2012年10月17日水曜日

神嘗祭と新米

10月17日は神嘗祭(かんなめさい)である。
今でこそ一般的には関心が低い宮中祭祀であるが、戦前は国の祝日とされた重要な五穀豊穣の感謝祭の日である。

祭りのために新米で神酒を造り、御餅(おんもち)や御飯(おんいい)にし、伊勢神宮では海川山野の神饌とともに、由貴の大御饌(ゆきのおおみけ)として神に祭る。
天皇陛下は幣帛を奉るとともに、皇居の御田で作られた初穂の稲束を伊勢神宮に奉納される。

古来より稲には稲魂といって民族の生命源が宿るという信仰があり、穀霊の宿る稲そのものを神として崇め、神が新米を嘗(な)める=食べることによって米のイノチで神の威力が強く新しくなる、と信じられてきた。
神嘗祭では、すべてのものの代表として新米を神に供え、神々の大いなる恵に感謝するのである。

・・・・などと難解な講釈をしたが、要はお米を尊ぶ気持ちが稲作伝来のころからずっと続いているという事実であり、大自然のもたらしてくれる豊饒により命がつながれていることに素直に感謝する気持ちは、われわれの民族意識の中にしっかりと流れているということだろう。

         

昔ほどご飯を食べなくなったとはいえ、『新米を炊いた』という会話が10月になると交わされることが多いのではないか。

ある栄養学者はそのおいしさを次のように表現している。

『まず一口分を箸にのせ、口に運ぶとプンと飯の佳香を感じ、口に入れたとたん、温かく快い感じとともに、口唇や歯、舌に触れ、気持ちのよい軟らかさ、滑らかさがあり、噛むとプリプリと軽い弾力感を覚える。噛んでいるうちに唾液が混じってきて、はじめて粒状から粗粒に、ついで細かくくだけるが、格別粘る感じもなく、滑らかでサラサラしている。ほんの少し油っこいようなところもあるが、味がないのに何となくおいしいなと思いながら噛み続けているうちいつの間にか飲み下してしまい、やれやれといった軽い満足感を覚える』

なんとも匂いや食感までもが伝わってきて、口中に唾液が満たされそうな表現である。

ご飯の美味しさは、視覚、臭覚、味覚、触覚が総動員され、特に歯ごたえ、舌触り、温度という触覚が大きなウェイトを占めている。
なかでもやはり、新米はまた特別美味い。

旬の材料と新米の豊かな出逢いがある季節だ。
夕餉の食卓もにぎやかである。
新米の輝きは一年の苦労を忘れさせる

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