宗教的な意味合いは全くと言っていいほど影が薄く、商業主義にうまく乗せられた一大お祭り騒ぎと化している。
特に今年からであろう、都心部の人が集まる場所、たとえば東京駅舎やTBS本社ビルなどでは『プロジェクションマッピング』とやらで派手に建物をライトアップして、クリスマスから年末・正月にかけての賑やかさを盛り上げるのに一役かっている。
(これはこれですごい技術であり感心してしまう)
なんでもかんでも商業的価値でものを考えると、このような演出まで行き着くのだろう。
だが一方で、わが町を含む大半の田舎では主要道路といえども道路脇の街灯には『節電のため消灯しています』との張り紙が貼られ、数本置きにしか点灯していないまさに暗い現状がある。
こんな節電をしたところで効果は知れたものだろうと思うのだが、都市部の煌煌と明るさを競っている派手なイルミネーションを(TVで)見ているとなにか複雑な気持ちになる。街自体が明る過ぎてはいまいか。
原発がほとんど止まっている日本は、電気供給が今なお先行き不安なのではなかったのか?
このような田舎でも若い家族の住む家であろう、2階のベランダや庭・塀にサンタやらトナカイやらの姿を表したライトが掛けられ、点滅しているお宅がある。
(画像は暗くて映りが悪いので省略)
周りは家もまばらで僅かな家並みの明かりだけしか見えない暗闇のなかで、ポツンとそこだけ点滅する光。
車の通行量とてたかが知れている場所だ。
いったいどれだけの人が見てくれるんだよ、こんなところ・・・と思うのだが、他人に見せるためのものというよりも、子供を喜ばすと同時に自分たちが楽しんでいるようだ。
この程度のイルミネーションはほほえましい限りだ。
でもちょっと恥ずかくないのだろうかと余計な心配もする。
全国的にこれから寒さが厳しくなるという。
クリスマス寒波だ。
雪の深い東北の日本海側や北陸地方ではさぞや大変だろうと思う。
江戸時代初め、雪の降らない常陸の国から豪雪の出羽の国・秋田に国替えになった佐竹公は、初めて経験する豪雪・厳寒の冬に想像を絶する苦汁の日々を送ったという。
雪や寒さになんらの知識も持ち合わせなかった一族である。さもありなんだ。
この冬もまた雪おろしができない限界集落のニュースやら、雪おろし作業での転落事故のニュースがなされるのであろう。
雪が降らない場所に住んでいるとこのようなニュースも、残念ながら全く他人事でしかないのが正直なところだ。
東日本大震災や原発事故の被災地のことを想う気持ちも同じではないかな。
政治・行政の停滞も原因だが、一般の人の思いが軽くなっている気がする。
避難し、いまなお不自由な生活を余儀なくされている方々も、何の不安もなくイルミネーションを眺める都市部の人と同じく、生きているのである。
ココロがあるのである。正月を迎えるのである。
同じ(不自由な)生活をせよとは言えない。
われわれに出来ることは、思い続けること、共にあることを意識して風化させないことぐらいかもしれない、きっと。
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