2012年1月31日火曜日

オダ置き場を作り替える

刈り取った稲を天日で乾かすという稲作に拘っていることは、何回か記した。


稲の天日干しにはオダアシ(脚の部分)とナガラ(棹の部分。長柄と書くのだろうと思う)が必要で、これらを万全の態勢で揃えておくことも大切な作業である。
そしてそのメンテナンスも冬場の作業だ。
オダアシとナガラ(棹)
これらの部材は、稲刈りのときに都度田んぼへ搬入して組み立てるのであるが、これが甚だ重労働である。
作業負担のうち、運搬負担を軽減するために、この部材を田んぼの畦などに簡易小屋を作って保管もしている。
自宅から離れた田んぼや運搬車量の搬入路が狭い田んぼなどでは、一般的な保管方法だ。

今年は、この簡易小屋の建て替えを行った。
十数年あるいは二十数年に一回の建て替え(・・なにか伊勢神宮の式年遷宮のようだ)である。
立て替える小屋。屋根のトタンも錆びてボロボロ
土台も柱の下部も腐って全体が傾いている
なにしろ、野外の吹き曝し状態で過酷な環境にある小屋である。
柱の根元などは腐り易い。再利用しているトタン屋根も錆びてボロボロになる。

あまり立派な造作にする必要もないが、重量には耐える作りが求められる。
別な位置に立て替えた小屋
正真正銘の掘建て小屋である。
横幅8・5メートル、奥行き1・8メートル、高さ2・5メートル。
掘建て柱が8本、屋根にトタン14枚。
これだけのモノであるが、基礎にコンクリート片を埋め、水平をとりながら作る作業はなかなか難しいのであるが楽しくもある。

延べ作業日数は4日ほど。
新旧対比
入れ替え終り
これで秋の作業が格段にやり易くなる
手作り感溢れる小屋である。かなり満足な出来である。
手元にあるバラバラ材料・廃材などで作るので、柱は丸かったり四角だったり。
なかなか計画通りには行かず、末端などは隙間が開いたり、ズレたりしている。
これもまたよしだ。機能性重視。

2012年1月29日日曜日

山の作業と稲作り

今日もひどく冷えた。
午後には強風も吹き荒れ、体感温度は実温度よりもずっと寒かった。
今朝8時半
外の寒暖計はマイナス7℃を示していた
我が家のような小規模で野菜を出荷するような農業をしていない場合、この時期はあまり畑作業は無い。
したがって毎日の作業は、もっぱら山の木々の伐採ややがて始まる田んぼまわりの仕事の整備・準備が主だ。

         

シイタケ栽培用の原木の切り出しは、今が一番良いとされている。
また昨年に続き十分な原木の本数を仕込もうと考えている。

同時に、稲刈りの際に使うオダ足(田に棒を突き刺し、稲束を掛ける竿を渡すもの)の切り出しも併せて行っている。
これは消耗品に付き、数年毎に一定数の入れ替えが必要なのである。
山から適当なサイズの木を伐り出し、この秋に向けてする。


         

このオダ足などの天日干し道具は、大規模農家が使うコンバインで稲刈りと脱穀をしてしまう今の主流の稲刈り作業では不要なものだ。
イネを天日で自然乾燥させるこだわりのコメ作りならではのもの。

このような山での準備作業を含めて、稲刈り・オダ掛け・脱穀と「天日干しコメ作り」は大変であるが、我が家ではその食味は機械乾燥米と必ずや違うと確信しているので、毎年続けている。

寒い日が続いているが、またすぐに今年のイネの苗の準備が始まる。
熱いコメ作りの1年が始まろうとしている。

2012年1月27日金曜日

モズの生け贄

この辺りでもよく目にする一般的な野鳥のモズは、カエルやミミズ、バッタなどの獲物を捕えては、枝の先に刺すという習性がある。
よく「モズの生け贄(いけにえ)」とか「モズの速贄(はやにえ)」と呼ぶものだ。

その具体的な実物を探すとなかなか見つからないのであるが、先日たまたま2種類の生け贄を見つけた。
何日経ってもその哀れな干涸びた姿は変わらず、食べにきている様子も伺えない。
刺したことも忘れているのであろうか。
まったく不可解な本能だ。
生け贄その1 〜 ミミズ 
生け贄その2    〜 バッタ
ミミズもバッタもカラカラ・カチカチの干涸びたミイラ状態である。

