2012年9月30日日曜日

栗拾い 盛況

先週は2〜3日間隔で雨が降ってしまい、田んぼにオダ干ししている稲束が濡れてしまった。

ために今年は脱穀作業がなかなか出来ずにいて、大幅に遅れてしまっている。
例年なら余裕で脱穀が終わっている時分なのに。
天気予報に注意し、空を仰いでため息をつく日々であった。

今日は台風17号が接近しているが、ここ2日続いて晴れたため、この機を逃すまいと脱穀作業に勤しんだ。
なんとも天候に左右されてしまう従来型農業である。

このような天候に左右されることを嫌い、かつ作業効率性を追求するならば、機械化農業(高価なコンバイン・乾燥機などへの投資を)に突き進むべきなのであろうが、残念ながらその気はない。
経済合理性が無いからに他ならない。
年に数日しか使わないこれらの高価農機具類に、高級乗用車並みのコストは掛けられない。
この人力に頼る方法には限度があるのは事実で、正直体力的に辛い一面も確かにある。
ただ与えられている時間はたっぷりあるので、そこまで効率性を求めるものでもないな、という開き直りの精神でもある。
それにこれらの作業を、趣味の一環と考えている部分もあって、辛い作業にも快感を覚える。苦にはならない。逆に『ああ、生きているんだなぁ』という充実感に満たされる瞬間でもある。

台風の雨風が始まる前に、今日予定していた田んぼにおいての脱穀作業と脱穀後の稲藁の引き上げまでを、どうにか終えることが出来た。
これで精神的にもちょっと一段落といったところだ。

周囲を見渡すと、すっかり秋の様子。
もう明日から10月が始まる。
ヒガンバナもちょうど盛りだ
銀モクセイが真っ盛り。
この甘い香りに偶然接すると、秋の到来を実感する。
         

台風17号の接近中であるが、午前中は穏やかな秋晴れに恵まれた。
そんななかブルーベリー摘みなどで何度か当園を訪れてくださっている方が、お友達を誘って5名で、東京から栗拾いにお越しになった。
全員が初めての栗拾いとのことで、大変楽しまれたようだ。
大きな栗の木下で、あなたと私、仲良く〜・・・♪
手前は蕎麦畑。まだ白い花の盛りだ
間近に栗のイガをご覧になるのも初めてのご様子。
枝に成っている栗のイガに驚き、落ちている栗に驚きで、何もかもが新鮮だったようだ。
ひとしきりワイワイガヤガヤの栗拾いのあと、籠一杯の栗(と、きっと溢れんばかりの満足感)を各家庭にお持ち帰りになった。

迎える側が田んぼの作業が立て込んでいて、栗の収穫まで手が回らなかった折りでもあって、助かったというのが正直なところではあった。
わざわざ高速道路を使い、遠路はるばるお越しくださり、ほんとうに有難いことである。
感謝申し上げたい。
サービス面ではまだまだ至らぬところばかりではあるが、これに懲りずまた来年もお友達を誘ってお越し頂ければ幸いである。

初夏のブルーベリーと秋の栗は、皆さんにきっとご満足いただけるだけの質・量はあるものと自負している。
ではあるが、現状に甘んじること無く、更なるサービス向上を目指し、これからも改善を続けていたいと思っている。

今週末(10/6・7)もまだ十分に栗拾いは楽しめそうだ。
ご希望の方は、ぜひご連絡を。
まだまだ沢山の実が付いており、程よく色付いている。
あと一週間ほどは栗拾いが忙しい。

2012年9月29日土曜日

保内郷・清音楼と中秋の名月

茨城県久慈郡大子町の地のこと。

我が常陸大宮市も立派な田舎であり山の中だが、さらに県北にある大子町(だいごまち)はもっと険しい山の中の狭隘地である。
大子町は福島県との県境である
中世のころから、この大子町あたりは『依上保(よりがみのほ)』と呼ばれた。
そしてその地域全体を『保内郷(ほないごう)』と称した。
中世に常陸の国を支配した佐竹氏の『佐竹文書』には、ちょくちょく現れる地名だ。

