2014年12月25日木曜日

冬の谷津田

比較的なだらかな山が連なる常陸大宮市東野地区である。山と山の間には、細長く谷津が入り込んでいて、小さな田んぼが細々と続いている。
その最深部あたりには必ずと言ってよいほどため池が作られている(正確には作られていたと過去形が正しい。既にため池としての機能を停止して久しいものが多い)。

周囲に豊富に水が湧き出るような深い森林があるわけでもなく、久慈川沿いの田んぼのように江戸時代から用水路が整備された場所でもなく、水田としては水の確保に難儀してきた場所といってよい。だからこそのため池を営々と維持してきたご先祖様たちである。
さらに東西に入り込んだ谷津田では、南側に山があるために日照条件ははなはだ良くない。
木立の隙間をぬって僅かに太陽が差し込む
冬の午前中は霜で氷で真っ白な田んぼだ
先人たちは少しでも収穫量を増やすべく、このような条件の悪い場所でも一生懸命に開墾して行ったのだろう。一俵でも多く米を収穫すること=生命をより良い条件で維持すること=幸福になること、であったのだから。
自然の地形を最大限生かしながら、田んぼ・畑・道を作っていったことが良く読み取れる場所も多い。
東野地区には棚田こそないが、農作業の大変さはそれと同じようなものだろう。
バッと見には美しい里山の景観というのは、ちょっとやそっとの苦労では実現しなかったものだし、引き続き姿を維持してゆくには、多大な労力と覚悟が必要なのである。

そんな先人たちの苦労と汗がしみ込んだ谷津田であるが、作業条件の悪さから敬遠されて今ではすっかり原野に戻ってしまった田んぼも多い。そこまでいかずとも、ただ草を刈り払っているだけの形だけ農地も多いのが現状だ。
山の隙間にある十坪ほどの小さな我が家の田んぼもそんな一枚であった。
子供のころには田植えをした記憶があるが、耕作しなくなってから久しく、原野の一歩手前となっている。
         
日当たりも決して良くなく水はけも悪い湿地の場所でも、水芭蕉にとってはけっこう快適らしい。
昨年植えた水芭蕉は、一株ではあるが枯れることもなく、夏にはきれいな白い花をつけ、楽しませてくれている。
冬は一日中陽もあたらぬ場所で、バリバリに氷結している場所だが、この時期でも緑色の小さな芽が氷から顔を出している。
凍った水溜まりで水芭蕉は頑張っている

冬はここに日が当たることは無いため、氷もなかなか解けることが無い
凍った土や氷に閉ざされている場所でも、来たるべき春への準備が行われている。
         
使われなくなって荒れてゆく田んぼをただ漫然と眺めるのではなく、(たいした手間も掛けずに)このような楽しみをもって維持してゆくことも、考えようによっては可能である。
里山ライフは飽きることが無い。

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