いまでも何のためにこのような行動がおこなわれるのかは、全く分かっていないらしい(Wikipediaによる)。
こうしているうちに、腐って落ちるか、あるいは新芽に押し出されて落ちるかであろう。

ここは野鳥の天国でもある。

2012年1月26日木曜日

たき丸

昨日のことだ。
ふと、冬の袋田の滝を訪ねてみたいと思った。
凍てついた雄大なその姿を想像しながら、国道118号線を北上する。


         

1月の水曜の午後。
滝周辺に密集する土産物屋に観光客の人影は、ない。
地元の人の姿も車も疎らで、閑散としている。
観光シーズン中にはかなり強気の営業をしている有料駐車場にも、車は一台もない。
山陰の川沿いを吹き抜ける風が頬に冷たく、一層の侘しさを醸し出す。

川沿いの土産物屋通りを抜け、料金所で料金を払う。
料金所窓口の係の女性も、今日はさすがに手持不沙汰に違いない。

暗いトンネルを進み、観瀑台を目指す。
近づくにつれて滝の音が次第に高まってくる。どうやらかなり水が流れ落ちている感じだ。
滝は、数日前に寒気がゆるんだこともあって、なかなか完全氷結までには至らないようだ。

突然視界が開け、雄大な轟音とともに白い巨大な滝が現れる。


目の前に聳える氷の壁。
その隙間を流れ落ちる幾つもの筋の水音ではあるが、巨大な滝である、さすがに迫力がある。
おそらく流れが全て凍ってしまうと静寂な滝となり、違った世界なのだろうがこれはこれでまた良い。
ここに先客はひとりだけだ。今日は歓声もザワメキもない。
静かに滝の音に耳を傾ける。


エレベーターで、滝をもっと上部から見られる新観瀑台へ向かう。
しばしの時間、誰にも邪魔されず最上階からひとり滝を眺めた。

帰り道のコース、吊り橋を渡りながら改めて滝を見上げる。
やはりこのアングルも良い。
今日来てよかったとしみじみ思った。
ずっと後方に3人連れが吊り橋を渡ってきた
滝の大きさがわかるだろう
         

滝からの帰りの時分には、この山間の町は雪が舞った。
久慈川沿いの急峻な山々が一気にモノトーンの世界になる。
道路も薄ら白くなる。積もる前にここを脱出したいと車を急がせる。
短時間ではあったが、冬らしい感慨に浸れたひとときだった。


         

そして今日、袋田の滝にまつわるある記事に接した。
大子町のHPに、「日本の名瀑 袋田の滝 キャラクター愛称 決定」として、「たき丸」なるキャラクターが出ている。そして表題にはさらに「NEW  重要」とも付けられている。
知らなかった。このような「ゆるキャラ」が作られていたことも、愛称を募集していたことも。
⇨   大子町HP 観光のお知らせ


いまや全国至る所にこの類いのものが氾濫している。溢れ過ぎだ。
大子町としても、安易な図式ではあるが、どうしても・どうしても・追随したかったのだろう。
その是非は問うまい。恐らく識者が十分な検討をし組織として決定したことなのだろうから。
でもなあ、これって・・、このキャライメージさぁ・・ww。乙。。
いやいや、部外者の無責任なコメントは控えよう。

         

いまも目を閉じると、昨日見た寒空を背景にし孤高の雄姿で聳えたっていたあの氷の滝が甦る。
あの滝の音が耳の奥に聞こえてくる。

2012年1月24日火曜日

東京に雪、東京の雪

今日は、積雪にまつわる東京の都市機能の混乱ぶりのニュースが目立った。
凍結路面でのスリップや衝突事故が相次いだようだ。
鉄道各線も運休やら大幅遅延とのこと。いやはや。。
ここ茨城北部では、昨夜多少雪がちらついたものの積るまでには至らなかった。
だから朝のニュースで見た東京の積雪と混乱ぶりに驚いた。
茨城北部は毎朝の霜と同じように見える程度の雪だった
         

数センチの積雪で、毎回東京では混乱が起きる。
年に何回も無いこの積雪のために、ずっと過酷な雪国で使われている仕様の各種設備やら仕組みを導入するのは、やはり無駄というものだろう。
それこそ個々人が注意なり我慢をすれば済む話であって、すべての人が決定的に生命の危機に直結するようことではない。
そういう意味で、致し方あるまい。

         