         

水郡線が開通するまでは、現在の国道118号線に重なるかつての南郷街道が陸路での主要なアクセス路であり、周囲からは隔絶された不便感があった地域だ。
ただこれは現代の感覚でいえばの話で、中世の時代には東北との境の要衝の地であり、国境最前線の緊張感あふれる場所であった。
時の権力者の関心が自ずと高い地域であり、いま想像する以上に往来者も多かっただろうし、それに伴い各地の情報もまた集まったであろう。
当然ながら、居住者も多くいたに違いない。

佐竹氏がこの地を支配した鎌倉時代~江戸時代初めには、北からの侵入する勢力の防御の地としては無論のこと、金(Gold)の主産地としても山林資源の宝庫としても重要視された場所だ。
徳川時代になってもその重要性は変わらなかったようだ。

         

かの徳川光圀はこの地に11回(藩主時代に6回、隠居後5回)も訪れたと記録にある。
他の藩主の当地巡視が少ない中で、異例だ。
何か惹き付けるもの・気になるものがあったのだろう。

光圀は保内郷巡村の折りには、現在の大子町町付の『飯村家』にしばしば宿泊している。
町付は大子町市街地からさらに北に入った県境の山間地である。
GoogleMap==>  大子町町付
『飯村家』は地元の有力郷士(=農家と武士の中間層で名字帯刀が許された家柄)である。

((   余談だが、光圀より時代はずっと下って明治初期に、当家から飯村家に嫁いだ女性がいて、そのご縁あって今なお両家の交流は続いている。 ))

特に隠居してからの保内郷巡村の際には、学者、文人、侍臣を同道させて、しばしば飯村家に連泊したようだ。
飯村家当主は学問、識見にすぐれ、詩をよくしたことから光圀はたいそう気に入り、詩歌の会を何度も催している。
飯村家の敷地内、八溝川を眼下に見下ろす場所に詩歌の会の庵を建て、『清音楼』と名付けている(現在は建物はなく、碑が建っている)。
(飯村家・ 清音楼 = 水戸黄門の保内郷巡村 に画像あり)

驚くほどの文化的な知識人が、この山奥の地に、この時代にいたのである。
いま考えるよりもずっと江戸や京との結びつきがあったのであろうし、これらの文化を積極的に吸収した知識人たちがいたのだろう。
実際に、幕末の天狗党の乱(=水戸藩における尊王攘夷の改革派と保守派との間の派閥抗争)にも飯村一族から数名が駆けつけ、諸国を転戦している。

山奥=不便で文化的に遅れた地域という画一的な見方、現代の史観はこの場合は明らかに誤りである。

隠居した光圀にとって、飯村家当主は鄙にあって優れた詩歌の友として映っていたようだ。
巡村には、政治的な意図はなかったのかもしれないが、まだ佐竹時代の名残は色濃くあった時期であるので、何かしらの意図はあったのかも知れない。

         

清音楼跡の碑に光圀の詠んだ句が彫られている。
  都にて ながめしよりも まさりけり
         この山里の 月のひかりは

この大子町・町付の山里の趣は400年以上たった今でも、全く変わっていないだろう。

風情があるのは、なにも大子の山里だけの『月のひかり』に限らない。
茨城の田舎の風情は、都のそれより断然素晴らしい。

今年の中秋の名月は明日9月30日だ。
だが台風が接近している。
その姿を眺められる可能性は、残念ながら低い。

2012年9月27日木曜日

(私見) 金スマ『ひとり農業』が伝えるメッセージ 〜 命の時間

TBSテレビで金スマ・ひとり農業のスペシャル番組が年に数回放映される。
あす(9/28)の夜も放送が予定されている。

言わずと知れた、番組ディレクターである渡辺ヘルムート直道氏の、ここ常陸大宮市内での農業奮闘バラエティーである。
ひとり農業の場所は、市内とは名ばかりの山に囲まれた地。
同じような環境で同じ農業に携わり、そしてこの地域の特性を知るものとして、毎回感情移入して見入ってしまっている。

