2014年12月8日月曜日

2014年・水郡線C61運行(11) SLフィーバー終わる 真の立役者は

試運転を含めて8日間に及んだSL C61-20フィーバーが終わった。


ホームにかかる歩道橋はSLの煙突の真上だったこともあり
煤で真っ黒になっていた
小生は、最終運転日のSLは通過を見ることもなく、その時間帯は敢えて外出した。
とにかく、連日の傍若無人の振舞いの撮り鉄や、彼らの路駐の酷さに辟易していたこともあり、家にいてもストレスになるだけだと思ったためである。2年前もイライラしっ放しだった。
当日は家人もそれぞれ皆用事があったようで、下りSLの時間帯は完全に我が家は留守になった。
家の侵入路に『立ち入り遠慮ください』の貼紙だけはしておいたのだが、果たしてどうだったろうか。
         
今回のSL運行に当たっては、関係者の並々ならぬ尽力があった。
毎日一部始終を見てきたのだが、そのご苦労には頭が下がる思いだ。
そんな苦労も、無礼な撮り鉄の目には一切入らぬのかもしれぬ。
己の立ち位置とファインダーしか見ていないのだから。
(彼らの撮影機材の記憶メディアにはSLの雄姿が記録されたのだろうが、心の記憶には何が記録されているのか知りたいところだ)
         
中でも一番現場でご苦労されたのは、警備ご担当者の皆さんではなかったか。
午前8時。列車到着の一時間以上前から陽も当たらぬ線路脇に立ち、警備されていた。
あたりは一面霜で真っ白の中である。
毎日遠くからだが声援を送り、首を垂れた。
午前8時。警備員が警備に立ち始める。
上りのSLが来るまでまだ一時間以上ある。
この場所に陽が当たるのはSLが通過するころだ。
毎朝、その姿を見かけると声を掛け挨拶してきたが、皆さん礼儀正しく実に誠実な方ばかりであった。なので今回は安心してお任せできたのである。
一部の不心得な撮影者から罵声を掛けられた場面も見かけたが、淡々と忠実に警備を続けておられた。
ここにも警備員としての立派な矜持があったように思う。
         
このような裏方として決して目立たないものの、重要なその役割がきちんとそれぞれの持ち場でなされてこそ、大きなイベントは成功のうちに終わりとなる。
とにかく玉川村駅では特段トラブルもなく運行が終了したのは、この方々のお陰である。
彼らこそが、真の立役者ではなかったか。

昨日(12/7)の朝8時の外気温はマイナス6℃だった。
とにかくこの地は寒いのである。
畑の表面も白菜の葉も霜で真っ白く。
毎朝こんな風だ。

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