朝日新聞12/9付けの朝刊で、オピニオン欄に「北の国から TPPを考える」との題で倉本聰氏のインタビュー記事が掲載された。
いま議論百出のTPP問題について、北海道富良野に移り住み34年、土に自ら触れてきた氏としての不安を「土から離れた議論 農業を知らない東京目線の思考」として述べている。
TPP参加の是否はともかくとして、日頃漠とした感じでわが頭にあったことを明快な言葉で言い表してくれた。
(まことに恐れ多いことだが)共感できる部分は多い。
この記事を読む機会を持たれなかった方のために、氏の言葉の幾つかをそのまま紹介したい。
★(TPPでは農産物でいえば)環太平洋のどこかからいつでも持ってこられる、という考え方でしょう。でも本当にそうなのかなぁ。
(枯渇が心配される石油のように)モノをどっかから自在に持ってこられるということも、30年、40年は持たないように思います。もう少し長い目で見据えないと間違える気がしますね。
★(昔の農業では当たり前にしていた土壌改良の方法だったり、防虫技術だったりが)そういう技術がいまの農村の老齢化で若い世代に伝わっていかないんですね。若い世代は米国流の農薬を使い石油を使い、いわば工業化された農業に慣れきってしまっています。だから石油がなくなったらどうしていいか分かりません。土をいじると、新たな発明があるんですよ。その成長を一度、止めてしまったら、回復は難しいし、消滅してしまうものもあるんです。
★石油を使わない古来の農業は、既に伝承されていないのですよ。このことが一番、怖いのですよ。
★東京から見ていると、北海道がダメなら九州なんかから持ってくるから、気象の影響で農産物が年々で変わっていることがピンと来ていないんじゃないですか。年によって不作の地域があることが。東京の目線でみんな考えちゃっているんじゃないでしょうか。
★農林漁業は統御できない自然を相手にするところから始まっている。工業はすべてを統御できるという考え方に立っている。この違いはでかいですよ。統御できるもので勝負して、統御できないものは切り捨てる。そういう考え方が、TPPの最大の問題点だと思えるんです。
★自然を征服できなければ、その土地を捨てて、次の場所へ移ればいい。それが米国流の資本主義の思考じゃないかな。でも日本の農業は明らかに違う。土着なんです。天候が悪くて不作の年は天運だと受け止め、歯を食いしばって細い作物で生きて行く、それが農業の本来の姿でしょう。
★(農業は)生きる手立てとしては、最も揺るがないものですよ。僕自身、終戦後66年の中ですごく不安感があったんです。どんどん豊かになっていく暮らしが続くわけがないっていうね。
★自分の力が及ばない自然を相手にすると、人間は変わりますよ。(畏敬の念が)生まれますね。自然を統御できるなんて、思い上がりですよ。なぜ、経済って、こんなに偉くなっちゃったんですかね。
★日本は、小国でもいいから尊敬される国を目指すべきじゃないですか。私はかねがね、ブータンが一つの理想だと思っている。(先日来日した)国王の姿を見ていると、実に素朴で、田舎の村長みたいだけど、日本人より人間の格が上だという気がするんです。
王様の爪の中が見たかった。土で黒いんじゃないかって気がしたんですよね。
★TPPって、危機に陥っているユーロ圏と、どこか似ていませんか。最近の混乱は、通貨の統一と同時に、思想も民族性も一つにできると錯覚したところに問題があったと思うんですよ。ブータンはブータンで認めて、日本は日本の生き方を認めて、そのうえで互いに助け合う。それがこれからの人間の英知なのではないですか。そういう気が僕はするんだけど。間違ってますかね。
この最後の氏からの問いかけが持つ意味は、ひどく重たい。
間違ってはいない、と思う。
そして、インタビュー記事の見出しには、「思想も民族性も一つにはならぬ。違いを認める英知を」ともある。
これが、今までの日本が辿った歴史・不幸な過去から学ぶべき教訓ではないかとも思えるのだが。
0 件のコメント:
コメントを投稿