今回は恒例の秋の2時間スペシャルのようだ。
中居氏ほかのメンバーが秋のさまざまな農作物の収穫を楽しむ映像が放映されるのであろう。

それにしても、多岐に及ぶチャレンジには脱帽する。
彼はなかなか器用であるから続けられるのだろうし、しかも全ての作業には全力投球だ。
キツイ農作業を続けられる熱意の源泉は、きっと農業への限りない愛情なのだろう。

         

彼の農業挑戦も5年目である。
すでに4回の春夏秋冬を経験し、この地での生活の大変さも良さも、農業の辛さも素晴らしさも、彼のなかにしっかりと刻まれたに違いない。

以下は私見であるが、本腰を入れてこの地で農業に携わっている渡辺氏もきっと同じであろうと思う。

         

農業に携わると、5感がいつも刺激される。
毎日、自然を感じる。
山の緑の微妙な変化だったり(視覚)、季節ごとの風の匂いだったり(臭覚)、鳥や虫の鳴き声だったり(聴覚)、土の柔らかさやキュウリのトゲの心地よさだったり(触覚)、採れたての旬野菜の甘みだったり(味覚)、など。
人が生きてゆく上で、自然とのふれあいは欠かせないものだと実感する。

そして、農業は毎日いくらでもやることがあって、けっして退屈しない。
体が動く限り働くことが出来るので、定年というものがない。
( ⇨ 以下余談である。
たとえばであるが、都市部のサラリーマン諸氏の多くは完全定年リタイア後もまだ身体は健康であるだろう。日課のごとく犬の散歩との図書館通いしての新聞読み、スーパーへの買物の付き合い、月一ゴルフ、時々の旅行あるいは地域ボランティア、そんな繰り返しで長い老後を過ごすことになるのだろうか。
重層的なしがらみがあり、家族の生活も考えると仕方のない生き方=選択枝がなかった生き方であったのかもしれないが、その気になればプチ農業体験などはできる(できた)はずだ。
どのような形であっても若干でも農業に接し身を自然の中に置いてみると、人生の後半が多少なりとも充実するのではないかと思うのだが。)

一見便利で健康的・機能的な都市生活だが、ストレスと渇望感・未充足感に苛まれてはいまいか。
農業では、自然と向き合うなかでなんとも自由な精神活動が保証されている。
ひとり農業の渡辺氏の生活がそのように見える、だからこの特集が視聴者の人気があるのかもしれない。

フランスの哲学者ヴォルテール(1694-1778)は言う。
『最後は農業にたどり着く』
『自然は人間の施す教育以上の影響力をそのうちにいだいている』
   と。

矜持を持って農業を営む人には、自らの手で、自らの暮らしと農の営みを作り出していることからくる静かな誇りと自信がにじみ出ている。

効率性や金銭の多寡が尺度ではない。
マニュアル化された仕事、お金で買うだけの消費生活の中では決して感じ取ることが出来ない感覚であり、充実感だ。

そして、自然は命の営みそのものだ。
その流れが人間の都合による時間の刻みではなく、命の時間に委ねられている。
人間としてのあるべき姿、大切なことを、すべて農業では気付かされる。

         

高度成長期以降、都会化と縁のない、時代に取り残されたように見えるこの山間いの地(・・ひとり農業の場所も、我が家のある場所も)は、実はこれからの時代の手本になるのではないかと、ふと考えることがある。

過疎化が進む田舎だが、秘ている可能性は限りなく大きい。
人間が人間らしく生きるための根源的な命の時間が、ゆったりと流れている。

一見すると華やかなバラエティー番組の金スマだが、こと『ひとり農業』が伝えようとしている真のメッセージは、実は深遠であり大層重たいテーマだと私は思っている。
つまりそれが『命の時間の大切さと素晴らしさ』に他ならないからである。

