、個人が意見を自由に言えるのは良いことではないか。
大陸や半島の某国のようでなくて良かった。

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