2011年9月21日水曜日

奥久慈清流ライン・・・

やや前の話となるが、水郡線の愛称が募集された。
茨城県側では茨城県水郡線利用促進会議、福島県側では水郡線活性化対策協議会がタイアップして行ったイベントである。

当初の予定では今年2月末締め切り、3月下旬には発表されるはずであった。
ところが3・11の東日本大地震で予定は大幅に変更され、結果が発表されたのは7月16日。
常陸太田駅舎の完成披露式典のセレモニーに合わせて発表された。
応募総数5620から選ばれた愛称は『奥久慈清流ライン』。
奥久慈清流ライン・玉川村駅
いつの間にか駅名版に青いシールが貼られていた
なんでも、主催者側の発表によればこの「奥久慈清流ライン」という愛称は、『奥久慈へ向かう水郡線の車窓から見える久慈川などの清流とその周辺の四季折々の景色、そして、首都圏からも気軽に行くことができ、再度訪れてみたい路線というイメージ』からつけられたとある。
水郡線の愛称決定 ⇨ 水戸市ホームページ 

         

この決定にケチをつける訳ではないが、強い違和感を感じている。

奥久慈・・たしかに一般に『奥久慈』と呼ばれる地帯を走っている。
ただ、『奥久慈』とはいったいどこからどこまでを呼ぶのだろうか。
おそらく明確な定義はないと思っている。
何気なく使っている言葉だが、人によって、住んでいる地域によって思いにバラツキはあろうと思う。

一方で茨城と福島の久慈川沿いの自治体で作っている『奥久慈観光連盟』なる組織があり、そのHPに奥久慈エリアマップがある。
公的機関に準ずる組織が、何処を奥久慈としてとらえているかが判る。
HP ⇨  奥久慈観光連盟
(残念ながら、このHPには何のための組織なのか具体的なことがまったく書いてない。とてもシンプルなHPだ)
とりあえず地方自治体が共同で作っている組織なので、このHPのマップに従い『奥久慈』を定義することにしよう。

たしかに、水郡線は『奥久慈』を走っているのは間違いない。
その中心に久慈川があること、またその久慈川が清流であることも、まあ異論は無いだろう。
水郡線全線で車窓からの眺めの白眉は、やはり久慈川が急峻な山合いに沿って流れる一帯の『奥久慈』であることも万人が認めるところだろう。
これは全くの想像だが、愛称の入選者はこの辺りをイメージしたのであろうし、また選者もこの辺りを当初から念頭に置いて選定したのであろう。

しかし、愛称募集の趣旨は『水郡線に愛称を付けることにより、沿線観光のブランド力を高め、誘客効果の拡大を図るとともに、既存の観光資源の活性化や新たな観光資源 の発掘など沿線地域の振興に繋げます』(愛称募集のパンフレットの募集目的の項目による)とある。
趣旨からすると沿線全体をイメージしたネーミングであるべきだと思うのだがどうだろうか。

         

話が逸れるが、水郡線は茨城県の水戸駅〜福島県の安積永盛駅の間と、茨城県内の上菅谷〜常陸太田の支線をあわせて全長147kmのローカル線である。
細かい数字をいくつか挙げてみる。
・駅総数45(起終点駅含む)のうち、茨城県内は26、福島県内は19である。
やや茨城県内が多いが、常陸太田支線に6駅あるため、本線としてはほぼ同数だろう。
・通過する市町村は、茨城県内は6、福島県内は8ある。
・営業距離総数147kmのうち、茨城県内は74km、福島県内は73km。
茨城県内には常陸太田支線9.5kmを含んでいるから、本線としては福島県内のほうが営業距離は長い。
・久慈川と接近並走する区間は、茨城県内の山方宿駅から福島県内の磐城棚倉駅付近だ。
茨城県内はほぼ29km、福島県内は26km。
・『奥久慈観光連盟』の9自治体の内訳は、茨城3、福島6である。

何が言いたいのかというと、愛称に『奥久慈』と名付けると、ましてや『奥』と言う文字を付けると、どうしても茨城県北部から矢祭山辺りまでのとりわけ山が迫っている地域に限定されたイメージが強すぎるのではないのか、ということだ。
それも南から北に向かうイメージが『奥』という文字にはある。
はたして考え過ぎであろうか。偏狭な見方だろうか。