共存共栄
愛おしき仲間たち

2012年9月22日土曜日

彼岸の中日  ヒガンバナ

今日(9/22)は秋分の日であり、彼岸の中日だ。
前後3日間を合わせて計7日間が彼岸ウィーク。
お盆と同様に、墓参りし先祖を追悼し供養する。

そして、暑さ寒さも彼岸まで・・。
暑い暑いと言う日も、あとどれだけあるものか。
あの灼熱の陽が、名残惜しくもある。

         

ヒガンバナはこの時期にきっちりと花を咲かせる。
我が園内の隅にもヒガンバナが植えられている。
今、それらはまさに咲かんとしており、蕾が一気に膨らんできている。
仕組みは分からぬが、素晴らしい植物の体内時計の為さる技であろう。
開花は未だだが時間の問題だ
         

昨夜(9/21)放映された金スマ『ひとり農業』。
レンコンの実を採る内容を紹介した中で、葉の茎を切ると断面はレンコンと同じように幾つもの穴があいていることを紹介していた。
まさにこの話題、当ブログでも紹介した。
2012/09/11ブログ
やはり同じようなこと気付き、不思議に思う人がいるものだ。

来週の金スマ『ひとり農業』は2時間のスペシャルとの予告であった。
さあ、メンバーが来て皆で稲刈りか?   自宅建築・内装の最終段階紹介か?

2012年9月21日金曜日

養蜂の快楽 玉川はちみつ3,500g生産

今月始めにミツバチの巣箱を取り外して、ハチミツを採取した。
『たれ蜜』と呼ばれる、搾ったり遠心分離させたりせず垂れるに任せる採蜜方法をとった(圧搾器や遠心分離機が無いためでもある)。
当日中に、300gのビンで3ビン、200gのビンで8ビン、計2,500g(300×3 + 200×8)のハチミツを採取できたことはブログに書いた。(2012/09/01 ブログ)
これだけ垂れ落ちた後も、巣からはまだ僅かに垂れ落ちるハチミツがあるため、しばらくそのままにして落ち切るのを待った。

2日後、大方垂れ落ちるのが止まったため、溜まったハチミツを油濾しペーパーで濾過して瓶詰めを行った。
その数量200gのビンで5ビン。
そう追加で1,000gもハチミツが採れたのである。
つまり、取り外した一段の巣箱から、なんと計3,500gのハチミツが採れた計算になる。
採蜜の各段階でロスも発生していることから、実際にはプラス200g程度は採れたものと思われる。
ミツバチ、恐るべし、だ。

         

国産ニホンミツバチのハチミツは、市場価格は意外と高価なようだ。
だが、今回の『玉川はちみつ』は完全なる『非売品』で、親戚・知人にすべてお裾分けしてしまった。
みな一様にこの場所でハチミツが採れることに驚いていた。
珍しいものであったたこともあり、すこぶる好評であった。
普段は疎遠になりかけている親類とも、このハチミツを介してのコミュニケーションも図れるという、まさにハチミツ高価・・否、ハチミツ効果である。

一般的な家庭では、ハチミツはけっして大量消費するものではないだろう。
一台の巣箱で年に一度しか出来ない採蜜。
そのタイミングに、僅か一瓶ほどしか配れないシロモノだ。
コミュニケーションツールとして活用しつつ、定期便で今後も届けたいと思う。
ラッピングし、いかにもお店に並んでいるような感じにしてみた。
         

これから年末にかけて、巣箱の増設に向けて工作をする予定だ。
巣箱をあと5〜6台増やして、もっとミツバチ捕獲する計画でいる。
そして来年夏には、ハチミツ増産という密かな野望を抱いている。
それが実現したとすると、販売ルートを見つけないといけないな・・などと夢は広がる一方だ。

巣箱の手作り、ミツバチの捕獲、日々の観察、ハチミツ採取、瓶詰め・ラベル作り、お裾分けによるコミュニケーション、ハチミツの販売(予定)・・養蜂にまつわるすべてのステップは楽しい。
頭(知恵)も使うし、体も使う。根気も要る。
やり方によってはいくらでも可能性が広がる。
それぞれのセッションの奥は深く、これで十分というレベルになかなか到達しない。
もっと上を目指したくなるのである。
正直なところ、当初考えていた以上に『養蜂の快楽』にはまってしまった。