便利で機能的で快適な街の暮らしというのは、このような積雪、そして凍結、その日1日だけの混乱程度ではその魅力は失せない、というのが都市住民の気持ちだろうか。
1日程度の愚痴で済み、またいつもの通りの生活に戻れるのがわかっているのだから。

でも都会では、殺人的な満員電車、ターミナル駅の混雑と雑踏、道路の大渋滞、汚れた空気と騒音、緑の少なさ、無機質なビル街・・。
どう考えても人間が生きて行く上ではネガティブな面のほうが多いと思うのだが、それでも、人は都会に流れ続ける。都市は人を引き付けて止まない。
これらマイナスを補っても余りある「良いこと」がきっとあるのだろうな。魅力的なものが。
田舎生活をこよなく愛する身としては、なんとなくわかるような気もするが、実はよくわからない・・。

         

少なくともこのような田舎の町の人は、凍った道で滑って転んだとしても骨折はしないと思う。
何故なら、冬のいつものことだから。
そしてなんといっても心構えと履物(靴)が違う。

2012年1月20日金曜日

乾燥注意報解除

霙まじりの冷たい雨が未明から降り始めた。
雨もそうだが、久々に湿った風景を見た気がする。
これで実に30余日間も続いた乾燥注意報が解除になった。
やっと一息ついたという感じだろう、人間も野の動植物も。

やはり自然界の万物の根源は、水と光だ。
人工的に作り出し与えられるそれらのものと、まったく天然のもので自然によるものとでは、動植物に与える影響はどこか違うと思う。
やはり自然から与えられるこれらの無尽の恵みが一番だろう。
極力自然に寄り添った営みをめざしたいと常々考えている。

多くの植物の栽培期である春から秋の降雨ゼロではないので、ごく限られた作物に対しての影響ではあるとしても、それでも葉ものの露地栽培冬野菜では供給に少なからず悪影響が出る。
われわれが普通に食べる野菜などが、尋常でない価格になってしまい、普通に食せないようなモノとなることは、大変不幸なことだ。
逆に豊作過ぎて出荷できずトラクターでキャベツを踏みつぶす、というのも時々ニュースとなるが、これはこれで農家にとっては不幸ではある。

農家としては、いつでも当たり前に、リーズナブルな価格で、安定して、広く大衆に供給できることが、一番大切なことだと思う。
ごくごく一部の金持ちの人だけしか食べられないような高価な野菜であってはならない。
(また、個人的には、需要があるからといって人工的な環境でもって大量のエネルギーを消費してまで野菜を作り供給することも良しとしない。コストを下げたとしてもだ。)

農業にとっては、やはり極端な気象環境はよくない。
例年並みというのが一番よろしい。暑さも寒さも降水量も乾燥も。
経験則が重要な農業ではこれが一番で、心穏やかに過ごせる。


所詮、自然に対して人間のできることなどはごく限られる。
天任せといってもいい。
ただし、この与えられた環境のなかでは精一杯の知恵を巡らせ努力をし、ベストの作物ができるように努力する。
そこまでやった上で、「後は天に任せる」ということだ。

2012年1月16日月曜日

難を転じる 〜 南天

殺風景な冬の時期は、ナンテン(南天)のその鮮やかな赤い実が目に付く。

我が家の庭の中程にも、相当な古い時代に植えられたと思われるナンテンがある。
我が古家は1770年頃(安永年間)に建てられたと推定され、おそらくは併せてそのあたりで植えられたのではないかと思われる。
根本部分などには多少の古さは感じるが、古色蒼然としているわけでもなく、枝振りも小さく幹もごく普通のものである。
少なくとも私の記憶にある50年弱の間での姿には、認められるような変化はまったくない。
悠然と構え、容姿は変わらず、増えることもなければ、また枯れることもない。

我が古家は、およそ90年前の大正時代の水郡線開通に際して、それまでは曲屋形式の農家の佇まいであったが曲屋部分を取り払うという大改築を余儀なくされた。
そのため、玄関の位置が変ってしまい今では庭の中央部になってはいるが、かつての玄関跡横の場所に植わっている。

         

古くから日本ではナンテンが「難転」〜難を転じて福となす〜に通じることから、縁起木として愛されてきた。
江戸時代に、火災よけ、魔除けとして庭や玄関脇に植えることがかなり広まったらしい。
遠いご先祖様もこの縁起にあやかって玄関脇にナンテンを、それも紅・白を揃えて植えたのに違いない。
白ナンテンは珍しい

