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2014年3月10日月曜日

3・11の教訓と東京五輪

明日3月11日は、どの新聞紙面もテレビも『3・11』で溢れかえっているはずだ。なのであえて今日、この内容で記したい。
         
『非常事態』が起こるとする。
それは大きな衝撃を与え、我々は戸惑う。
そして、その事態にどのように対処するか、問いを繰り返すこととなる。
その過程は、多くの場合何らかの答えらしきものが出るような、出ないような、妙な状態である。特に個人の場合には、結論を誰かに求められたり、その期限を突きつけられたりすることが無いためにうやむやで、結論は先延ばしだったり、実行すると決めても対応はズルズルになってしまう。
そしてほとんどの場合、その問いの繰り返しはいつしか風化して、自然消滅状態もしくは停止状態となってしまう。
過去の歴史の一コマに組み込まれ、はるか遠くから眺める風景になってしまう。喉元過ぎれば熱さを忘れてしまうのである。誰しも経験あることだろう。
どんな悲劇や困難も時間の流れの中で記憶が希薄になり、次第に忘れ去られてゆく。あるいは語り継がれる物語となる。生々しい体験から生じ、共有された感情は残念ながら失われてゆくのが必定なのであろう。
これは人間が長いことつらい状況に直面すると、心を次第に日常性へと立ち戻らせるため、過去の悲惨さを思い起こさないようにする、という人の持つ防衛本能とも考えられる。だからこそ生きていられるということも事実なのだが。
         
とてつもない悲劇は自然の中に生きている以上しばしば生じるし、しかも自然災害は繰り返される。その大災害から人々が立ち上がってゆく過程でも、同じように次第にその記憶を過去のかなたへと追いやり、次第に忘れてしまう。
東日本大地震「3・11」もこの例外ではない。
(自然災害ではないが、先の大戦の惨禍も同じようなものだろう)

こ難しい哲学的なことを言えば、自然災害ははたして神仏の意志なのか、それとも近代科学の知見に基づいて純粋に自然界の現象と受けとめればよいのか、この二つの考えは両立できるのか、私たちは『自然』とは何か、とあらためて問わなければならないだろう。
小生のような田舎の自然相手の生活であると、個人的には神仏の意志と考える方が精神のあり方としては近いものがある。
         
地震大国日本において何をおいても優先されるべきは、リスクの分散だろう。
他でもない、東京一極集中の危うさについて懸念である。
ちょうど「3・11」から3年経ったが、あれから後、首都直下型地震の可能性は再三報道されているが、一極集中の是非はほとんど議論にならない。
さらに、「3・11」の際の東京大混乱の記憶も人々の記憶にまだまだ生々しく残る中で、東京で五輪を開催することも決まった。

五輪は東京一極集中をより加速させることになるはずだ。
東京へ更なる巨額の資本を投下してインフラ整備がすすめられる。今表面化してきているいろんなインフラに起因する矛盾もある程度解消されよう。きっとより快適な街に変化するのであろう。そうなるとますます各種機能も人も情報も東京に集中することとなる。
東京だけが歪(いびつ)にリスクともに巨大化してゆくという危うい発展が続く。
日本国民、特に直下型地震の想定地域に住む方々は、学習効果がないようだ。
先の東日本大震災は、東京に比べたら人口密度がずっと低い地域で、諸機能も東京の比ではない場所だったから被害はあれで済んだのではないか。加えて被災後の混乱の中にあってあのように秩序だって理性的な群衆行動が見られたのも、彼の地だったからこそできたものだろう。地域コミュニティが都市部よりはまだまだ機能しているからかもしれない。東京があのような混乱で済むとはとても思えない。

考え過ぎ?   偏った考え? 田舎者の僻み?    やはりどこおかしい。
         
物理学者であり随筆家でもあった寺田寅彦は、「災害を大きくするように努力しているものはたれあろう文明人そのものなのである」と、人工の造営物増大の危うさを説いている。今日の文明とは比べものにならない1934年(昭和9年)のことである。
関東大震災の調査も彼は学者として行っている。震災後に進められている復興を見ながら、彼は思うところがあったのであろう。慧眼である。

防災と抱き合わせで五輪は準備すべきだといった評論家の意見はもっともながら、はたしてそれで良いのだろうか。根本的な解決にはならぬと思う。余りにも不自然な東京だから。
どう考えればいいのだろうか。小生のような貧弱な頭で考えても、地方への機能分散しかないと思う。目先の利害を捨ててすぐにでも行動に移すべきだと思うのだが。