上に述べた通り、水郡線は福島県内にも立派な営業路線がある。
駅数も沿線自治体数も十分に対等であると思う。
そして愛称募集には福島県の自治体もかなりPRに力を入れたはずだ。
むしろ茨城よりも熱心であったかもしれない。

したがって、個人的にはこの『奥久慈清流ライン』という愛称では、水郡線の福島県のイメージが薄く、沿線地域間のバランスを欠いている気がしてならないのだ。
とても水戸から郡山までの全沿線のイメージアップを図るものとは言えないのではないかと思う。
(この愛称募集が、茨城県だけで行われてたならば全く問題ないのだが)

選考に当たっては、この茨城・福島のバランスを取るという感覚はなかったのだろうか。
この選考結果に付いては、福島県内の関係方々はどう感じておられるのだろうか。
結果に肩すかしをくったような感じはしていまいか。
もっと主張してよいのではなかったか。
それともやはり茨城北部の久慈川沿いの風景には敵わないということで諦め気味なのだろうか。
たかが愛称、されど愛称である。

かつての村名が同じなので親近感をもってしまう福島県石川郡『玉川村』が福島県南部にあるので、ついつい肩入れしてしまう。
この福島県の玉川村も水郡線沿線で、当然関係している自治体である。
(福島空港がある村だ。やや北に位置するため奥久慈観光連盟には入っていない)
もう阿武隈川水系になってしまっているこの玉川村辺りになると、関心が薄いのかもしれない。
どのようにお考えなのだろうか知りたいところだ。
いろいろ考えても、どうにもすっきりしないのである。
『久慈川清流ライン』ならある程度は福島県側も納得いくかもしれない、などと考えてしまう。

         

ちなみにこの愛称募集には私も応募した。
愛してやまないこの水郡線であり、沿線住民としての当然の義務と思ったからだ。

これだけ理屈を述べているくらいなのだから、自分では上記観点を十分に勘案し、熟慮に熟慮を重ねたうえで考えた愛称であった(あえて応募作は伏せておきたいと思う)。

しかしながら、どうやら支持・理解を得られなかったようだ。
残念でならない。
最後に断っておくが、この文章は選から漏れた者のヒガミ根性から書いているのでは、ない (と思ってほしい)。
くどいが、そんなことは断じて、ない。

2011年9月20日火曜日

秋を活ける

茨城も台風15号の影響で、肌寒い雨の一日である。
この台風、進路を一回転させるなど妙な動きをしている。
そしてまたもや近畿方面に向かうようだ。

名古屋市内は河川があふれ、100万人以上に非難指示・避難勧告が出されたとの報道がなされている。
映像を見ていても、とても街中のものとは思えない洪水で平穏な街の風景を壊している。
都市インフラも相当な影響を受け、機能が麻痺するのだろうと思う。
大都市の脆弱さ、快適さの裏に潜むリスクが露呈する。

先般の台風で大きな災害を被った紀伊半島の各地区では、またもや緊張と苦難を強いられるのだろうか。
自然が相手とはいえ恨みのひとつも言いたいに違いない。
被害が最小であることを祈る。

         

今日は農作業は小休止。ちょっとした骨休みだ。
農園を回ってみた。

ハロウィンお化けカボチャは、結実しても次々と腐り落ちてしまっていたため、今年の収穫は諦めたとしたが、今日草むらの中に大きな玉を見つけ、驚いた。
しばらく見ていないうちに、気づかない場所の実が大きくなったようだ。
直径15cm程のほぼ球体。普通の食用カボチャとほぼ同じくらいの大きさにまで成長していた。
さて、これからどこまで育つか。
楽しみである。が、期待しすぎないようにしよう。

         

谷津田に続く山裾の道を歩くと、今盛りの秋の草花が目に留まる。
ススキ、オミナエシ、野菊(カントウヨメナ)、ワレモコウ、などなど。
これらすべてが身近に、ごく普通に存在している中での生活。
あまりに自然すぎて、その素晴らしさに気づかない。

