2013年4月30日火曜日

イノシシ被害

新緑が眩しい里山周辺は、人間の生活活動の場であると同時にまた野生の動物達の生活の領域だ。

最近は、日本の国鳥キジが出没する機会が増えている。
しばしば庭先の畑をオスメスのツガイで闊歩する姿を目にする。
さらに、ケーンケーンと甲高い声で鳴くものだから、居るなとすぐ分かってしまう。
狩猟する人も機会も激減しているのだから、昔に較べると棲息数が格段に増えているのだろう。

田んぼにはイノシシが出没する。
畔や田んぼの土中のミミズでも食べるのであろうか、至る所の土をほじくり返す。
田んぼの右側部分の黒い部分は、全てイノシシがほじくった部分だ。
田んぼ真ん中の草が生えて緑の部分は被害に遭っていない部分。
両者の違いは明瞭だ。
上の写真の田んぼは他家の休耕田だが、見事なまでにイノシシが田んぼを耕してくれている。本来は水田中央部のような緑の草に全面が覆われているむはずなのだが、畔に近い部分を重点的にほじくり返している。黒く見える部分がイノシシが荒らした部分。
イノシシにとって、よほど魅力的な田んぼらしい。

そしてつぎの写真が我が家の田んぼの畔である。
代掻きした田んぼの畦道が見事なまでに破壊されている。
代掻き前に畔の草を刈ってきれいにした畦道だ。
ヤツラは決まって夜間に犯行に及ぶ。
朝一番にこの光景を目の当たりにした時、我々が脱力する気持ちは理解戴けるだろう。
ウクレレ漫談ではないが、『あ〜あ やんなっちゃった、あ〜あ 驚いた』だ。
もう原型を留めない程に畔はボコボコ。
こうなると、折角貯めた田んぼの水が漏れ出てしまう。
至急に畔を補修するまた余計な作業が必要となる。

これがヤツラの仕業である動かぬ証拠である。

偶蹄目のヒヅメの足跡だ。

共にこの地で生きる生き物同士であり、割と寛容な気持ちでいるのだが、正直この瞬間だけは『あ〜あ、またやりやがったな、この野郎!!』と思う。
だが、いちいち怒っていたのではきりがない。
またスコップで土を盛り上げ、畔を整形し直す。

このような獣被害を防ぐため電気柵を巡らす農家もあるが、我が家等はコストを考えると到底そんなことは出来ない。

中山間地の農業の現場で、このようなドラマが繰り広げられていることを、おそらくは都市部住民の方々はご存知あるまい。
そして同じ農家であっても、(イノシシ等出没することがない)平坦地での大規模水稲農家の方々も考えたことはないだろう。
(・・・愚痴るつもりはないし、同情して欲しいということでもない)
慣れっこになっているが、実は切実で深刻な問題だ。
農業を続けることは、かようなことも含めて実は簡単ではない。
悩みながらもこのように続けていけていられるのは、限りない『農』への愛着があるからこそである。

2013年4月27日土曜日

2013  代掻き始まる

世はまさにGW突入で、高速道路の下り車線が大渋滞やら海外脱出組で成田空港が混雑したやら新幹線の乗車率が140%やらの非常に分かり易い、いや象徴的な、と言うべき映像がテレビニュースで流されている。
今年は天気にも恵まれ観光地を訪れるには最高の日和であろう。何よりである。ぜひ楽しんでいただきたいものだ。

一方、稲作農業に携わる人々はこの連休が一番忙しいことと思う。
殊にサラリーマンとの兼業の場合は。
茨城北部では、余程特殊な事情がなければGW中に田植えを終える農家が多い。
それだけ兼業が多いということでもあるのだろうが、競うようにこの時期に植える。

