2016年1月29日金曜日

干し柿バター

子供のころ、干し柿は美味いと感じたことがなかった。食べられぬわけでないのだが、あのベタベタ・ネットリした食感は苦手だった。
ところがである。五十を過ぎてあれだけ敬遠していた干し柿がたいそう美味いと感じるようになった。あのベタベタ・ネットリも逆に美味いと感じ堪能しているのだから不思議なものである。
我が娘も干し柿は(・・そのままでは)あまり好きではないようだ。
                                           
先日、ある方から干し柿を戴いた。福島産の干し柿で色も形も見事な逸品だ。
あまりに美味しいので娘に勧めたところ、『そのままは好きじゃないけど、干し柿バターは美味いよね・・』との返事。酒のツマミで最高なんだとか。どうやらどこかの店(きっと洒落たところなのだろう・・たぶん)で食べて気に入ったらしい。
とにかく美味しいんだから作って食べてみたらどぉぉぉぉ・・と。
ラム酒がなんやらとの説明を聞いてもイメージできないので調べたら、分かった。
 → 干し柿バター

素朴な天然の甘さが売り物の干し柿だが、このようにオシャレな食べ方があるとは。でも、本当の美味さはそのまま齧るのに限るという信念は微塵も揺るがない。なにがラム酒だ、バターだ。そんなものは邪道だろうが。
                                           
話は変わるが、干し柿用の柿の実を枝から取るときには、ヘタの部分にT字型の枝を残すのに苦労している。このT字部分がないと、実を紐に結んで吊るせないからだ。大きさ・形ともに立派な実だが取るときにT字がなくなってしまい、泣く泣く干し柿にするのを断念してきた実も多い。

先日頂いた福島産干し柿には、ヘタの部分にある針金が刺さっていた(次の写真)。
ヘタの枝がT字に残っているものにはこの針金は刺さっていない。

この干し柿を下さった方からあらかじめ針金の話は聞いていたのだが、実物を見たのは初めてである。なるほどこれであればヘタの部分を両側からしっかり挟んで、紐にも通せる。

T字型枝がない柿の場合に使う針金・・・確かに需要は有りそうだ。ちゃんとT字が残る実ばかりであるはずがない。やはりこんなものも商品化されていたか。便利な道具があるものだと深く感心した次第。
正式には『T型クランプ(干し柿用金具)』というらしい。ステンレス製でひとつ7円ほどとか。
いいものを見つけたと思ったが、これを手に入れるのは難しいようだ。
    → 福島・大武農園ブログ

さ~て、今日明日は雪模様で何もできないから、ラム酒とバターでも買・・・・。

2016年1月26日火曜日

佐竹氏と雪

常陸大宮市と秋田県大館市は友好都市協定を結んでいる。
いわずもがなだが、その昔に佐竹氏の国替えで一族が秋田に移ったそのご縁による。常陸大宮市から一族の小場氏が大館に移り住んだ。

秋田と言っても南北に相当広い。茨城県に例えれば県庁のある秋田市が水戸とすれば、大館市は高萩か北茨城あたり。北に10キロも行けば青森県境だ。内陸部で冬は雪深い所である。かの忠犬ハチ公が生まれたのはここで、JR大館駅前にハチ公の立派な像がある。
大館市は何度か訪ねた。今、城跡は桂城公園になっているが見事に何もない。堀と桜の古木があるだけである(建物類は幕末の動乱時に焼失)。
                                           
先日、茨城にも雪が降った。
毎年、降る雪を見ては、国替えに従って秋田に移住した人々のことを想う。
出羽の冬の雪の多さ、寒さは、常陸では経験したことが無いはず。初めて迎えた冬の驚き。雪国に生きる術を持たない彼らの困惑ぶりはいかほどであったろうかと。

⇒ 少々こまかいがデータは次の通りだ(新編問答式 佐竹読本 高橋茂著 による)。
  秋田移封の発令は慶長7年5月8日(新暦ではでは6月27日)。
  京都伏見にいた佐竹義宣は家康に領地安堵の謝礼を言上し、江戸に上った。
  秀忠に謁見し謝礼と赴任の挨拶を言上。
  その後は、水戸に立ち寄ることなく一路出羽・秋田を目指し旅立った。
  奥州街道を北上し宮城県まで。いまの宮城蔵王の東山麓あたりだ。
  現国道286号線の山形県への山道を進み最難所・笹谷峠を越えた。
  ※ 是非この峠の山道(国道286号)をストリートビューで見て欲しい
  今は高速道で容易に通り抜け可能だが、昔はこの九十九折の峠越えの細道のみ。