だいぶ前、国の方針として(お偉い方々・有識者が集まり検討したはずだが)、首都機能を栃木県の那須地区あたりに移転させるという結論を出したと記憶している。案の定ウヤムヤになってしまっている。つまりは、自然災害は記憶の彼方に去ってしまっていて『まあ大丈夫なんじゃないの・・しばらくは。根拠はないけど…。』といったところなのだろう。
予想通り首都に直下型地震が発生し、甚大な被害を蒙る時が来ても一時のことだから良いのだろうか。いずれ記憶の彼方に追いやり忘れてしまうから良いのであろうか。我々の子や孫、そのまた子の代の事かもしれないから良いのだろうか。よもやそんなことはあるい。
目の前の不都合なことや困難なことに目をつぶるのは容易いが、単なる問題先送りでしかない。
         
自然の猛威を可能な限り回避する科学の知恵ももちろん必要であるが、あまりに現代人は自然への畏敬の念、祈りを忘れてしまっている。高慢、傲慢、あまりに尊大である。自然を克服できた・できると考えたとしたらなんとも不遜である。思い上がりも甚だしい。
現代人が自然を甘美なもの、心を癒やすものとみなすのは、都市型住民の求める景観としての自然に過ぎない。自然とはもっと厳しい。

この東京一極集中とそのリスク問題は極めて難しい課題だ。完全な解決などあるまい。だが、自然は待ってくれない。
できることから急いで進めることだ・・と思う。国会移転だってかつてあれだけ叡智を集めて決めたのではなかったか。。大騒ぎして決めたものを全く反故にするのだろうか(移転に反対の勢力も確かに存在するだろうけれど、このままでは大いなる税金の無駄遣いだったということになる。それを許す国民にも反省は必要だろう)。

非常事態の発生は避けられないのだから、個人でできること(事前のサバイバル準備)を怠りなく実行して備える。
そして非常事態が不幸にも発生してしまったら・・。
幸いなんとか生き伸びられたとして、便利で快適な都市生活神話が崩れた街で、さて次どうする??

行動は、そうなってからか、そうなる前にか。。
         
田舎は何処も似たようなものだが、ここにも『ひとり農業』のテーマソングの感がある井上陽水「少年時代」の歌の心象風景が広がっている。
ひとり農業、みなさんもご覧になってますよね。。あんな場所です。
も
  も
も
  も
も。

2013年8月13日火曜日

今ここにある日常と言う奇跡

ことしもまたお盆が巡ってきた。
先祖の霊を祀りつつ、いま自分の生に繋がってきていることを不思議に、そして有難く思う。
当たり前のことのようだが、何代にもわたる奇跡のような生命の連鎖があっていまここに自分が存在する。

         

最近読んだプレジデント誌で、奈良雅広氏による『幸福を感じやすくする思考練習』という文章の中で、氏は次のようなことを書いておられた。

東日本大震災が、不幸な中にも意味があったとすれば、「当たり前」と思っていた日常がどれほど貴重なものかを、強烈に再認識させてくれたことである。家族がそこにいること、家があること、電気が使えること、食べ物や飲み物が苦労なく手に入ること……当たり前だと思っていた日常が、いかに危うく、それゆえに大切なものであるかに気づいたことは、この国の未来にとって、かすかな希望であったように思う。しかし、本来それは、天災によって強いられて認識するようなものではなく、自分自身で能動的に認識しなければならないはずのものである。「今ここにある日常」という奇跡。その大切さに気づく努力は、幸福への重要なステップとなる。

この一文に激しく同意した。まさにそのとおりだと思う。
 
日本人の精神文化に深く根差した特別なお盆の間くらい、ゆっくりとした時間に身を預け、思いにふける時間を持ちたいものだ。
当たり前は決して当たり前ではないのだということに気付くこと。
その努力をすること。
『見えないもの』に敬虔の念を深くし、心のひだを多くするにちょうど良い機会だろう。
そしてそれは、幸福への大きなステップとなるはずだ。

2013年1月10日木曜日

玉川村駅で観測するP波

寒い日が続いている。
この時期は外での農作業はほとんど動きらしい動きは無く、ニュース性に乏しい。

周囲の風景も、見た目ちょっと変わるのは霜が降りて真っ白くなった朝程度で、ほとんどが寒々しいモノトーンの風景であまり変わり映えしない最近だ(雪でも降ればまた別だが)。
これがこの地域のありのままの姿なのだが、どうせこのブログに載せるのであればせめて少しでも変化のある風景なりを紹介したいとつい考えてしまう。
なので最近は風景の写真をあまり紹介できていない。