今年は連休が分かれているので、前半の連休で田植えの準備=代掻きをし、数日間を空けることで泥を落ち着かせ、後半の休みで一気に田植え、という算段の家が多いはずだ。

我が家でも、今日から代掻きを始めた。
昨日までで畔の草刈りやら、水廻しを終えており、準備万端整っての今日である。

暑すぎず寒すぎず、天気も良く、水量も十分であり、機械の調子も良く、まずまずの作業開始だ。

短期決戦。GW後半に田植えを終える。稲の生育も順調でまずまずで算段通り。
これから数日、忙しい日が始まる。

2013年4月25日木曜日

明日満月 〜 朧月夜

都会に住む人にはなかなか想像し難いだろうが、いまの時季の田舎は大変賑やかなのである。
他でもない、カエルの大合唱が凄いのである。
昼夜問わずにカエルは鳴いているが、特に夜には凄い状況になる。
風呂につかりながら遠くに鳴くカエルの声を聞く・・などは、少々趣きがあって良いものだが、すぐ近くの田んぼでそれも半端でない数のカエルが一斉に鳴いているのはうるさいというしかない。
こんな状況だ。☞ YouTube『夜の田んぼ』

この鳴き声は配偶行動に関わるらしい。
『繁殖期にオスが他の個体に対し自分の存在をアピールして、メスを引き付けオスを排除するための鳴き声。春から夏にかけて田んぼでよく聞かれるカエルの合唱が、これにあたる』とWikipediaにある。
いやはや、カエルも大変である。

        

明日26日は4月の満月(2013年4月の月齢カレンダー)にあたるが、どうやら天気は下り坂でその姿はみられないだろう。今宵も満月と言って差し支えはないだろう(肉眼での観察では差はない)。
今宵は薄曇りで、どうにかボンヤリしてはいるがほぼ満月に近い月を眺められている。

カエルの鳴き声と仄かに霞んだ月の夜。。
菜の花も盛りは過ぎたがまだまだ辺りを黄色に染めている。

なんだ文部省唱歌『朧月夜』そのままではないか(・・鐘の音はないが)。

  1. 菜の花畠に、入日薄れ、
    見わたす山の端(は)、霞ふかし。
    春風そよふく、空を見れば、
    夕月かかりて、にほひ淡し。
  2. 里わの火影(ほかげ)も、森の色も、
    田中の小路をたどる人も、
    蛙(かはづ)のなくねも、かねの音も、
    さながら霞める朧月夜。

いいもんですよ。こんな田舎での暮らしも。
季節感たっぷりあって。

2013年4月23日火曜日

ヤマドジョウの棲む湿地に水芭蕉を植える

この一帯は豊かな自然環境ではあるが、知っている限りの付近の山間湿地で、『水芭蕉』が生育している場所はない。自生するだけの環境的な生育条件がなかなか合わないのかも知れないが、わざわざ購入したり移植したりしてまで植えようとした人がいなかっただけなのかもしれない。

以前に福島県三春の町の寺で、普通に咲いている水芭蕉を見たことがある。
(記憶を頼りに調べてみたら、三春町観光協会HPに『真照寺』の水芭蕉が開花したとの説明が出ていた。たぶんこの寺だったと思う)。
三春とここは気候も地形も似たようなものだと思うので、もしかしたら水芭蕉を楽しめるかもしれないと考えた。
という訳で、この当地では珍しい『水芭蕉』をかつては水田だったものの日当りも悪く水温も低いなど条件が悪いため耕作しなくなったく山間の田んぼに植えてみた。
植えたと言っても、生態系を乱すようなものではない。
あの白い花・清楚なイメージにちょっとした憧れがある、のである。
夏がくれば思い出す〜♪が、ベースにあるのだろう。

         

