2011年4月30日土曜日

主の創り賜う美

自然に接する中で、時に目を見張る『自然の美』を見つけます。
特に新芽時の今、木々の芽、野草の芽をよく観察すると、実に多様で幾何学的な美に魅せられます。
何のために、誰のために、こんなにも美しく作られているのだろう、と驚き感心します。
誰かに見て欲しくてでも、褒められたくてでもなく、ひっそりと密かに、確かにここに存在しているのです。
そんな姿を見つけては、うれしくて、こうやって紹介したくなるのです。(写真上でクリックすると大きな画像になります)

ゼンマイの幼葉
葉となる部分が小さな粒々(緑色のタラコ状態)であることが分かる。

モミジの花
緑色と深紅の対比が美しい

タンポポの綿毛
まさに芸術品ではないだろうか

メタセコイヤの芽
規則正しく交互に芽が出ている

木の種類は不詳
枝先だけにある芽が一斉に開こうとしている。
葉の縁だけが赤く美しい

見事に新芽が対生に並ぶ

シシガシラ(シダの一種)
赤い部分が胞子葉の新芽。神秘的で不思議な色と形だ 


 こういう自然に触れる毎日の生活をしていると、古代の原始宗教がアミニズムであったろうことは容易に想像がつきます。
山に、樹木に、岩に、空に、太陽に、雲に、風に、水に、火に、それぞれに魂が宿っており、さらには、それらを支配する、すべてを超越した力、そんな何かが確かにあるのだと。
そしてそれはきっと、万物の創造主なのだろう、そう考えたほうがすっきりする、と思います。

ここ1ヶ月の間に、津波やら地震やらについて、何度『想定外の・・・』という言葉を聴いたことでしょう。
自然は懐が深く、到底我々が敵う相手ではありません。
今回の大災害のように恐ろしい一面を見せることがある反面、また限りなく優しく、我々を慈しみ育んでくれるものでもあるのです。
自然を征服する・支配する、などというのは人間の愚かな傲慢さに他なりません、きっと。
大自然の前では、もっと謙虚であるべきです。
生かされているのですから、私たちは。

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