         

昨日(1/9)のNHKで、JR東の新幹線が地震を関知し停車させるシステムで大きな成果が出たとのニュースをやっていた。
先月12月7日に発生した東北地方で観測した震度5弱の揺れの際には、大きな揺れが来る38秒前に緊急停車指令を出せて走行中の新幹線が安全に停車できたそうだ。
東日本大震災の時では10秒前だったというから、この28秒の進歩というのはすごい。
38秒あればかなりの事が出来る。

新幹線 緊急地震速報活用でより早く停止(1/9 NKH NEWSweb)

東日本大震災の半年後からJR玉川村駅構内に地震計を設置する工事をしていた。
今ではJR東の沿線81か所と太平洋・日本海沿岸16か所にこのような計測施設があるようだ。
まさに玉川村駅を含む複数の地震計測地点から送られたP波のデータが東北新幹線を大きな揺れの前に止めた。

機関庫跡の荒れたスペースの一角にポツンと建つ地震計の建物。
地震計が設置されている建物
精密機械のためだろう、常時空調が動いている。
一見するとただの倉庫のような建物だが、実は極めて大切なお役目を引き受け、モノ言わず毎日しっかりと勤めを果たしているようだ。
水郡線の車窓からこの建物見かけたら、こんなことも思い出してくれたら地元民として嬉しい。

2012年12月8日土曜日

昨夜の地震

東日本大震災から一年半以上が経っているが、まだまだ大きな余震が起こることを改めて人々に知らしめた昨夜の地震だった。
常陸大宮市は震度5弱。
ヒドく長く感じた揺れだった。
なかなか収まらない揺れに、3・11のあのときの光景が頭をよぎった人も多かろう。

最近、徐々に揺れる回数が減ってきていただけに、不意を突かれたというのが正直なところだ。
幸いに、我が家を含め周囲の家々でも被害はなくほっとした。

今朝早く、親類が墓地を訪れ墓石に被害が無かったかを確かめていた。
こちらの方は昨年の被害が大きかったため、いずこの墓石も修復・補強対策済みで被害は無かった。
修復作業の際に石屋のオヤジが曰く、『東日本大震災を機に新たに開発された強力な接着剤があり、容易にズレない・剥がれないのでもう心配ない』とのことだった。
石屋が言う通り性能が良かったからなのか、震度5弱だったからなのかどうかは分からぬが、まあとにかく被害が無いのは良かった。
屋根瓦も同様で、見える範囲では被害は無かったようだ。
きっと積み方にも改良がなされたということでもあるのだろう。
日本という国は斯様に改善やら改良にすごいパワーを発揮する。
素晴らしい国民性。

一方、我が家近くの山の頂には東京電力の送電線の鉄塔が建っているのだが、午前中に東京電力のものと思われるヘリコプターが送電線に沿って低空飛行しながらゆっくり飛んでいた。
恐らく鉄塔や送電線に異常がないかを確認しているのだろうと思う。
この確認作業などもあの大震災があったからこそのことだろう。
ほんとうにご苦労様なことだ。

直接的な被害もなく、停電も断水もなかった今回の地震だ。
また今日から何事も無かったように以前の平穏な生活がスタートしてしまっている。
また、いつ不意打ちされるか分からない。
ゆめゆめ先の大震災の教訓を忘るることなかれ、だ。
いつもの通りJR水郡線・玉川村駅には明かりが点灯した。
今日も穏やかな、静かな日暮れを迎えた。

2012年3月11日日曜日

3.11

あの日から一年。

あの日ラジオ以外の情報を断たれた。外部への連絡手段も断たれた。
正直、各地でどれほどの災害が起こっているのかもがなかなか分からなかった。
余震と寒さに怯えつつ、不安な夜を過ごしていた。
どうにか生きながらえたことに感謝しつつ、さあどうやってこれから生活しようかと、それだけで頭が一杯だった。

         

いかに電気に頼り、便利で快適な生活に慣れきっていたのかを思い知らされた。
情報が無いということがどれほど現代人を不安にさせることか。
街灯・ネオンで明るすぎるほどの夜の街に、何の疑問も持たないでいたか。
必要なものがスーパーに行けばいつでも手に入ることが、どれほど有難いことだったのか。
原子力発電が内包していた各種の問題が露になったが、我々がいかになにも知らずにいたかを思い知ったのもこの一年であった。
まさに世の中の価値観を変えるようないろんなことがいっぺんに起こった一年であった。