少しだけ摘んで帰り、部屋に飾ってみた。

人が秋を感じる匂いはそれぞれだろう。
乾燥した稲藁の匂いに一番の秋を感じるのであるが、それとはまた違う秋の香りがした(ように感じた)。
秋を活ける。
こうやって飾ると絵になる

2011年9月19日月曜日

脱穀開始 & さっそく新米を食す

明日には台風15号の接近もあって天気が崩れる予報が出ている。
残っている稲刈りも進めつつ、一区切り付いたところで、脱穀作業を急いだ。
この時期の農作業は、天気が一番のリスクファクターだ。
雨が降るとスケジュールがすべて狂ってしまう。
天気予報はこまめにチェックする日が続く。

        

脱穀する稲は、一番最初に刈り取って干した場所。
ちょうど2週間、自然乾燥・天日乾燥が進んでいる。
オダに掛ける際にはずいぶんと重たかった稲束も驚く程軽くなっている。
良く乾燥できた最高の状態だと思う。

脱穀機を稼働させて、オダから取り外した稲藁を次々と投入する。

稲束の稲穂が脱穀され、籾となってどんどん袋に溜まる。
籾が溜まる
一年の成果がここに重さとなって実感できる瞬間だ。
ずっしりとした袋に詰まった豊穣の重さを感じつつ、倉庫に運ぶ。
この春先から始まり半年に及んだ農作業に思いが及ぶ。
ひたひたと充実感が身体に満ちてくる。
苦労が吹き飛ぶ。
食糧、とくに主食たる米を自給できるという、なにものにも代え難い安心感もある。
世の中がどんなになっても、生き延びられる気がする。

市が行った市内18カ所で放射生物質の検査においても、未検出との結果を得ている。
これで安心して茨城の米を食べていただけるはずだ。

        

今夕は、さっそくこの籾の一部を精米して食してみた。
やはり米粒の艶が違う。断然美味い。
嗚呼、なんと贅沢な生活なのだらう。
水稲農家の一番の贅沢、これがあるからやめられない。

うるわし、うまし国ぞ、常陸。


2011年9月18日日曜日

脱穀の準備

今年の稲刈りは9月3日からスタートした。
最初に刈り取った稲穂は2週間経過し、この晴天続きで十分に乾燥している。
(いまやメジャーになったコンバイン刈取りでは無理な自然乾燥・天日乾燥なのである)

今日も稲刈りを続けたが、一方でこの乾燥している機を逃さないためにも、脱穀作業の準備を始めた。

台風が南海上にふたつもある。
数日のうちに天気が崩れるだろう。
こうなると時間との戦いである。
段取り良く作業を次々と手配し、スケジュールを組み立てる。


         

脱穀機も一年ぶりの主役としての現場登場である。
今日はエンジンの調子を見てみた。
大丈夫のようだ。
明日から活躍する。

脱穀機
田んぼにて脱穀できる作りだ 




コンパクトだが、各種機能が付いており
優れものだ



2011年9月17日土曜日

稲刈り 好天続き順調だが

よい天気が続いている。
田んぼも適度に乾き、作業にはコンディション良く、(暑いことだけが難点だが)稲刈りは順調に進んでいる。
田んぼは乾くとこのようにヒビが入る
オダの足の棒を刺すためにも少しの湿り気が残るくらいがちょうど良い
作業が終わった田んぼには整然とオダが並ぶ
ただ、短期間で作業を終えられる機械も体力もないため、どうしてもこの良い天気がいつまでつつくのかが大変に気になる。
台風もまたいつ発生するか判らない。

こればかりは致し方ないものの、天気を気にするあまり、焦り気味であることは事実だ。
(機械の調子が良いことを念じながら)稲をかりつつ、
オダを作りつつ(当然、オダの竿・足を現地まで運ぶという作業が付随している)、
オダに掛けつつ(一束ずつ完全な手作業である)、
ビニールで被いつつ・・・をこなす。

気が遠くなるような膨大な労働を、ピッチを上げて行っているのである。
これはさらに暑さとの戦いでもある。
休憩と水分補給を繰り返しながら、働く。
まさに、へとへとになるまで、働いている。
一日が終わると、身体も頭もぐったりしてしまう。
明日の段取りを頭で考えながら、睡魔に負ける。