我が家では、埼玉県川口市にある果樹・花木など販売業者から果樹やら花木を購入している。安行復興農場といい、春と秋にカタログを送ってくれる。

市内の園芸店でもある程度は手に入るのだろうが、大きな専門業者なので取り扱いの種類が豊富でありすぐに送ってくれるので大変便利だ。品質もなかなか良いと思う。
送料は8400円以上頼むと無料になる上、10000円以上だと粗品(・・そのときどきの花木一種類)をプレゼントしてくれる。
更に嬉しいことに、いつも頼んでいる顧客はお得意様として10%割引してくれる。
ということで、我が家の庭にあるたいていの珍しい花木はこの業者から購入したものだ。
今回は、水芭蕉のほか、早生ブルーベリー苗、ポポー、新種のクリであるポロタン(鬼皮・渋皮がぽろりと剥けるようだ)など11種類購入した。

         

水芭蕉を植えた場所は、山から滲みだす水が年間を通して一定量ある。
僅かに水流もある。彼の尾瀬の湿地とは言わないまでも、常にジメジメしている場所。
水芭蕉があっても良さそうな雰囲気の環境だ。
水芭蕉を植えた、谷間のかつての田んぼだった場所
説明板を掛けて、回りをロープで囲まないと分からなくなる。
いまはたった一株だが、群生し咲き誇る日が待ち遠しい。

         

そしてこの場所へ流れ込む小さな流れには、我々がヤマドジョウと呼んでいる『トウキョウサンショウウオ』が棲息している。水たまりの中の落ち葉の下に卵を見つけた。
ゼリー状の袋内部では既に小さな形のヤマドジョウが動いている。

ここの環境は良いってことだな、やっぱり。

2013年4月21日日曜日

里山ライフは最高だ

昨夜から続いていた冷たい雨の日曜日。気温は低く肌寒い。2月中旬の気温らしい。
このような日は、田んぼの水の溜まり具合を見て歩き調整する程度で、仕事らしい仕事はどうにもする気にならない。
そんなところへ、従兄弟宅からのTeaParty(・・単なる茶飲み会だが)へのお誘いの電話。
どうせ今日は仕事にならないでしょう・・と見透かされた。

なにやら従兄弟宅の裏山のタケノコが生え始まっているらしい。
栽培しているワラビも旬を迎えているとのこと。
掘るなり、摘むなり、とにかく遊びにおいでなさいな、とのお誘いである。

さっそく訪問した。
90を超えた伯母も健在だ。
ひとしきり従兄家族とあれやこれやの話で盛り上がった。
午後3時過ぎには雨も上がったので、ワラビ取りに出かけた。
ちょうど食べごろのワラビ
(緑の葉っぱは蕗の葉。ワラビは写真奥の枯れ草部分に主に生えている)

摘んでもすぐに次の芽が出てくるワラビ。
ちょっと収穫の時期がずれると伸び過ぎて葉が開いてしまう。
この状態がのワラビが一番良い。

       

ワラビ摘みにはコツが。
人差し指を鍵状にして茎を挟み、ワラビの根元のほうから親指で軽く抑え、なぞるように曲げながら引っ張り折る。
根元部分からある部分までは固くて容易には折れない。この部分は固くて食には向かない。
途中に容易に折れるポイントがある。折れた部分から上が食用部分の柔らかい部分である。この境目部分を指の感触で見つけて折る。
難しく言葉で説明するとこのようになるが何のことはない、単につまんで折れるところから折れば良いだけのことだ。固い部分ではなかなか折れないから悩むことはない。

ワラビは灰汁を抜かねば食べられない手間が掛かる食材だが、おひたしにして食べると美味い。春の代表的な味覚だろう。

灰汁抜きした見事なタケノコも頂戴した。
さっそく頂くことにしよう。
うーん、目には青葉、山ホトトギス、初タケノコ・・だな。

       


従兄弟宅から帰る道すがら、見かけた市内・長沢地区に広がる風景。
山全体に新芽の淡い緑が広がっている。
茨城北部地域では、いまちょうど新芽が映え揃って薄緑色になっている。
『山笑う』と喩えられる風景。
淡い緑のそんな中に、ひと際映えるヤマザクラの白やヤマブキの黄色が美しい。
手前の田んぼでは、水が張られて代掻きの準備が整ったようだ。カエルの鳴き声も日増しに多くなっている。
この風景の中での生活は、人も自然の一部であることを実感する。

