2013年5月16日木曜日

東京国立博物館大神社展

昨日、所用あって都内へ出た。
折角であるので、いま東京国立博物館で開催している『大神社展』を見てきた。

         

毎日自然と対峙している我が身としては、宗教観というか世界観というかは限りなくアミニズムである。
山に、川に、岩に、木に、空に、風に、太陽に、野の草に、・・・自然のすべてに神が宿っているのではないかとごく普通に感じている。それもキリスト教的な絶対的な唯物神でなく、それこそ八百万の神がである。
神道がその起源を自然信仰に求められるのも宜(むべ)なるかなとも思う。

大自然のなかで起こっていることは、現代科学で仕組みの説明はつけられても、人間は何一つ全く同じことを作りだせない。
生物の神秘、気象の神秘、天文の神秘、地質の神秘・・・。
これらについての一番簡単で合理的な説明は、「そこに神様がいるからだ」ということに尽きると思っている。証明はできないが。
だからこそ、自然に対する畏敬や感謝の念も自然に抱くし、人間のちっぽけな存在を自覚し、奢り高ぶらず謙虚に生きることができるのではないかと。そこに神社のような祈りの場が生まれてくるのだろう。そこでは自然は征服するものではなく共存するもので生活の拠り所、あくまで利用させてもらうものだ。
 
         

先人達は2000年近くにわたって営々とその神々を敬い祈りを捧げてきた。
その神々がおわす神社に対し、時の為政者たちは当時の最高レベルの技術で作られた品々を奉納してきた。

大神社展に集められているのは、おのずと現代においては国宝級の品々ばかりである。
それらを全国各地の神社から集めて展示している。普段はなかなか当地の神社に参拝しても拝観できないものも多いようだ。
 → 今回の展示品の中に、茨城県鹿島神宮所蔵の国宝である直刀・黒漆平文大刀拵(ちょくとう・くろうるしひょうもんたちごしらえ) があった。刃長223cmもある直刀である。そのずば抜けた大きさは実際に間近で見ないとわからないものだ。実物を見るのは初めてであったのでちょっと感動した。

神社としても宝物として大切に保存してきたものであり1000年以上も前のものも多いが、その状態は驚くほど良い。
これらは美術品としても超一流の価値であるが、同時に当時の人々の信仰心を垣間見ることができる品々でもある。その時代に神をどのような姿で考えていたのか分かる(ような気がする)。
経年変化による色彩劣化や塗料剥げ落ちはあるとしても、姿かたち・意味するところは何も変わっていないし、1000年、2000年経った現代にあってもその内部から発する輝きは衰えていない。
変わらない・変えないというのは、とても貴重なことだとつくづく思う。

このような『本物』を実際にこの目で見るということはやはり大切である。
現代においては、大抵の事はPCを使ってネットで調べられ、それで分かったつもりになってしまいがちだ。かく言う自分もそうだが。
だが、やはり本物・実物を見て得るインパクトは極めて大きい。
今回も優れた企画展に接することができ、知的好奇心が刺激され満足した。
 
         

帰りに、大手町にあるJAビル地下一階の『農文協・農業書センター』に立ち寄った。
PCがあればネットで大抵の情報は入手できるが、ここが揃えている専門書でしか知りえない情報も多い。今回はミツバチに関する本を買い求めた。
『たかがハチ、されどミツバチ  日本ミツバチに教えられること』(鉱脈社 桑畑純一著)
 
団塊世代の筆者による泣き笑いの養蜂記で、ミツバチの生態系に見る環境再生の課題、と帯には書かれてある。
ミツバチ飼育のHowToも大切だが、もっと大きな視点で自然環境の問題をミツバチを通して深く考えることにした(のだが、帰りの電車内では爆睡してほとんど読めなかった)。
  
         

大手町のJAビルに向かう際に、久しぶりにJR東京駅を利用した。
この東京駅舎も大改修が終わり、建築当初の外観に戻ったという。以前の記憶にある姿とはちょっと変わっていた。(それ以上に、駅内部施設や商業店舗の充実・改変振りは驚異的ですらある。田舎者は戸惑うばかりだ)
新装なった東京駅とKITTE
東京駅から丸の内・大手町のビル群もだいぶ様変わりしつつある。
OAZO(旧国鉄本社ビル跡)は建って久しいが、最近ではKITTE(旧東京中央郵便局ビル)の威容が目につく。こんなビル内の商業施設・オシャレなお店には縁がないな、たぶん、一生。
皇居お堀端のパレスホテルも高層に建て替えられた。
旧住友銀行の東京本社ビル、旧富士銀行の本社ビル、旧三和銀行ビル、旧協和銀行本店ビルも、ここにきて一斉に取り壊し中か新たな建物を建築中だ。
読売新聞社ビルは、あと少しで完成らしい。
旧三和銀行東京本部のビルは取り壊し中だった
(大手町ファーストスクエアの広場から)

読売新聞社ビルはあと少しで完成
(左のレンガ色のビルはKDDIのビル)
         

日本の・世界の経済活動の最先端のこの地には、どんどん古いものを捨て去り、新しいもの・効率的で快適なものを第一として価値を置き追求する姿がある。
各地の神社や、今回の大神社展に集められた品々ような古いもの・変わらぬものを尊ぶ精神世界がある一方で、この丸の内・大手町の姿もまた今の日本の現実。
変わり続けことが現代の企業活動の基本なのだろう。

だが、個々の人間に目をやると、皆はこの地で働く間はきっと高いPrideをお持ちになれるのだろうが、極めてStressfulであるに違いない。それにここを去る定年は必ず来る。今は良いが30年後、40年後の姿がイメージできないのではないか。
そんなことと縁遠いつつましい田舎暮らしの生活からしてみるとだが、格好が良くて羨ましく思う一面もあるが、やはり可哀そうに思えてしまう。
どうだ、水郡線の車窓にはのんびりとした田園風景と大きな空が広がっているんだぞ
それに車内の吊り広告なんかほとんど無いんだ(乗客の数もだけど)

0 件のコメント:

コメントを投稿