我々のような農家は、いざとなれば自給自足が可能で、生きてゆく自信もそれなりにある。
幸いにこの茨城北部は放射能汚染も軽微であり、農業生産物も食するに不安はない。
都市部のような、明るく快適で便利な生活が十分にある訳ではないが、それらを上回る安心できる確かな精神的豊さに満ちた生活が、ここにはある。

         

我々が住む日本が、幾つものプレートのせめぎ合っている上に載る不安定極まりない国土であるということを、残念ながら認めざるを得ない。
首都直下型地震が4年以内に発生する確率についてのニュースがテレビ・新聞紙面を賑わしている昨今だが、去年のあの地震の後にヒヤリとしたはずの都市住民の方々は、このニュースを耳して、いまどんな思いでいるのであろうか。

超高層の建物に人が住むことを巡る議論があったやに記憶する。
ガラスを多用する建築の危険性や、高層難民の問題も各方面から指摘されていた。
あれらはどうなったのだろうか。
いまもなお、何事もなかったように高層ビルの住居は高級住人の代名詞である。
不思議でならない。

また、高さや巨大さをもてはやす空気は、依然としてこの社会を覆っている気がする。
(昨年に、東京スカイツリーが完成して世界一の高さとなり、喜ぶ人が多かったようだ。
また、最近竣工した東京駅周辺の高層商業ビルはおしなべて全面ガラス張である。エレベータの昇降さえも外から丸見えだ。これらを多くの人が美しく機能的と感じているのだろうと思う。
タワーでもビルでも、耐震であろうが免震であろうがいざ大地震となったときには機能不全に陥るのは避けられないと思うが。)

悲しいかな、揺らぐ大地に生きて行くことを宿命づけられた我々である。
いつどこであのような震災が発生するか分からないのである。
であれば、巨大で複雑な社会システム(・・・これらは維持するのも莫大なコストを費やすのであるが・・)を構築して喜ぶよりも、もっと小さいシステム、身の丈に近い寸法を価値基準にして生きることのほうが、ずっと幸せに繋がるのではないだろうか、と思う。

自然の制約に逆らうのではなく、自然に添いつつの、いわば牧歌的に生きる文明の方向が、必ずあるはずである。

いい加減に目を覚まさないと手遅れになる。
無理矢理に目を覚まさせられるときがくるであろうことを、皆は薄々気がついているはずだ。目を背けていてはならない。まだ間に合う。
不便でも、快適さに欠けても、真の豊かさがある、そんな所だ。田舎は。


         

今日、震災の一年の節目を記憶として確かなものにするため、整備途中のわが里山の一画に『ソメイヨシノ』の苗木を一本植樹した。
長年手が入らず、杉や桧が密集して篠に覆われた鬱蒼とした雑木林となっていた場所。
ここを昨年秋から少しずつ手を入れてきて、この一冬かけてかかなりスッキリさせた。

この一本は『玉川村・花見山』の第一歩となる、記念すべき植樹でもある。
この春には、小さいながらも花をつけるはずだ。
早く大樹になって、その華麗な花を枝一杯に広げて人々を和ませて欲しいと願っている。

植樹したソメイヨシノの苗木
写真奥はJR玉川村駅だ
写真右手に植林した苗木が、白い杭とともに小さく見える
(黒く見える杉の木の左下部分)

自然は時に厳しい一面を見せるが、限りなくやさしい存在である。
美しいあのサクラの花を開かせられるのは自然だけだ。
人間なんてとても敵わない。

2011年10月27日木曜日

JR玉川村駅の地震計設置工事

いつの間にか、地震の揺れをあまり意識しなくなった生活である。
頻発した地震に慣れてしまった一面も確かにあるが、ここしばらくひどい揺れの地震はないこともある。

あの3月の地震から学んだ備えと、万一の時の行動シミュレーションだけは頭の中にしっかり置いておくとしても、平穏な生活が続くとだんだんと意識の中から『地震』が遠のいて行くのも、ある意味、生活して行くうえでの人間の本能のようなもので、仕方ないことかもしれない。


         

JR玉川村駅構内で地震計設置のための建物組立工事が進んでいる。
現場までの侵入道路の状態が悪く、トラックの通行や資材搬入にはかなり苦労されているようだが、どうにか建物の外枠が組み上がった状態まできた。
工事現場へ向かう山沿いの道は泥濘がひどい。
JAFを呼んで車の脱出騒ぎまであった
ここまでくるとあとは内部の造作がメインだろうから、近いうちに完成するものと思う。
JR玉川村駅構内の地震計用の建物
内部は一坪ほどだが基礎は厚く、枠組みは堅牢な建物だ
         