       

経済指標で図ればなんら妙味がない田舎だろう。
だがこれらの指標が高いからと言って豊かであるとは思えない。
都会にあるような便利さはないが、精神的にも物質的にも豊かなんだよなぁ。
ここ茨城北部の里山ライフは。

2013年4月20日土曜日

実のひとつだに無きぞ悲しき・・ではない一重ヤマブキ

もう2年も前になる。
田んぼの傍らの薮に自生して咲いている山吹を、屋敷近くの山に移植した。
2011/05/10 ブログ

何株も移植したものの根付かなかったものもあったり、その後の下草刈りの際に誤って刈り払ってしまったのもあったりで、今年無事に開花したものは小さな2株ほどでしかないが、一重の山吹が可憐な花びらを付けている。
なかなか群生まではいっていないのが現状だ。

         

今年もまた、ヤマブキ大植樹会を挙行した。
我が家の田んぼの畔沿いにある薮に自生しているヤマブキ
これを根から堀上げた
移植後のヤマブキ
         

太田道灌と農家の娘の逸話で知られるヤマブキは、実が付かない八重ヤマブキのことらしい。
前回・今回と植えたヤマブキは一重のヤマブキで、これにはどうやら実は付くようだ。
Yahoo百科事典 『ヤマブキ』にその記述がある。

山肌をビッシリと山吹色に染めるように、大群生してくれる日を楽しみにしている。
(・・・今回は誤って刈り払わないように目印の棒を立てようと思う。)

         

余談だが、この田んぼ脇のヤマブキの根元を掘っていたところ、錆びた馬蹄が出てきた。
錆びた馬蹄が出土した
かつて農耕に牛馬が用いられていた時代があった。
その当時この田んぼを耕していた馬のものだろうか。
当時のご先祖様がこの薮に捨てたものかも知れない。
いずれにしても半世紀以上前のものであることは確かだ。
なにかご先祖様と不意に出くわしたような妙な気分であった。

2013年4月16日火曜日

今年も見つけたクサガメ

今年も田んぼで『クサガメ』を見つけた。
一昨年は稲刈りの現場で見つけた。同じものかあるいはその子孫か。
      2011/09/25 ブログ

体長は10cmほど。幼亀(?)なのだろうか、全体的にやや小さい。
水たまりに潜み、甲羅に首・手足を引っこませたまま、じっとしていた。

繁殖能力が強いのか弱いのか、これはオスなのかメスなのか、全くわからぬ。
この田んぼにいる限り、食物には困らぬだろう。ドジョウもタニシもオタマジャクシもザリガニも大量にいる。
アメリカザリガニ
こんなのもたくさんいる
                      

そう言えば、昨年の夏にため池の水かあふれ堤を大量に水が流れた結果、その堤の土手が崩れた。
その遠因を作ったのがため池にいたクサガメであった。

あの大雨の夜、前もってため池の排水栓を開けておいたのだが、その孔をクサガメが塞いでしまったていたのだ。甲羅の大きさがほぼ栓と同じで排水孔をふさいだ。
(ため池には排水路も別途あるのだがそれだけでは処理できないぐらいの大量の出水であったから、クサガメが排水孔をふさがずとも堤を超えていたはずだ)
悲しいかなクサガメの死骸が穴に引っ掛かっていたのを翌朝発見した。

こんな事件もいろんな生物が暮らすこの環境ならではのこと。
土手の修復も苦労はしたがなんとか形になった。
ことしも例年通りの田植えができる状態だ。
おなじこの地に暮らす生活共同体だ。クサガメを恨むつもりはない。

