2014年11月15日土曜日

玉川村駅に融雪器

先日、JR玉川村駅構内に人の背丈ほどの銀色のボックスが設置された。
         
正確なことはわからぬが『水郡線・寒冷対策』であるようだ。
設置されたボックスに『融雪器制御盤』とプレート文字が確認できた。
厳冬期に、ポイントの凍結で列車運行に支障が出ないようにするJRの安全対策の一環であろう。

この制御盤装置のボックスから上り方向・下り方向の2か所あるポイント切替機まではそれぞれ150mほどあろう、線路沿いにケーブルも引かれたようだ。
駅舎近くに設置された制御盤装置
下り方面の線路ポイント部分
線路左側にケーブルを格納したコンクリートU字溝が敷設されている
水郡線の列車の運行管理は、昭和58年からCTC(Centralized Traffic Control)化された。
すべて水戸総合指令室からの制御である。
ポイント切替などはその最たるものだ。

玉川村駅は直線軌道から分岐線を左右同一の角度で開いて分岐させる形状だ。上りホームと下りホームが分かれており上り列車と下り列車が行違えを行える駅の一つとなっている。
そのための分岐器(ポイント)があり、転轍機が設置されている。
         
ずっと以前の国鉄時代には駅に常駐していた駅員がこのポイント切替をマニュアル操作、つまりはいちいち手作業で行っていた。
例えば下りの列車が下りホームから駅を出た場合である。
列車が単線区間に入ったのち、今度駅に到着する上り列車が、上りホーム側に進入できるようポイントを切り替える(線路を横にスライドさせる)のである。
玉川村駅で言えば駅舎内にあった、黒くて大きな取っ手のポイント切替レバーを、駅員が倒したり起こしたりして切り替えた。人がポイントまでいちいち行って切替しなくて済む仕組みだった。
レバーの動きをポイントまで伝えるため、鉄の棒が駅舎からホームの下を通り、線路沿いにポイント部分までずっと伸びていた。その棒を支える台やポイント部分は潤滑のための油が塗られ真っ黒だった。
レバーを引いた結果、ちゃんと切り替わっているかどうかは、ポイント傍らに立つ転轍機標識で確認できる仕組みとなっていた。小生の記憶では、レバー操作後に駅員さんが大きな声を出し、標識を指さし確認していたものだった。こどもの頃に毎日目にした光景だ。

その転轍機標識とは4枚の羽がついた2m程の機械。今も設置されている。
転轍機標識
付いている標識は、黄色の矢羽形(中に斜めの黒い線)と、紺色の円盤(中に水平の白い線)である。
ポイントに設置された融雪器(オレンジ色の枕木部分であろうと思う)
線路向こうに転轍機標識が立っている
ポイントが左右に切り替わるびに転轍機標識が90度回転して、ホームの操作場にいるレバーの引手から見るとの羽の色が、黄色・矢羽形→紺色・丸に(あるいはその逆に)なって見えて、切替が正しくできたか、いまどちらにポイントが切り替わっているか、がほぼ150m離れた遠くからでも確認できたというわけだ。
          
国鉄時代の各駅には、マニュアル操作を必要とする機械類が多かったし、その管理維持のために線路工夫と呼ばれたたくさんの作業員がいた。いまの作業員のようなスマートな作業服と作業内容ではなく、真っ黒に日焼けしたむさ苦しい男衆が黄色いヘルメットにツルハシを担いで汗をかいているような姿しか小生の記憶にはない。
大雪が降った際にはカンテラをポイントに設置して、凍結を防止する作業も彼らの任務だった(これはたいてい夜の作業であったため、実際に作業する姿をみることはほとんどなかった)。

そんな作業も無くなって久しい。
この新たな装置の導入によって、現在よりさらに効率的、安全に列車運行が可能となる。大変良いことだ。歓迎すべきことなのだが、ちょっとさみしい。

このように自動化される以前は、ポイント切替も融雪・除雪作業も凍結防止作業も、なんでも手作業に頼った時代である。
そこには『列車の安全は俺が守っている』という、鉄道に携わる人たちにとってのそれぞれの矜持があっただろう。
末端の一作業員、工夫までが当たり前に持っていたプロフェッショナルとしての矜持が、かつての高度成長期の日本の基礎部分を支えていたのではないか。決して『プロジェクトX』に出るような大きなトピックではないが、日本全国の国鉄の現場で普通に見られたことだろう。国鉄に限らず、多くの工場・作業場・会社でも同じだったに違いない。

今回設置された融雪装置を見て、そんなこんなの懐かしい記憶が蘇り、感慨にふけってしまった。
今月末、このポイントの上を蒸気機関車 C61 20が通過する。

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