        

スズメバチ対策として設置したペットボトルに、スズメバチが入っていた。
既に死んでいてカルピスの海に浮いているスズメバチが他に2匹ほど。
数羽の蛾もボトル内で死んでいる。
意外に効果がある簡易捕獲器である。
この面構え。なかなかである。

2012年9月20日木曜日

一粒万倍日

暦にはいろいろな情報が記載されている。
聞き慣れない単語だろうが、『暦中(れきちゅう)』・・日時・方位等の吉凶・その日の運勢などのこと、である。
そのなかに『選日(せんじつ)』というカテゴリーがあり、そのうちのひとつに『一粒万倍日(いちりゅうまんばいび)』がある。
読んで字の如し。
一粒の籾(もみ)が万倍にも実る稲穂になるという意味で、何事を始めるにも良い日とされる。
現代においても、仕事始め、店舗の開店、種蒔き、などを縁起をかついでこの日を選んでいる場合も多いだろう。
今日(2012/9/20)はその『一粒万倍日』に当たっている。

         

まさに秋はこの一粒万倍を実感する。
4月にタネ籾を播き、5月にまだ小さく細い苗を田植えした。
その苗が逞しく育ち、稲穂が実り、万倍の実を付けて頭を垂れた。
刈り取った稲束はずっしりと重たい。

         

夏の間、黄色い大輪の花で元気を与え続けてくれたヒマワリも、すっかり茶色く枯れて夏の終わりを告げ、大小さまざまな頭を垂れている。

今年も沢山の花が咲いたが、最も大きな花は直径が30センチもあろうかというシロモノで、茎の背丈は3メートルは超えていた。
その茎についた頭を切り取り、タネを採取する作業の準備を行った。
頭を切り取り、さらに乾燥させるのである。
ほぼ30センチの大輪である
ぎっしりと詰まったタネは驚く程に幾何学模様、神秘的に整然と並んでいる。
たった一粒のタネから、これだけの実りをもたらすのである。

         

ではいったいどれくらいのタネが付いているのか、というのが自然な疑問ではないか。
一粒ずつ数えたりは到底出来ないので、超簡便法で計算してみた。

順序はこうだ。
・ほぼ円形であるので、円の面積を求める。
・単位面積当たりの粒数を数える。ここでは2センチ四方とし、この4㎠に何個あるかを数えた。
・円の外側と内側では粒の大きさが明らかに異なるので、それぞれの単位面積辺りの個数を求める。厳密にはそれぞれの中でもバラツキはあるが、誤差の範囲として無視。
2センチの四角の中に何個あるかを数える。
(赤く塗った部分)
中心部の円内は小粒で、4平方センチに35粒
外側は大粒で、4平方センチに20粒 ・・と見なした。
         
結論からいうと、このヒマワリはほぼ3,000粒のタネがあるようだ。
一粒万倍とまでは言えないが、素晴らしい数字であることは間違いない。

(計算式)
○外側の単位面積あたりの粒数 =  20粒 (実測値)
○同、内側          =  35粒 (実測値)

・全体の直径=27㎝(半径=13.5㎝)であるので、面積はつぎのとおり。
 13.5 × 13.5 × 3.14 = 572.265㎠ ・・・A
・中心部は直径=6㎝(半径=3㎝)であるので、面積は次のとおり。
 3 × 3 × 3.14 =28.26㎠ ・・・B
・中心部Bを除いたドーナッツ部分 (A) − (B)  =  544.005㎠ ・・・C
・Cにある粒数を求める。
  ( 544.005  ÷ 4 ) × 20  =   136.00125 × 20  =   2,720.025粒 ・・・D
・Bにある粒数を求める。
  ( 28.26  ÷ 4 )   × 35  =  7.065  ×  35  =   247.275粒   ・・・E
・全体の粒数(D+E)
       (D) + (E)  =  2,967.300粒