2013年4月14日日曜日

中山間地域農業とJA

4月も中旬に差しかかったが、12日と13日の朝は冷え込んで霜が降りた。
土筆のまわりに霜柱
土から顔を出したばかりのジャガイモの新芽も霜にあたり、先がヨレヨレになってしまった。
当地ではまだまだ安心できない日が続く。

         

我が家では、田植えする稲の苗はビニールハウスで自ら育てている。
外では霜が降りてもこの中はムッとするほど暖かく、苗が育つ理想的な環境にしてある。当然湿度も高い。

先月に播種した種籾から出た芽も、やっと生え揃って苗らしくなってきた。
コシヒカリの苗トレイ
5~6cmほどに成長した
天気が良いとビニールハウスの中は50℃を越え、熱地獄になる。
苗にとっても良くないため、ハウス側面のビニールを開け温度を調節する。
乾燥度合を見ながら散水を行う。苗には保温シートを被せる。
この苗を、植え付けを行う5月の連休に最適な長さになるように、室内を涼しくしたり暖かくしたりと様子を見ながら育てる。
一連の作業はなかなか手間がかかると同時に、気が抜けない。

なので最近は多くの農家が、田んぼに植える稲の苗を農協から購入する。
苗を植えられるまで育てるこれらの1か月余りの手間は結構な負担なので、高齢化が進んでいる現状では仕方ない面はある。それに育てる失敗もない。

         

いまや農家の作業はお金で代替出来るものが多い。
田んぼを耕すのも、代掻きをするのも、田植えも、稲刈り・脱穀も・・・。
これらのすべてを農協JAは請け負う。
農家のニーズに合わせたJAのしたたかな商売だが、農家を助けているように見えるこれらサービスが、長期的に見れば中山間地域の農業を根底からダメにしているようにも思える。

田んぼは農家Aさんの所有と言うだけで、そこでほとんどの作業をするのは請負人JAということになる。
最終的に米の売り上げ代金から、AさんがJAにこれらの作業手数料を支払うと、ほとんど残りはないと思う。
では一体何のための、誰のための農業なのか。
この疑問は、少なからず農家の皆が抱いているのだが、最終的にはやや自嘲的に『田を荒らす(耕作放棄地にしてしまう)よりはマシだ』、という答えに行き着く。

このような形であっても、耕作が続けられている間はよい。
後継者がいない農家は、あっさりと耕作をやめる。
米は食べる分だけ買った方が、米を生産するコストより断然安いのだから農家も買った米を食するようになる。
周りが耕作放棄していれば自分の田んぼを作らなくてもあまり抵抗は無くなるだろう。周囲の目も声も『しゃーんめぇ(仕方あるまい)』となる。
やめる大義名分ができると、要は農家自身のやる気が失せてしまうのだ。
農家自身が、もうここでの農業には限界があり魅力も気力もないし、次の代には農業を続けさせたくはない、という思いでいる。

こうやってポツリポツリと耕作放棄地が増えてゆく。
あと何年、きれいに苗が植えられ水が張られた田んぼの風景を見られることだろうか。
このような弱小農家が多く点在するこのあたりの中山間地域では、農業の現場が抱える構造的問題は、たやすく解決できない。
TPP以前の深刻な問題である。

2013年4月12日金曜日

JR東 玉川村駅の枯れ草ボヤ 煙に巻かず

我が愛するJR水郡線・玉川村駅。
毎日、菜の花越しにその姿を眺めている。

今日正午過ぎ、その菜の花越しに見える上りホーム隣の構内(かつての引き込み線があった空き地)の枯れ草が燃えた。
出火原因は分からぬが、ホーム隣でもあるので列車待ち乗客のタバコの投げ捨て、かも知れない。
南から北方向を写す
左が上りホームだ
東側(写真左側)には薮が広がっているので危ないとこだった

最初は、雑草の新芽が出る前の野焼きかとも思ったが、ひとりの監視員も見当たらない。
次第に燃え広がってきて、煙りが我が家に近づいてくる。
何か変だなと。。
家から飛び出して、すぐに駅窓口の嘱託の方に通報。
2人で消火にあたり、1時半頃には鎮火は、した。