JR東日本は、東日本大地震で太平洋沿岸の路線に大変な被害を受けている。
いまだ復旧できないでいる線もある。
常磐線は福島県内では、福島第一原発付近で分断されたままだ。
元通りに戻すにしても、迂回路を造るとしても、膨大な費用がかかるとの予測がなされている。
だろうと思う。
線路を敷くということ自体、重機をふんだんに使う今の時代であっても、大工事である。
一般道のように土を盛ってアスファルトを敷いて固めて仮復旧、という訳には到底いかない。

とはいえ、地元の人(※)にとっては大切な公共施設で、都市と地元が物理的にも精神的にも繋がる貴重な存在であり、復旧に掛ける期待は大きい。

(※)普段は自家用車ですべて移動していて、JRを利用することなどは殆ど、いや、全くない人であっても、このようなときにはにわか待望論者になる。
それぐらい沿線住民の根には国鉄時代からの都合の良い愛着だけはあるのだろうなと思う。


         

公共交通機関としての役目を担うJRにとっては、目に見える形の災害からの復旧も大切だが、将来発生するかもしれない地震に対する備えもまた大切な投資である。
この地震計設置などはその典型だろう。

たまたま我が家のすぐ近くで工事がなされているために、このように関心を持って毎日観察している訳だが、殆どのひとはこの地震計の存在そのものも気がつかないだろう。

稼働後は休むことなく地震の観測を続けるはずだ。
JRの電車を利用するすべての人の安全と安心のために。


         

JR玉川村駅上りホーム横にこの建物はある。
水郡線の車窓からこの建物が目に入ったとき、あるいは地震を身体に感じたとき、すこしだけでもよい、この地震計の存在と意義を思い出して欲しい。
気がつかないような僅かな揺れでも計測されている



2011年10月7日金曜日

東日本大震災とTPP

節電の夏も終わり、秋風が吹く頃となった。
安全と便利を当たり前のこととして享受している大多数の国民の皆様は、震災と津波で街が破壊されたこと・いまも原発事故による苦汁の避難生活を強いられていることなどは、何か遠い昔のことか、遠い地方でのこと、他人事のように感じておられるのかもしれない。

かの地に何かしらの地縁・血縁があれば、少しは距離感は近く意識できるのであろうが、そのような方はごく一部であろう。
もう既に何度も震災募金はしたぞ、これ以上何をしろというのだ、という精神的な反発も抵抗もあるに違いない。もっともだと思う。
でもしかし、である。

ここ茨城県も程度の差こそあれ、被災した場所である。
津波でなくなった方もいるし、自宅を流された方もいる。
液状化で建物が傾いた方も、塀が倒壊した家・屋根瓦が落ちた家は数知れず。
続いているのである。震災の後遺症が。

まだ修復・復旧にまったく手つかずの家々が極めて多い。
ブルーシートを被せたままの瓦屋根の家は、随所に見られる。
屋根の工事屋に依頼しても順番待ちというのが現状だ。
応急処置としてのブルーシートも、台風ではいとも簡単に捲れた。
雨漏りに苦しんでいるという老夫婦の家のニュース報道もあった。

まだまだ被災地の現場の人たちは、困難と戦っている最中であり、継続中なのだ。
放射生物質の汚染とともに、これは過ぎ去った話ではない。

         

少しずつだが、屋根の工事屋が作業をしている家が目に付くようになった。
我が家でも、今日(10/7)から屋根の工事が始まった。
まだ恵まれている方だろう。
周囲をシートで保護する作業を手際良く始めた
瓦を外して、トラック荷台に捨てる
         

余談だが、屋根に上がる工事の方は、プロであるからにして当たり前であるが、実に要領よく屋根の上を動き回り、瓦を外す作業を進めている。
まさに『職人』という言葉がぴったりくる技だ。
足には、当然のように地下足袋。
地面にきっちりとフィットする職人の必須アイテム。

一口に地下足袋といっても、各種のノウハウが詰まっていて、職人の心をくすぐっているらしい。
メーカーの努力とは素晴らしいものだ。

トップメーカー・力王足袋  力王ファイター

滑らず、足先にまで力が入る地下足袋姿だ
力王足袋だろうか
         

閑話休題。
震災から7ヶ月。
相変わらず、原発事故の農産物に対する風評被害は止まず。
原発事故の影響下にある各地の農家は依然苦しんでいる。
どれだけしっかりとした検査をし安全性を担保したところで、なんとなく嫌だと言う感覚までは払拭できない。
判らぬではないが、やはりやりきれない。