実に粗い計算であり、無論小数点以下には意味はほとんどないが、お遊びである。
だが、『当らずと雖も遠からず』ではないかと思う。

いやぁ、実に久しぶりに円周率や円の面積の公式を使った。

         

*** 栗林の様子から ***
緑のイガが少しずつ茶色に色付いてきたが、まだ割れて落果する程ではない。
樹下の草の刈取りはあと一回は必要だろう。
周囲を綺麗にしておかないと、栗拾いが大変なのである。
週末にでも実施しよう。

2012年9月18日火曜日

実りの秋の光景にはココロが和むが・・

今日は降ったり止んだりの不安定な天気だった。

我が家の稲刈りが一段落したし、雨も降ったり止んだりで外での作業が出来ないため、近在の様子を車で回って見てきた。

刈取りが終了している田んぼが半分を超えているだろうか、ほぼ稲刈りのピークは超えた感がある。
刈取りが終わった田んぼとキレイにオダ掛けされた稲。
実りの秋の美しい光景にココロが和む。

         

ついでにちょっと足を伸ばし、ここから車で15分ほどの場所にある『ひとり農業』の場所も見てきた。
その地区の周囲の田んぼは、やはりほとんどが稲刈りを終了しているが、『ひとり農業』の田んぼだけは未だ刈取りがなされていないようだ。
手前の田んぼが、ひとり農業の田んぼだ。
(車中より、通り過ぎながら撮影)
きっと今週か、遅くとも来週のうちには、また東京からいつものメンバーが来て稲刈シーンを撮影するはずだ。
近々『ひとり農業 秋の大収穫スペシャル』とでも題して放送されるのであろう。

         

建築中の渡辺氏の家が間近に見える道沿いには、車を止めて写真を撮る人たちが何人もたむろっていた。

なんとなく違和感を覚える光景だった。
見学者といえば自分もそのひとりではあるのだが、彼らのように近くで写真を撮ったりはしたことはない。
いくらこの家がテレビで公に放送されているとは言え、渡辺氏が有名人とは言え、プライベートな場所であることには変わりないからだ。
なおかつ、そこに人がいたのであるから(それが渡辺氏だろうがスタッフだろうが問題でなく)なおさらだ。
これは社会人としてのマナーの問題だろう。

ここに貼った写真は、人の姿も映っておらず、テレビ映像そのままだろうと思う。
これは遠くから(車を走らせながら車中から)撮影したものだ。

         

ちなみに、家の前にトラックが止まっているが、畳屋のトラックであった。
どうやら新居に畳を敷く段階に入ったようだ。
これもまたスペシャル番組で放送されるのではないかな。

2012年9月17日月曜日

2012年度  稲刈りを終了する

今年は晴天が続いたため、稲の刈取りは極めて順調に進んだ。
田んぼのコンディションも土が乾いていて良好。
今日、最後となる田んぼの稲を刈り、オダ掛けし終えた。
陽がだいぶ短くなった。
最後の田んぼの稲刈りを夕日の中、進める。
去年とはうって変わって、とても作業がし易い状態のまま稲刈りを終了することが出来た。
残念ながら倒伏した稲は一定面積あって、手刈りで苦労はしたが、大方予定通りのスケジュールであった。
作柄も良いと感じる。
放射性物質の検査においても、当市では何処も不検出とのこと。
やれやれ、である。
これでやっと一息、というところだ。

あとは天候を心配しながら、稲束を脱穀する作業となる。
引き続き、天気予報を注視する日が続く。

このように天候に気を揉み、心配しているのは稲の『完全天日干し』に拘っている我が家ぐらいのもの。
他の農家はコンバインで刈取りと脱穀を合わせて行い、室内の専用機で籾の乾燥・・という過程を踏むので、あまり天候は関係ないだろうと思う。