無人駅・玉川村駅は隣の常陸大宮駅の管轄下であるので、消防への通報は常陸大宮駅に連絡の上で行ってもらうとの嘱託の方の話であったので、鎮火を確認したのちその場を離れた。
風も弱く、大事に至らずに良かった。
なにしろすぐ横に薮が広がり、更には山がすぐ隣だ。危ないところだった。
ほとんど事件らしい事件が起こらず、極めて静かな田舎駅とその周辺だが、そこにちっょと緊張が走った瞬間だった。

たとえボヤであっても鎮火した事案であっても消防への通報は必須だが、ちゃんとJR東はしてくれているのだろうかと、余計なことだがちょっと心配になった。
だが、1時間程してJR東の作業員、消防署員、パトカーも現場に駆けつけ、ちょっとした騒ぎになった。
(ちなみに、後刻、第一発見者として消防の調書作成があった。1時間程掛かったが快く協力した。市民としての当然のことだ・・)
ややこしい問題、つまりはJR東のCSR上の問題になったりしないで良かった良かった。
さすがJR東である。うやむやにせず煙りには巻かなかったようだ。
コンプライアンス・コンプライアンス・・・。

2013年4月11日木曜日

弾正 桜下に眠る

常陸大宮市田子内に、市の史跡のひとつ『弾正塚』があるのだが残念ながらあまり知られていない。
かつてこのブログでその塚が手入れもされず草だらけとなっていることを記した。
2011/06/28 ブログ

だが、最近(・・去年の夏頃だろうか)になって綺麗に周囲の雑草が刈り取られ、石碑が立っている塚全体が見えるようになった。
塚は綺麗に雑草が取り払われている
見え難いが中央に石碑が建っている
周囲はまだ薮のままなのだが、以前に較べるとスッキリした。
この塚には石碑を挟んでヤマザクラの大木があって、時あたかも満開となっている。
大木のヤマザクラが満開だ
この塚の主は、今を去ること543年前(天文9年:1470年)の『部垂の乱』の時に殉死した、小舟城主・内田弾正左衛門さん。
だが、悲しいかな、この殉死は史実であるか定かではないとされている。つまり伝内田弾正左衛門の墓としての扱いだ。
だが、その伝えられてきた彼の精神は、ただただ主家の安泰を願う崇高で純粋な心であり、大層尊いものだ。
塚の説明板はボロボロのままのだが、周囲がキレイにされたことだけでもこの尊い精神を大切に思う気持ちの表れと捉えたい。

史実なら内田弾正左衛門さんが切腹して果てたのは、部垂城が落城し城主の宇留野義元が自刃した旧暦3月14日、新暦の4月20日のはず。
既に桜は散って葉桜の時期であったろう。
命絶えゆく彼の目には生命力に溢れた新緑の青葉が映っていたに違いない。

殉死が史実かどうかはともかく、内田弾正左衛門さんが静かに眠りについていると信じるに相応しい満開の山桜だ。

2013年4月9日火曜日

ツバメ飛ぶ空で 

屋敷のすぐ近くには、我が家所有の小高い山がある。
200年以上前の昔から、我が家の生活とともにある『里山』だ。

この山の頂き付近には、東京電力の送電線の鉄塔が建っている。
我が家から見た鉄塔
小高いと言っても麓から頂までは比高30mはある山。
その頂きに高さ50m以上はあろうかという鉄塔が建っているので、下から見上げるとその鉄塔の一番上の部分は遥か彼方にみえる。
一番てっぺんはきっと眺めは良いのであろうが、高所恐怖症の小生には絶対に行きたくない場所・縁遠い場所である。