金曜からがハードな戦いの第一のピークの始まりであった。
体力を消耗しきってパソコンを開くのさえ疎ましく感じられた。
根気まで減退した、というのが正直なところである。


         
これだけの肉体労働の対価は、残念ながら金銭面ではまったく割に合わない。
農業が衰退する大きな要因である。
他に大いなる意義を見いださないと、とても続けられない難行苦行であるのだ。

ということで、明日も晴天のようで、作業を先にすすめられそうだ。
また修験道の荒行のような労働が待っている。
この荒行、その先には精神性の極めて高い爽快感が待っているので不思議である。
きっと快感を増幅させる脳内物質ドーパミンの分泌を高めるのだろう。
今年は稲の茎も長いうえに、実の入りが良い。
作柄は良好だ
これだけ疲れるのに、また明日の朝にはよしやるぞと気合いが入る。
日中はまだまだ夏
背中で受ける日差しはジリジリと焼けるようだ
水を飲んでも飲んでも汗で出てゆく

2011年9月15日木曜日

ヒマワリ除染効果なしの報道

9月14日、農水省が福島で行っていた土壌汚染の除去実験についての結果を公表した。

(読売新聞 9/14)  ヒマワリ除染、効果ありませんでした

放射性セシウムを吸収するとされるヒマワリは、この実験結果では『ほとんど効果がない』とのことだ。
実際に吸収できたのは、その土壌に含まれる放射生物質の1/2000であるらしい。

この数値結果に対してあれこれ批判するつもりはない。
国の公的機関による正式な実験結果だ。
数値の信憑性は十分に高く、納得性の高いものであるからだ。

ただ、比較した他の方法、つまり物理的に表土を剥ぎ取る、水でかくはんし流す、表土と地中の土を入れ替える、という方法と比べること自体いかがなものかと思う。
物理的に強制撤去する荒っぽい方法と、自然の力でエコにじっくりと、という大きな違いがそもそもある。

ニュースにもあるとおり、強制的に剥いだ土の処理もなんら決まっていない。
それ以前に、汚染されたすべての土地の表土を剥ぐことなどできるものなのだろうか?
表土と地中の土の入れ替えも同様だ。
水でかくはんし流すというのも、汚染水を流したら下流に対する責任はいったいどうするのだ?
それは非常に効果的だと判っても、さていったいどう実現するの? と首を傾げたくなる。

おそらくは(好意的に想像すると)、高濃度に汚染されている狭い箇所の除染には有効な方法として推奨される、と言うことなのだろう。

そこまで踏み込んで報道・解説しないと、ヒマワリ無能説だけが安易に流布されてしまう。
表面だけで薄っぺらくしか情報を読んでいな人々を、操作するのがいとも容易なわけだ。
ニュースの表題そのものも『ヒマワリ除染、効果ありませんでした』ときている。
それだけ期待していたからこその見出しなのかもしれないが、ヒマワリ無能説だけを強調しているとしか思えない。

ヒマワリとて、仮に種子に放射性物質が蓄積されたらその処理に困るのであるが、少なくとも表土を剥いだ土の保存なり処理に比べれば、はるかに取り扱いが容易であろう。
今の技術をもってすれば、焼却時にフィルターをかければかなりの放射性物質は除去できる。コントロール可能な範囲ではないのか?
たとえ1/2000と効率が悪くても、いたるところで栽培されたヒマワリで集められた放射生物質は、塵も積もれば・・であろう。

なにか釈然としない、実験のやり方・比較の仕方ではないかと思う。
そもそも同列には論じられないものだからだ。
このニュースに接すると、ヒマワリ栽培のすべてが否定されたように思えてくる。
報道の仕方以前に、農水省の発表の仕方の方がお粗末なような気がするが。

         

いま福島の人たちは、なんとかして自分たちの大地を元の姿に戻したいと思っている。
個人で出来ることは、どんなことでもしたいと切に思っているはずだ。
そんななかで、共感を呼び広がりを見せているのが、先日紹介した『福島ひまわりプロジェクト』だ。
今回の農水省の実験結果発表と報道で、この草の根活動があらぬ非難を浴びるようなことがないことを祈りたい。