米価が安い昨今の状況で、あのような高額なコンバイン・乾燥機を揃える農家を見ると、その減価償却をどうしても心配してしまう。つまり元がとれずにいるのではないかということ。
大型機械を有する農協などに、刈取り→脱穀→乾燥の作業を委託している場合も多いようだが、単位面積当たりの値段は馬鹿にならないはずだ。
いったい何のために米作りをしているのか分からなくなってしまう。

田植えや稲刈りなどはどうしてもその作業が短期間に集中するので、投下労働力に限界がある(高齢で無理が利かない・兼業で土日しか作業が出来ないなど)以上、コストは無視せざるを得ない、他に替えられない、ということかもしれない。
そんなこんなも、その家の置かれた立場と考え方次第ではあるのだが。

ただ、経済の原則から言って明らかなことは、このようなやり方ではいずれ破綻する(いつまでも持ち出しが続く企業は存続できない)ことは目に見えている、ということ。
先細りは明白だ。どうする気なのだろう。
身の丈にあった永続可能な農業、付加価値を高める農業への転換を図ることが求められているはずだが。

これが10年後、いや5年後の展望も開けない、高齢化が進む中山間地農業の現状である。
さて、5年後にどのような風景が広がるのだろうか。
耕作放棄地が広がると、町の景観もだが、そこに住む人のココロも知らず知らずのうちに荒んで行ってしまう。
夕日を受け、黄金の波の中を進む水郡線の列車
(JR水郡線・玉川村駅16:58発の郡山行き下り列車)

2012年9月16日日曜日

スズメバチ対策

ニホンミツバチの巣箱に『スズメバチ』(この辺りでは『クマンバチ』の呼称の方がよく使われる)が止まり、中を窺う姿をみつけた。
巣箱底部に潜り込み、入り口を探しているようだった。
巣箱底部
右下のほうにスズメバチがいる
(以前に一度、このハチに頭部を刺されたことがあることもあるため、)ちょっと身の危険を感じたが、すかさず巣箱の底の隙間にデジカメを差し込み、とにかくシャッターを切ってみた。
幸い、どうにか姿を捉えられた。

         

これからの時期がスズメバチが攻撃性を増す時期だ。
ニホンミツバチの天敵のひとつであるスズメバチの対策を急がねばならない。
巣箱の入り口は隙間8mm。ニホンミツバチは楽に出入りできるが、大きな体のスズメバチは入れない設計だ。

巣箱内部への侵入の可能性は低いので、いろいろな方が実践しておられるスズメバチ捕獲を試してみることにした。
上部に穴を開けたペットボトルの中に、カルピスを入れて巣箱近くにつり下げておくというシンプルなもの。
さて、どうなることか。楽しみである。
スズメバチはカルピスやらグレープジュースやら、どうやら甘い液体が好きらしい。
臭いに釣られて侵入し、溺死する仕組みだ。
         

〜 園内の栗林の様子から 〜
次第に色付き、早生の品種から落果が始まった栗林だ。
先日から、早生の栗が落ち始まった
早生の品種以外はもう少し日にちが必要だ。
10月の第一週末頃(10/5〜7)がいちばん良い時期となる可能性が高い。
たわわに実が付いている。
一番大きな栗の木。高さは10mほどある。
来週辺りが落果の本番だろう
イガはまだ緑色で固い
今年もたくさんの方が栗拾いにお越し頂けるとうれしい。

2012年9月13日木曜日

生物多様性

特定の田んぼに、タニシ(田螺)が大量に生息している。
湿潤な時季で水分が十分な環境であれば、生物として田んぼの泥の中は最高の環境だろう。
特にほとんど農薬らしい農薬を撒かない我が家の田んぼであるので、なおさらだと思う。

ただ、生息する環境が良いといっても、おそらくは4月~8月末の間だけだろうと思う。
田んぼは厳冬の頃はガチガチに凍結してしまうし、今の時期は土の温度は適温かもしれぬが、水分がないカラカラの土だ。
このようなカラカラ状態が9月から翌年の4月ごろまで続く。
生物が生存し子孫を増やす環境としてはあまり良いとはいえまいに、と思う。

