今までと違う興奮があった。
なかなか到着しないSLに気をもんだに違いない人たちが、歓喜を持って迎え入れた。
なにしろ40分もの遅れで到着したのだから。
二駅先の山方宿駅方面でSLを待っている親戚から、状況確認の電話が掛かってきた程だ。
その間の駅係員からのアナウンス等はなく、ホームで、陸橋の上で、線路脇でそのときを待っている人たちは、ただひたすら待った。
曇ってきて日差しもなくなった寒い中である。
何も情報がないとひどく人間は不安になるものだ。
玉川村駅としては、今までの最高の人出があった日かもしれない。
駅が大正11年(1922年)に開業して以来の、瞬間的に人が集まった記録であろうと思う。
遠くから眺めながら、この90年の歴史をふと思った。
なかなか来ないSLをじっと待つ人々 |
階段・通路・ホームとも満員 |
玉川村駅北側踏切近くのカーブで待つ人々 30人ほどが(おそらくはイライラしながら)待っていた |
あまりに到着が遅れたため、本来ならSLよりあとに到着して列車交換(上り・下り列車の行き違い)するはずの通常列車が先に到着してしまい、上りホームに止まった。
そのことで、SLが到着する際の一番良い見学場所(上りホーム)がこの列車で占有され、下りホームに入るSLが見えなくなってしまうというハプニングも。本来ならいないはずの上り列車が・・ |
石炭積みと給水は予定の時間で終了し、45分遅れで玉川村駅を発車した。
予想通り、沿線には今まで最高の人が繰り出して、思い思いの形でSLを見送った。
今日はSL通過時の写真は撮らずに、しっかりと目に焼き付けつつ、機関士に手を振った。
この沿線で次回は何時見られるか分からないSLである。
人々の気持ちをこんなにもワクワクさせる魅力があり、集客力があるものなのだから、時々は運行したら良いのではないかと、単純に考える。
経済的な費用対効果・・云々を言い出すとそれは無理に決まっているが、金銭的には計れない人々の期待感やらお祭り騒ぎでのドキドキ感が、醸成される。
この得体の知れない人々の感情は、このような寂しくなってしまった街にとっては貴重なものと言える。まずこれがないと地域活性化などとてもおぼつかない。
全てを経済的な価値だけで判断してはいけない。
今日も嫌になるぐらい付近の道路は車が渋滞した。
SLが通過して30分経過しても車の列が続いていた。
みな、それぞれのSLにまつわる感慨を胸にして、帰路についたのであろうと思う。
これで、狂想曲は終った。
明日からまた、何も無い静かな、以前の玉川村駅に戻る。
地元民にとっては騒がしいだけのお祭り騒ぎであったが、宴の後は妙に寂しい。
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