  峠を下り山形に出て、羽州街道を北上。
  現国道13号線を進んで雄勝の峠を越え秋田入り。
      現在の秋田市への到着は9月17日(同10月31日)だった。

  付き従う家臣一族の移動も、時を経ずになされたはずである。
  水戸や太田の一族はというと、久慈川・里川沿いに北上した。
  棚倉町に出たのち北に進み、須賀川から奥州街道へ出た。あとは前述の通り。
  大混乱の中での慌ただしい引っ越しである。馬や荷車が列をなした。
  遠路かつ険しい峠越え多数の道のため、家財道具もほとんど持たずの引越し。
   ・・・あたり前だが全行程徒歩である。
  心身ともに疲れ切って到着してすぐに全く環境違う地での生活開始。 
  時あたかも、厳冬期の到来間近の季節だった。

大館は今頃は真っ白の世界のはず。
方や茨城の雪はすぐに融け去ってしまう程度でその点暢気だ。
でも雪雲が垂れこめた寒々とした風景を見ては、『大変だったっぺなぁ・・寒がったっぺなぁ・・』と。

水郡線はポイントの融雪機の設置が進んで、この程度の雪と寒さではダイヤが乱れることはほとんどなくなった。この日もほぼ定時運行だった。
雪景色の中のキハ130系車両の姿もよいのだが、この風景は明日にはもう見られない当地である。

2016年1月22日金曜日

2016年 蜜蜂飼育届の提出

毎年一月に『蜜蜂飼育届』を農林事務所に提出している。
今年も常陸太田市にある県合同庁舎まで提出しに行った。
今年提出した計画では、飼育数を意欲的な10群としてみた。

運よく捕獲をしても、なにせ逃避が多いものだから、年末時点で巣箱にいる蜂の数が限られてしまう。去年は捕獲・入居したのは延べ8群だったが、逃避も4群あって最終4群しか残らなかった。

その実態を勘案したうえで今年の末には10群との目標にしたわけだが、必達に向けての準備は着実に進めてきており、あながち無理ではないと密かに思っている(確か去年もこのタイミングで同じことを思っていたのだったが・・)。
また、この意欲的な目標に向かってあれこれ知恵を絞る(楽しい楽しい)チャレンジシーズンが始まる。
                                           
そして、ここ数年のこの活動を通してたくさんの方とのコミュニケーションがあり、人の輪が広がった。まったくの望外の成果。
単なるミツバチとはちみつだが、不思議なアセンブル機能がある存在である。
侮れないな、ミツバチ。ここにハマってゆく魅力があるのだろう。

2016年1月14日木曜日

玉川村駅を利用した(かもしれない)外国人

昨年12月6日のブログに、玉川村駅の国際化などとちょっと茶化した話を書いた。
その中で『玉川村駅に降り立つ外国人観光客などは有ろうはずがない。大正12年の開業以来、皆無に違いない。』などと書き記したが、これは誤りであるかもしれない。
                                           
というのは、玉川村駅から北に5キロほど離れたころに長沢という部落があるのだが、ここに大正11年からアメリカ人牧師夫妻が住み布教の拠点として昭和40年代まで居たのである。
この牧師の活動は布教だけにとどまらず、広範囲にわたっていたため多くの人が彼のもとを訪れ、人的交流も盛んであったようだ。となると彼を訪ねた外国人が玉川村駅に降り立つこともあったかもしれぬ、という訳だ。
(長沢地区に直線距離でもっとも近い駅は野上原駅だが、この駅は昭和31年の開設で当初より無人駅で駅前は何もなし。長沢方面への移動は山を越えて歩きとなる。一方、玉川村駅は少しだけ遠いもののタクシーも配備されていたのでこちらから長沢に向かった方が便利だったはず)

最近あるお年寄りと話をしていて、長沢に牧師が居たという話が出た。その時、昔の記憶がいきなり蘇った。
小学校の時に先生からたしかこのことを聞いたのである。細いことはすっかり忘れたが、『外人の牧師が住んでいた』ということだけ印象に残ったのだった。ただそれとてこの半世紀はすっかり忘却の彼方にあったのだが。先月ブログを書いた時にはまったく思い出さないでいた。