どのようにして生き延びているのか不思議ではある。
専門書などには、土中にもぐって生き延びる、とあるが表面にもゴロゴロしている。
かなり生命力は強そうだ。
乾いてひび割れした田んぼに、無数のタニシが転がっている

正確なことはわからないが、ここのタニシは『マルタニシ』という種類であろうと思う。
厄介ものの『ジャンボタニシ』なる外来種が一部の地域では繁殖して困っているようであるが、ここのタニシは悪さをしない。
むしろ、田んぼの中の掃除屋であり、水質浄化であったり土壌改良に寄与してくれているのだろう。

たくさん生物が棲んでいること、すなわち生物の多様性は、健全な環境のバロメーターである。
人間にとっても良い環境であると言える。そこで獲れる作物もまた健全で安全だ。

無数に転がっているタニシであるが、邪魔な存在でもない。
これからも、この田んぼの、この地域の、微妙な環境の変化を知らせてほしい。

2012年9月12日水曜日

2012常陸秋そば 花盛り

8月10日に播いた常陸秋そばの、ほぼ1ヶ月経過した現在の状況である。
白い花が満開
可憐な白い花で、いま蕎麦畑は埋め尽くされている。

         

蕎麦がしっかりとした実を付けるための大切なステップに『受粉』がある。
よく目を凝らしてみると中央部に、いる。
ここでも我が家のミツバチたちが精を出して働いている。
ミツバチ、チョウチョ、黄金虫・・その他のハチたちもひっきりなしに飛び交う。

         

沢山のミツバチが飛び回ってはいるのだが、なかなか写真を撮ろうとしても目の前の花には止まらない。
タイミング良く止まってくれても、なにしろじっとしていない生き物。
ほどよいポーズなどとってくれるはずも無く、じっとこちらがチャンスを待つ。

次の一枚は、上手い具合にその横顔を捉えられた一枚でやや満足している。
といってもこの程度なのだが。
プロの動物写真家っていうのは、やはり凄い。
珍しく良く撮れたと自負している一枚

2012年9月11日火曜日

レンコンの穴

レンコンは地下茎を食べる食材だ。
例のシャキシャキとした食感はたまらない。
煮物にも良い。
辛子蓮根は熊本の郷土料理で、あの辛味のファンも多いことだろう。

このレンコン、茨城県が27,900t(平成20年度の農林水産統計)で収穫量トップを誇る代表的な農産物だ。
2位の徳島県が10,700tであるので、ほぼ2.6倍のダントツの一位である。

        

地下茎を輪切りにすると、いくつもの空洞が開いている。
『先が見通せる』ことに通じ、縁起がよいとされる。
おせち料理にも使われる所以だ。
この孔は通常は8つだそうだが、山口県岩国で生産されるレンコンは9つまである、とWikipediaにはある。

        

JR常磐線の土浦駅~神立駅の間周辺にもレンコンを栽培している畑(泥の田んぼと言うべきか)が広がっているのが見える。
基本的には泥の中の作業であり、稲作とはまた違った苦労もあるのだろうと思う。

我が家の田んぼの一角にもハスを植えている場所がある。
泥濘がひどいために稲を植えるのを避けている一角だ。
由緒は極めて正しい『大賀ハス』を頂いて植えたのであるが、手入れが悪いせいか、いまだ蓮の花が咲いたことがない。

今年も田んぼの稲の間にも根を伸ばして、その蓮の葉を広げている。
稲穂の中の蓮の葉

当然のことながら、稲刈りには邪魔であるので、地下茎はそのままにして葉っぱの茎の部分から刈り取る。

        

いままで注意して眺めたことがなかったが、茎の切り口・断面を見て驚いた。
ちゃんと地下茎と同じように孔があいているではないか。

孔がちゃんと開いているハスの茎
いやはや、なんとまあ自然の不思議なこと。
神様はこんなところにまで、お拘りになったらしい。
ただし、この茎、あのレンコンの食感と味があるかどうかは定かではない。