2012年9月17日月曜日

2012年度  稲刈りを終了する

今年は晴天が続いたため、稲の刈取りは極めて順調に進んだ。
田んぼのコンディションも土が乾いていて良好。
今日、最後となる田んぼの稲を刈り、オダ掛けし終えた。
陽がだいぶ短くなった。
最後の田んぼの稲刈りを夕日の中、進める。
去年とはうって変わって、とても作業がし易い状態のまま稲刈りを終了することが出来た。
残念ながら倒伏した稲は一定面積あって、手刈りで苦労はしたが、大方予定通りのスケジュールであった。
作柄も良いと感じる。
放射性物質の検査においても、当市では何処も不検出とのこと。
やれやれ、である。
これでやっと一息、というところだ。

あとは天候を心配しながら、稲束を脱穀する作業となる。
引き続き、天気予報を注視する日が続く。

このように天候に気を揉み、心配しているのは稲の『完全天日干し』に拘っている我が家ぐらいのもの。
他の農家はコンバインで刈取りと脱穀を合わせて行い、室内の専用機で籾の乾燥・・という過程を踏むので、あまり天候は関係ないだろうと思う。

米価が安い昨今の状況で、あのような高額なコンバイン・乾燥機を揃える農家を見ると、その減価償却をどうしても心配してしまう。つまり元がとれずにいるのではないかということ。
大型機械を有する農協などに、刈取り→脱穀→乾燥の作業を委託している場合も多いようだが、単位面積当たりの値段は馬鹿にならないはずだ。
いったい何のために米作りをしているのか分からなくなってしまう。

田植えや稲刈りなどはどうしてもその作業が短期間に集中するので、投下労働力に限界がある(高齢で無理が利かない・兼業で土日しか作業が出来ないなど)以上、コストは無視せざるを得ない、他に替えられない、ということかもしれない。
そんなこんなも、その家の置かれた立場と考え方次第ではあるのだが。

ただ、経済の原則から言って明らかなことは、このようなやり方ではいずれ破綻する(いつまでも持ち出しが続く企業は存続できない)ことは目に見えている、ということ。
先細りは明白だ。どうする気なのだろう。
身の丈にあった永続可能な農業、付加価値を高める農業への転換を図ることが求められているはずだが。

これが10年後、いや5年後の展望も開けない、高齢化が進む中山間地農業の現状である。
さて、5年後にどのような風景が広がるのだろうか。
耕作放棄地が広がると、町の景観もだが、そこに住む人のココロも知らず知らずのうちに荒んで行ってしまう。
夕日を受け、黄金の波の中を進む水郡線の列車
(JR水郡線・玉川村駅16:58発の郡山行き下り列車)

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