         

薬効もあるというナンテンだ。
鎮咳効果があるとされる「南天のど飴」は健在だ。
CMのメロディーは多くの人が一度は耳にしたことがあるだろうし、(メロディーも飴も)口にしたこともあるのではないか。

         


そういえば、かつては赤飯を詰めた折り詰めにはナンテンの緑の葉を乗せていたと思う。
これはナンテンの葉に含まれる成分による殺菌効果を期待してのことのようだ。
最近では赤飯自体を折り詰めにして配るようなこと自体がなくなってしまったが、昔はよく見られたものだ。
その後、ナンテンの葉の実物を入れなくなると、赤飯の箱の包み紙にナンテンの実と葉が印刷されていたりした。
栃木県佐野市の柳月堂さんの赤飯の包み紙
(画像のみ借用)
このような話に頷ける世代は、最低でも50歳以上であろうか。

         

今年もまたひっそりと我が家のナンテンの老木は紅白の実を付けている。
我が家の難を転じ続けてくれているこの木の赤い実は、ヒヨドリの格好のエサでもある。
自ら鳥に食されることで、糞として種を遠くに運んでもらい子孫を増やすというしたたかな南天戦略である。
これなどもまさに「難転」そのもの、福なる姿ではないか。

2012年1月13日金曜日

言うまいと思えど今日の暑さかな・・の夏が恋しい

やはり今年は例年になく寒い冬だと思う。
このように洗面所の窓は凍り付いて開かない。
南極の昭和基地ではない
外気に接している洗面所のアルミサッシ窓は、朝一番はご覧の通りの状況だ。

昨年夏はうだるような暑さが続いた。
2011/07/04のブログに「言うまいと思えど今日の暑さかな」などと暢気に言っていたが、ここがあの暑さと同じ地域なのかとさえ思う。

今がマイナス5℃として、夏を35℃とすると、実に40℃の寒暖の差になる。
私のような凡人は、この冬の寒過ぎる冷たさを夏に、あの夏の暑過ぎる熱をこの冬に、僅かでも持ってこれたらなぁなどと、詮無い空想にしばし耽って、ああ暑いだとかああ寒いだとか愚痴を言うことぐらいしか能がない。

                                                   

これだけ大気と表土が冷えきっても、土中20~50cmに埋めているサトイモや長ネギなどは、湿度も程よく良好な状態で保存されている。
ちょっとの手間で、消費する分だけ新鮮な状態で掘り出せる。
下手な冷蔵施設・保存設備よりずっと優れていて、お金も掛からない。
先人の智恵、さすがである。

2012年1月9日月曜日

春の花の準備

毎日寒い日が続いている。
気象庁の観測データでは、常陸大宮の観測地点である上小瀬は、12月9日から最低気温は氷点下が続いている。このひと月はずっと寒かったということだ。
交わす挨拶も、今日も寒いね、が口をついて出てくる。

去年の9月頃の長期予報では、確か暖冬か昨年並みの冬とのことだったと記憶しているが。
栗の落ち葉もこんなにも霜を。。
ザラメをマブしたようだ
朝陽にキラキラ輝く
毎朝、雨戸を開けて見える風景は、真っ白く薄らと雪が降ったかと見紛うほどのもの。
空気がかなり乾燥しているものの、霜だけは毎日よくまあ降るものだと感心する。

              

11月にポット植えして屋外に並べておいたムスカリやチューリップのポットを、そろそろ温室に入れて発芽準備に入らせようと考えている。
寒い日が続くからこそ、一足早く春の花を並べられたら良いなと思う。

2012年1月6日金曜日

袋田の滝氷結

袋田の滝がこのところの冷え込みで氷結が進んでいるという話題が、その映像とともにNHKテレビで流れた。
幸いにインターネットのお陰で、ライブカメラによる現在の袋田の滝の様子はうかがい知ることができる。
      ☞ 大子町ホームページ 袋田の滝ライブカメラ

小学校の遠足で訪れて以来、各季節に何度も訪れたことがある袋田の滝ではあるが、まだ全部が氷結した姿は一度も見たことが無い。
近年の暖冬・温暖化により、なかなか見応えある氷結までには至らなかったようだ。
全面氷結にはひと月ほどは掛かるらしいが、やっと7割ほどまで来たとのこと。
全面氷結がどうやら見られそうだ。
流れる水が凍るのであるから、かなりの冷え込みと時間が必要なのだと思う。