『土』や『農』から遠く離れてしまった一般の消費者には、農家が生産物を出荷するまでどれだけの労働資本を投下しているのか、苦労しているのか、ピントこない話かもしれない。

このような大衆の低関心度の中で、TPP(環太平洋経済連携協定)を議論しても、農業の将来は明るくない。
われわれ小農家が育てている『食べ物』としての農業生産物と、アメリカに代表される巨大アグリビジネスが大量生産する『商品』=コモディティ(commodity)としての農業生産物は、健康的にも環境的にも社会的にも違うものだ。
Chicago Board of Trade(CBOT)で取引されるような機関投資家が取り扱う『商品』の位置づけではないのだ。
アメリカニューヨークで、ワシントンで、ロサンゼルスで、若者のデモが繰り広げられているのも、なんでもかんでも金融優先・金儲けに最高の価値を置くことの矛盾が根底にあるからではないのか。
いま気づき始まったということだろう。

食糧を海外に頼れるのは、相手が売ってくれることが前提だが、中国やインドが人口爆発しているなかで自国の食糧が不足しつつあるのに、日本などにいつまでも売ってくれる保証はない。
一次産業は、根本的に二次産業・三次産業とは異なる。
一度荒廃すると田畑は元に戻すには大変な時間と労力が要る。あるいは無理かもしれない。

何度も言うが、経済合理性の尺度だけでかかる問題を比較・判断することは決定的な過ちを犯すことになる。
みなさん、もっと食の自立の確立に意識を傾け、勉強されても良いのではないかな。
手遅れとなる前に。
いまの自分のため、子供たちのために。

と同時に、我々ももっともっと発信し続けなくてはならないと思う。

2011年7月15日金曜日

揺れ再び

今夜21時01分、茨城県南部を震源とする比較的大きな地震が発生した。
栃木県南部で震度5弱であったという。
茨城県北部は震度4。
東京23区も震度4と、しばらく無かった揺れであり、おそらく一瞬の緊張が走ったことと思う。


あの3.11から既に4ヶ月あまり経過した。
直接の被災地では依然苦しみと忍耐の中にあるものの、大多数の国民は電力供給不安=節電と、放射性物質の心配を除けばすっかり平常モードに移っており、揺れそのものに対しての危機感は薄らぎつつあったのは事実だろう。
だが、まだやっぱり余震の恐怖は依然続いていることを思い起こさせた、突然の大きな揺れであった。

         

昨日(7/14)のことであるが、玉川村駅構内の遊休地で突然工事が始まった。
作業の方に話を聞くと、東北新幹線のための地震計を設置するための工事であると言う。

常磐線や水郡線など、東北新幹線とほぼ平行に南北に走るJR線沿線の幾つかのポイントに、広範囲に地震計を設置し、大動脈たる東北新幹線の運転安全のための(自前で震度計網を作り精度の高いデータを集めるものか、あるいはいち早くP波を検知し新幹線を緊急停車させるためのデータ計測をする)施設なのであろう。

先の3.11の大震災ではJR東日本は甚大な被害を被っている。
国の支援を待たずに自己負担で復旧工事を急いでいるとの新聞報道があった。
列車が動いて、人や物を運んでなんぼの鉄道事業である。

大動脈で収益の源泉でもある東北新幹線はいち早く復旧させたものの、復旧の見通しも立たない区間もまだ多数ある。
東北の太平洋沿岸路線は言うに及ばず、常磐線も地震+福島第一原発事故で分断されたままだ。
(幸いに水郡線は、太田線の額田〜河合間で線路法面が崩れ線路が曲がる被害はあったものの復旧工事が進み、短期間で全線開通した)

         

このような中で、安全へ投資の工事が着実に進んでいる。
さすがである、JR東日本。

これはなかなか一般の人の目にはつかず評価もされ難い地道な、しかし大切な作業だ。
暑い中、実際に工事に携わる方には頭が下がる。
設置予定地の地盤調査ボーリング作業が始まった
作業は一日で終了だ
鄙びた田舎の駅であるが、今後大切な役目の一端を担う一駅になるのだろう。
すごいぞ、玉川村駅!!!  頑張れ、玉川村駅!!!