2013年8月13日火曜日

今ここにある日常と言う奇跡

ことしもまたお盆が巡ってきた。
先祖の霊を祀りつつ、いま自分の生に繋がってきていることを不思議に、そして有難く思う。
当たり前のことのようだが、何代にもわたる奇跡のような生命の連鎖があっていまここに自分が存在する。

         

最近読んだプレジデント誌で、奈良雅広氏による『幸福を感じやすくする思考練習』という文章の中で、氏は次のようなことを書いておられた。

東日本大震災が、不幸な中にも意味があったとすれば、「当たり前」と思っていた日常がどれほど貴重なものかを、強烈に再認識させてくれたことである。家族がそこにいること、家があること、電気が使えること、食べ物や飲み物が苦労なく手に入ること……当たり前だと思っていた日常が、いかに危うく、それゆえに大切なものであるかに気づいたことは、この国の未来にとって、かすかな希望であったように思う。しかし、本来それは、天災によって強いられて認識するようなものではなく、自分自身で能動的に認識しなければならないはずのものである。「今ここにある日常」という奇跡。その大切さに気づく努力は、幸福への重要なステップとなる。

この一文に激しく同意した。まさにそのとおりだと思う。
 
日本人の精神文化に深く根差した特別なお盆の間くらい、ゆっくりとした時間に身を預け、思いにふける時間を持ちたいものだ。
当たり前は決して当たり前ではないのだということに気付くこと。
その努力をすること。
『見えないもの』に敬虔の念を深くし、心のひだを多くするにちょうど良い機会だろう。
そしてそれは、幸福への大きなステップとなるはずだ。

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