         

展望台(観瀑台)に立つとすぐ目の前に滝が迫る。
梅雨時分の水量が多い時などには、滝からの水飛沫がたまらない。
この圧倒される轟音と水量の迫力は、やはりこの場所に立たないと味わえない凄さだろう。
日光の華厳の滝は遠くからその姿を愛でたほうが美しいが、この袋田の滝は間近に迫り来る姿に圧倒されるのを楽しむ滝であると思う。

おそらくは白く凍てついたこの滝の姿もまた感動モノに違いない。
画像では対比するものがないのでその巨大さが判らない。
高さ120m、幅73mある。巨大な高層ビルほどの勇姿だ。
見るものを威圧するに十分だ。
近いうちに訪ねたいと思う。

2012年1月4日水曜日

ムクドリ

電線に夥しい鳥がとまっている。
その鳴き声はギャーギャーともギュルギュルとも。
ムクドリである。
写真右側にもずっと連なって止っている
数千羽の大群だ
何処かの木がねぐらなのであろうが、夕方近くにはこのように数千羽の集団で移動することも多々あるらしい。
これだけが固まって電線にとまっていると一瞬ギッョトする。
その真下でも歩こうものなら、糞の落下を覚悟しないといけない。
一斉に飛び立つと黒い塊が空を舞う。
ちっょと壮観だ。


         

渡り鳥ではないため、年中見られる一般的な鳥だ。
名前は知っていてもなかなか間近で観察することが難しい鳥ではある。
主として昆虫などの動物質を好んで食べるらしく、稲作にとっては益鳥の扱いとなっている。
スズメは減っていて心配だが、ムクドリはまだまだ大丈夫だ。



*****お詫び*****
1/1のブログ(2012年 平成24年 始まる)について、あの内容は(民族学的に)正しいのかとの問い合わせを頂きました。
なぜ正月がめでたいかについて、「年神様」を引き合いに出していろいろ書いてみましたが、あれは小生の考えであり、学術的・民族学的裏付けは全くありません
判り易い内容・表現で、かつ蘊蓄っぽい内容にしたため、かなりフィクションの部分が多くなってしまいました。
年神様は尖ったものが好きだとか、あたかも見てきて知っているかのような断定の書き方になり、大嘘つきでした。
年の初めから(・・初めでなくても)嘘はいけません。
従って、この(珍)説を自慢げに他人に披露したりすると笑われる可能性が多分にあります。
お詫びします。

2012年1月3日火曜日

高機能衣料

寒い季節の屋外での作業は、寒がりの人間にとっては大変につらい。
厚手の服を着込むと身体を動かしにくい。
そんな寒がり人のために開発されたような新素材で作られた衣料品が人気だ。

某大手衣料品販売店Uが売り出している、「HEATTECH」のタイツとアンダーウェアーを買い求めた。
廉価でありながら(・・全般的にUの製品は良質で廉価であるが)、かなりの機能性を持つ優れものだ。
股引(モモヒキ)すなわちタイツ
外装の袋に記入されている「HEATTECH」の特長がすごい。

発熱・・体から蒸発する水蒸気を繊維自体が吸収し、熱エネルギーに変換。素材自体が暖かくなる。☞これがいちばんのポイント。なかなかいいじゃないか。。
保温・・繊維と繊維の間にできるエアポケット(空気の層)が、断熱効果を発揮。
消臭・・特殊な加工が、衣服についた汗などのにおいの元を吸収・中和して消臭。☞これもオジさんにはありがたい。
抗菌・・素材に抗菌加工を施しました。
ストレッチ・・ストレッチ素材により、最適なフィット感を実現。伸縮性があるのでとても良い着心地。☞農業にはこれも大切なポイント。
吸汗速乾・・水分をすばやく吸収して乾燥させる機能がついています。汗をかいてもすぐに乾くので肌ざわりはさらっとさわやか。☞これも大切だな。
静電気防止・・優れた保湿性を持つ繊維を使用しているので静電気の発生を抑制。着脱の際の不快な静電気を抑えます。
形状保持・・特殊な編地により、高い伸縮性と耐久性を実現。洗濯による形崩れを防止。
手触りは確かに一般的な綿などとは違う。

         