今日、東京電力の保守作業員がこの鉄塔に登って作業を行っていた。
迷惑にならないように近くに寄って見物してきた。
脚部分には工具類・作業部品をロープで吊るし上げる人が2人
天空を突き刺す如く聳え立つ鉄塔。
見上げるとクラクラしそうな高さだ。
その先端部分には既に2人が登っていてスタンバイしている。
中間部分にも人が一人いる(左の真ん中、黒い部分)。
かなり危険な仕事であることは間違いない。
ミスがないように、それぞれが声を掛け合いひとつひとつ確認しあいながら、粛々と作業が進められていた。
『ガイシ交換・・』という声が聞こえたので、きっと碍子のことなのだろう。
我々は、このような方々の地道な保守作業のお陰で安定して電気を使うことが出来ているのを決して忘れてはいけない。

(東電の本社オフィスにいるオエライさん達はともかくとして)福島原発事故現場はもちろんのこと、このような過酷な最前線の現場で危険な作業に従事されている方々には、ほんとうに頭が下がる。

要領よく作業を進め1時間程でこの鉄塔での作業を終了し、次の山に建つ鉄塔へと移動していった。
昨日の恐ろしいほどの強風とは打って変わった穏やかな日和であり、何よりの作業日和だったろう。

         

そんな春の空を、ツバメが飛び始めているのを確認した。
今年のこの地でのツバメ初見は先週末だ。
水戸地方気象台が公表している動物の観測日によれば、今日(4/9)時点では気象台では未観測らしい。

ツバメが飛ぶようになると、農作業も活発化する。
間もなく田植えの準備が本格化する。そして5月の連休には田植えが終わり、あっという間に初夏を迎える。
季節が移ろうとしている。

2013年4月7日日曜日

サクランボの緑の実 膨らむ

ソメイヨシノなどの桜に先駆けて開花したサクランボの花。
ここ数日の強風と強雨もあって既に花びらはすべて散り落ち、青葉が目立つようになってきた。

茶色い花のガクが残っているのだが、その下には小さな緑の膨らみがはっきりと確認できる。

うれしいことに、ほぼ全てのガクに膨らみがある(ような気がする)。

ということは、今年のサクランボ結実は大層良い(ような気がする)。
5月末頃には真っ赤に色付く。
収穫が楽しみだ。

         

とその前に、野鳥被害対策を講じねばならない。
ブルーベリーを囲んだ防鳥ネットの余りがあるので、実が色付き始まったら部分的にネットを掛けることにしよう。

冬の間に枝を剪定して、今年は手が届き易い低い枝ばかりにしておいた。
管理がし易くなったとはいえ、サクランボの樹木全体をネットで覆うのはやはり技術的にも難しいしネットが大量に要る。
(いつもそうなのだが)適当なところで妥協し、この赤い宝石を鳥にも分け与えてやろうかと慈悲の心で思う。

そもそも穫れたサクランボは出荷する訳でも無い。
そして全部を自家消費など到底出来ないくらい実が付く(これもミツバチ達のお陰だが)。

鳥に食べられたとしても、ちょっとだけ初夏の味覚を味わうには十分な量が穫れる。
ただ、たった1日〜2日で全て鳥に食べ尽くされてしまうのが毎年のことであり、人間が楽しめるタイミングは極めて少ない。
だから、せめて一週間ほどの間、我々が少しずつ収穫できて食べられれれば良いなと。
それだけできれば、親戚知人を週末にサクランボ狩りにお誘いもできようというものだ。

2013年4月5日金曜日

春風駘蕩

   春風の 中に水郡線はあり  

この甘い香りを伝えられないのが残念だ
我が家の庭ではこれからが菜の花の盛りで、甘い匂いが春風にのって漂ってくる日々。

四季それぞれに水郡線に顔がある。
この時期は菜の花越しに玉川村駅と汽車を眺められる。

いま、ちょうど春風の中、上りの汽車が入ってきた。
黄色の中を進むカラフルな車体。
黄いろい色は人を元気にさせる不思議な力がある。
そして吹き抜ける風は肌に心地よい。
まさに春風駘蕩・・一番好きな季節だ。