安全で不自由の無い東京に住み、テレビカメラの前で無責任な発言ばかりしているいわゆる『評論家』や『コメンテーター』なる人たち、永田町で理屈ばかりをこねて復興の時間を浪費しつつ、言論の府においては一国の総理演説にヤジを飛ばす人たちよりは、除染の可能性を信じてヒマワリ栽培を続ける全国の人たち・福島の人たちの姿の方がどれだけ尊いことだろうか。
民はけっして愚かではない。

         

わが元・玉川村で行おうとしているヒマワリ栽培プロジェクトも、福島と同様な趣旨の一面はあるが、このような報道には左右されず、自信をもってすすめて行きたいと考えている。
あれこれとかまびすしいが、じっくりと実の成熟を待つヒマワリ
夏の終わりの雲・・

2011年9月14日水曜日

ドライブルーベリーの試み

今年はかつてないブルーベリー豊作のシーズンであった。
沢山の方が当ブルーベリー園にお見えになり、収穫を楽しんで頂いた。
また、無人野菜販売所にはブルーベリーも朝採りして数多く並べ、毎回大変な好評を頂いた。

最盛期の8月上旬〜中旬は、それだけ収穫してもまだ撓わに実が付いていた。
まさに獲っても穫っても・・・の状態だった。

どちらかというと鮮度が命と言っても良い果実であり、保存は冷凍するのが一般的だ。
従って、いま我が家の冷凍庫には容量一杯のブルーベリーのパックが保存されている。
また、ジャムに加工して保存もしている。
シーズンが終わっても、しばらくの間はブルーベリーを楽しめる。

         

どんどん実は完熟する。
穫らなければ落果するだけだ。
穫ったところで冷凍保管する場所もすでに満杯だ。
さて、どうする??  


今回挑戦したのはドライブルーベリーである。


とにかくブルーベリーを収穫し、選別したうえで乾燥させ、ドライブルーベリーにして食してみてはどうか、という単純な発想から試してみた。
まさに『もったいない精神』の発露である。

具体的には次のような方法をとった。
まず、乾燥機がないためこの真夏の暑さを利用した天日干しによる乾燥とせざるを得ない。
効率よく高熱に晒し、風を通して乾燥させたいため、ブリキ製の色付き波トタン板を使った。

ブリキの波トタン板の上に、金網とネット(今回使用したのは5mmメッシュの防風ネット)を敷いて収穫したブルーベリーを並べた。
波トタンにしたのは、凸凹があり通風性に富むことと、何よりも炎天下ではかなりの高温になることが期待されたからだ。
台の上には、下から順に、ブリキの波トタン板、金網、防風ネット、ブルーベリーを置いた
今回は収穫したブルーベリーの実6kgを広げた。

予想した通り、炎天下ではネット面は短時間で52℃にもなった。
トタン板は触るとかなり熱い
天日干し3日で、かなりシワシワに変化してきた
結局、5日間干し続けた。
カリカリ状態とは言えないものの、レーズン程度までは乾燥できた。
晴天が連続すればもっと短期間で乾燥するだろうが、今回は間に曇り・雨の日が入ったために計5日間となった。
大粒の実もだいぶ縮んだ
ブルーベリーの美味しさが濃縮された感がある
当初6kgあったブルーベリーは、1.6kgにまで乾燥した。
実に元の26%。ほぼ1/4となった。
高価な装置は不要だった。

         

ところで、乾燥したブルーベリーの味はというと・・・。
以下は食してみた人々の評である。
・ほんのりとした酸味があり、程よい甘さ
・少し柔らかいレーズンという感じだが、良く味わうとやはりブルーベリー
・クランベリーに似た酸味があるが、歯ごたえは柔らかい
・生で食べるより、やや皮のザラザラ感が残る
・パウンドケーキに入れて食べたら美味しそう
・アルコール臭がする気がする(⇨少し発酵でもしたのだろうか)

どうやら、レーズンやクランベリーに似たものだがやはりブルーベリーであり、酸味と甘味が同居しており『美味しい』、というものに落ち着くようだ。
製造が容易で手作り感あふれ、味覚的にも視覚的にも、個人的には大変満足している。


そのままつまんで食べてもよし、アイスクリームに載せて食べてもよし、これはこれで当面楽しめそうだ。
来年は大量生産し、お裾分けできればと考えている。