切り倒した木のうち、コナラやクリ、クヌギはシイタケの原木に使っているが、ヒノキやスギは薪用に長さ40センチ程に切り揃えている。
枝葉と一緒に単に燃やしてしまうのがもったいない気がして、長さを揃えておきいつでも薪割りが出来るようにしているのである。
なので、写真のように道の傍らに割ったものとこれから割るものが積み上がっている。
ただ薪にしたところで、我が家とて使うチャンスはほとんどない。
ほんの年に数回、餅をつく際のモチ米を蒸かすのに使う程度だ。
腐ってしまうわけでもなし、いつか何かの際に役立つこともあるかも知れない、という程度の思いでせっせと薪を貯め込んできた。
この堆く積まれた薪を、彼岸で近くの墓にお参りに来た近所の親類が見ることとなった。
知り合いで薪を欲しがっている人がいるので分けてはくれまいか、との申し出。
できればコナラ・クリ等の雑木を中心に欲しいとのこと。
正直びっくりした。薪を煮炊きという目的のために使いたいというニーズが、僅かだがあるのだ。
いつどんなきっかけでどんな展開になるか分からないものだ。
正直びっくりした。薪を煮炊きという目的のために使いたいというニーズが、僅かだがあるのだ。
いつどんなきっかけでどんな展開になるか分からないものだ。
さっそく、シイタケ原木にと切り出しておいた木のうちで、使わなさそうなもの(太すぎるものなど)を薪にして、お分けすることにした。
(このワイヤーが結構高価なのである。そして、そのワイヤーの隣に薪が並べられているのだが、一束680円もするのに驚く。今回お分けするのはその半分以下の金額だ。薪にするまでの手間とワイヤー代を考慮すれば完全なコスト割れだが仕方ない)。
今回のお届けはコナラ・クリの薪10束。 おまけとしてスギ・ヒノキの薪を2束。 |
薪を届けた相手は、息子夫婦と同居する老婦人、つまりオバアちゃん。
家では日常はプロパンガスを使っているものの、やはり長時間の煮炊きは昔ながらの薪が一番と言う。
なかなかまとまった量の薪を手に入れられずに困っていたとのことだ。
オバアちゃんは曲がった腰を更に折り曲げ何度も何度も頭を下げて、お礼を言って下さった。こちらが恐縮してしまったほどだ。
こんなことでこれほど喜んでいただけるなんて正直嬉しい。値段の問題などではない。
なんとも貴重な体験だった。
なんとも貴重な体験だった。
最近では、薪ストーブが人気が出てきているという話も聞く。
本格的な『暖炉』で薪を燃やすという方もあるだろうが、そんな人はきっと軽井沢の別荘で・・という人たちだろうから、薪の値段などは問わないのだろう。
このオバアちゃんのように真に実用として、煮炊きには昔ながらの方法が一番という根強い人気も、確かに一定数ある。ただ、絶滅危惧種ではあるのだが。
こうやって、里山が手入れされキレイになり(=環境が保全され)、その木々が燃料として利用される(=CO2排出規制のカウント外で、エコロジー)という良い循環が生まれる。これが昔からの(本来の・望ましい)姿だ。
今回は人助けにもなった。ますます薪割りに拍車がかかりそうだ。
大震災が発生して化石燃料が一切調達できなくなっても、薪さえあれば煮炊きが出来るという大きな安心感がある。
食べ物もふんだんにある(なければ生産できる)。
まずは食いつなげる・生命を長らえられるという田舎の生活。
まずは食いつなげる・生命を長らえられるという田舎の生活。
そう言う意味では、この薪は災害時の大切な備蓄資材でもある。
そんなことで使うことははないに越したことはないが、『想定』だけはしておきたい。
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