2013年4月4日木曜日

まだまだ薪を必要とする人がいる

屋敷の周辺の山を手入れしていることは、何度かブログに記した。
切り倒した木のうち、コナラやクリ、クヌギはシイタケの原木に使っているが、ヒノキやスギは薪用に長さ40センチ程に切り揃えている。
枝葉と一緒に単に燃やしてしまうのがもったいない気がして、長さを揃えておきいつでも薪割りが出来るようにしているのである。
なので、写真のように道の傍らに割ったものとこれから割るものが積み上がっている。

ただ薪にしたところで、我が家とて使うチャンスはほとんどない。
ほんの年に数回、餅をつく際のモチ米を蒸かすのに使う程度だ。

腐ってしまうわけでもなし、いつか何かの際に役立つこともあるかも知れない、という程度の思いでせっせと薪を貯め込んできた。

         

この堆く積まれた薪を、彼岸で近くの墓にお参りに来た近所の親類が見ることとなった。
知り合いで薪を欲しがっている人がいるので分けてはくれまいか、との申し出。
できればコナラ・クリ等の雑木を中心に欲しいとのこと。
正直びっくりした。薪を煮炊きという目的のために使いたいというニーズが、僅かだがあるのだ。
いつどんなきっかけでどんな展開になるか分からないものだ。
さっそく、シイタケ原木にと切り出しておいた木のうちで、使わなさそうなもの(太すぎるものなど)を薪にして、お分けすることにした。

         

薪を束ねる専用の針金の輪(ワイヤー)は、市内にある大手ホームセンターYで購入した。
大手ホームセンターYの店頭に並べられている薪束とワイヤー
 
(このワイヤーが結構高価なのである。そして、そのワイヤーの隣に薪が並べられているのだが、一束680円もするのに驚く。今回お分けするのはその半分以下の金額だ。薪にするまでの手間とワイヤー代を考慮すれば完全なコスト割れだが仕方ない)。
今回のお届けはコナラ・クリの薪10束。
おまけとしてスギ・ヒノキの薪を2束。
薪を届けた相手は、息子夫婦と同居する老婦人、つまりオバアちゃん。
家では日常はプロパンガスを使っているものの、やはり長時間の煮炊きは昔ながらの薪が一番と言う。
なかなかまとまった量の薪を手に入れられずに困っていたとのことだ。
オバアちゃんは曲がった腰を更に折り曲げ何度も何度も頭を下げて、お礼を言って下さった。こちらが恐縮してしまったほどだ。
こんなことでこれほど喜んでいただけるなんて正直嬉しい。値段の問題などではない。
なんとも貴重な体験だった。

         

最近では、薪ストーブが人気が出てきているという話も聞く。
本格的な『暖炉』で薪を燃やすという方もあるだろうが、そんな人はきっと軽井沢の別荘で・・という人たちだろうから、薪の値段などは問わないのだろう。
このオバアちゃんのように真に実用として、煮炊きには昔ながらの方法が一番という根強い人気も、確かに一定数ある。ただ、絶滅危惧種ではあるのだが。

こうやって、里山が手入れされキレイになり(=環境が保全され)、その木々が燃料として利用される(=CO2排出規制のカウント外で、エコロジー)という良い循環が生まれる。これが昔からの(本来の・望ましい)姿だ。
今回は人助けにもなった。ますます薪割りに拍車がかかりそうだ。

大震災が発生して化石燃料が一切調達できなくなっても、薪さえあれば煮炊きが出来るという大きな安心感がある。
食べ物もふんだんにある(なければ生産できる)。
まずは食いつなげる・生命を長らえられるという田舎の生活。
そう言う意味では、この薪は災害時の大切な備蓄資材でもある。
そんなことで使うことははないに越したことはないが、『想定』だけはしておきたい。