外で体を動かすことが、この稼業の基本。
体を寒さから守る機能性が高い股引というかタイツと、長袖の下着はやはり必需品だ。

畑仕事が本格化するまでは、山仕事がメインだ。
これからしばらく、シイタケの原木切り出しと堆肥作りのための落ち葉収集が続く。
この高機能衣類が本領を発揮する。

2012年1月1日日曜日

2012年 平成24年 始まる

新しい年が始まった。
大晦日と元旦、これまでの連続した日と何一つ変わらない単なる日替わりだが、年が改まるというだけでたいそう畏まった感じがする。
こうやって、暦の上で区切りをつけてその都度気持ちをリセットするというのは、案外良い生活の知恵なのかもしれない。
いつまでも過去のしがらみやら苦しみ、重たい気持ちを引きずっていてはなかなか前に進めない。
何かの区切りがあれば、気持ちの整理も付け易いのではないか。
特に日本人は(特に今年の場合は)、正月に対しては特別な区切り感を持つ。


         

子供の頃の正月、昭和40年代前半までは、我が家でもしっかりとした正月の神様、たしかお正月様と呼んでいた、をお迎えする飾り棚を設え、注連縄で飾り付けし、大きな鏡餅をお供えし、お神酒も奉げていたと記憶している。
当時はその意味するものはよく判らなかったが、普段とは異なる神様をお祀りしている飾りであり儀式ということで、子供心にも何か神聖なものに思えたものであった。
何時の頃からか、棚も作らなくなり、大きな鏡餅も備えなくなり、次第にこのような文化が消えて無くなってしまった。


         

今から2000年以上前、稲作文化と共に日本に渡来してきた神様がいる。
「年神様(としがみさま)」である。年神様の「年」は、今と少し意味が違って、「イネの実り」のことだ。
稲穂の豊年を念ずる「稔」という漢字はまさにこれを意味する。
このことから稲が稔って一巡する期間を「年」と称するのである。
だから「とし」は元来稲を意味するものであり、中国の古代では「載」「歳」「年」などと書いたらしい。

年神様は、作物を育ててくれる農耕の神様だ。
普段は田んぼや畑にいらっしゃる。
そこで、正月は家に招き寛いでもらう。
するとその年も豊作にしてくれるのである。
ただ年神様はそう簡単には家に来てくれないのである。
そのために人間は、必ず神様に我が家に来てもらえるよう、準備に必死になる。
まず、神様は汚い所が大嫌いである。できるだけ清浄な場所がよい。
だから、まずは建物をきれいにする。これが年末の煤払いである。一般家庭では大掃除といったところか。
年神様を家に呼び込むためのものが「門松」で、いわば目印である。
年神様はどうやら先の尖ったものがお好みなようで、竹を尖った形に切り、周りに針葉樹の松の葉を飾ることで、年神様に来てもらおうというのである。
こうしてやっと年神様に来てもらえた、ということで、これが正月が「おめでたい」とされる所以だ。

         

年神様からのエネルギーの形象が鏡餅である。丸は神聖な形だ。
それ故に鏡餅は年神様の御神体なのである。
元旦には、めでたいものに語呂合わせしたオンパレードである「おせち」とともに、お屠蘇を飲み、年神様の御魂というべき餅を雑煮にして食べる。
雑煮は年神様の魂としての餅を浄火で煮込み、神人共食することによって神のエネルギーを頂くである。

年神様を田んぼや畑にお戻りいただく儀式もしっかりと用意されている。
毎年1月15日ごろ、全国で行われる「どんど焼き」という行事だ。
門松やお供えなど、神様を迎えるための飾りを積み上げ、火をつける。
燃やすことで、炎と共に年神様を田んぼや畑にお見送りし、仕事に戻っていただく。
これで今年の豊作は間違いなし、となる訳である。
どんど焼きは「これでお正月は終わり」という大事な儀式なのである。

このように、本来のお正月は農業にとって関わりが深い神聖な儀式であり、切っても切れない重要なイベントなのである。
いまやすっかりその宗教的な意義も、姿形も無くなってしまったけれど。


         

あらためまして、新年あけましておめでとうございます。
今年こそ、明るく、楽しく、元気溢れる年となりますように。
ガスで焼かれる年神様の「魂」
怒っておられるのであろうか、実に見事に膨らんだ
年神様のエネルギーが弾ける前に胃袋に詰め込んだのは言うまでもない
今年はブログを(・・できるだけ)短い文章にまとめ、説教臭いこと・蘊蓄を語ることは極力避けたいと思う。
今年もまた、お付き合い頂けたら幸いです。