その外人の名は、O.D.ビクスラーという。
詳しくは → 常陸大宮市のたからもの・ひと
茨城関連では、日立市のキリスト教学園の設立に力を注いでいる。
彼が住んでいたという長沢にあった教会兼自宅の建物は、いま那珂市額田のチルドレンズホームの敷地内に移設されている。いちど現地で拝見したことがあり、小ぶりながらなかなか素敵な教会建物だ。

                                           
今も昔も山深い場所で、人家も疎らな長沢地区の、どこにそんな教会があったのか不思議である。
先日、たまたま長沢の道端にいたおばあちゃんにその場所はどこか尋ねてみた。地元の人にとっては自慢できるひとであり、建物であったようで、快く教えてくれた。
場所は、長沢の東の入口近くだった。いま家が建っているが人は他所に越して住んでいないという(典型的な過疎地の空き家だ)。無人とはいえ、ひと様の屋敷・敷地なので立ち入ることは遠慮し、道端から仰ぎ見た。長沢の方にはたいへん失礼だが、こんな辺鄙な場所をなぜ布教の拠点として選んだのだろうか・・などいろいろ考えながら、長沢を離れた。
教会があったという場所の近くにはバス停がある
意外に思うかもしれぬが、玉川村駅は大正12年の駅開業で、以来昭和30年代まで周辺は繁栄を極めたし、長沢地区もこのような先駆的なキリスト教布教拠点で文化先進地だった。
それにしても、今の玉川村駅前も長沢も侘し過ぎる。往時の賑わいは遠い昔。栄枯盛衰。

2016年1月9日土曜日

蝋梅

暖かい冬だ。
この三連休は少しは寒くなるそうだが、それでも記憶にある昔(昭和40年代)の寒さに比べたらまだまだ。

今はなき『大宮一中』に自転車で通っていたころは、現代のような保温性に優れたウィンドブレーカーや使い捨てカイロなど有りようもなく、厚着をしても手袋をしても耳当てをしても、とにかく寒くて大変な真冬の通学だった。
そのような厳しい寒さが続くものだから、冬休みが始まるクリスマス頃には山北側の日の当たらぬため池は、それはそれは立派なスケートリンクに仕上がっていたものだった。
氷が張ってもその日のうちに溶け去るような昨今である。・・・隔世の感がある。

さて、残された『冬』はどうなることやら。去年のように桜が咲いてから降る雪もあるのだろうか。
                                           
今年も蝋梅が花を付けている。この辺りではもっと後になってから咲く花なのだが。
この花には、冬の真っ青な空とピンと張り詰めた冷たい空気が一番似合う。

2016年1月5日火曜日

味噌樽開け間近 ~味噌は体に良いのか悪いのか

ちょうど1年前に仕込んだ味噌の樽開けを、間もなくする(予定だ)。
春夏秋冬、暗所でじっくりと成熟の時を経た手作り味噌である。
屋敷横の畑で完全有機・無農薬により栽培した大豆(遺伝子組み換えではない)を100%使い、塩と米麹を混ぜ合わせただけの無添加味噌。かつ、手捏ねによる仕込みだ。
2015/1の仕込み
2015/12の様子
(このあと舐めてみたが指がベタベタになり写真がとれずじまい)
年末の試し舐めではなかなか良い具合に仕上がっていたのを確認している。
夏の天地返し時よりは格段に風味を増している。敢えて潰し残した大豆粒も口中でホロリと崩れる。
スーパーで買ってもそんな高値ではない味噌だ。だが、栽培→収穫→仕込みの各段階を自ら行って作った味噌には、格別の『思い』が加味されて市販味噌には無い旨味が醸し出されており、特別の価値がある。
                                           
『味噌には塩分が多い』⇒『塩分は高血圧を招く』⇒『だから味噌の摂り過ぎは良くない』という話は良く聞く話だ。そんな気も確かにする。
最近読んだある雑誌の記事で、科学的な観点から味噌が体に良いのか悪いのか、味噌と高血圧などの関係性に着目して研究している大学の先生の記事(JBPERSS ・『食の健康』)があった。興味深い話だったので紹介したい。

 ・味噌は体に良いのか、悪いのか(前編)
 ・    同         (後編)

さてさて、いくら体に良い・美味いと言ってもスギ樽は・・過ぎたるは及ばざるが如しである。ほどぼとにが一番。少しずつ少しずつ味噌汁にして楽しみたい。

2016年1月3日日曜日

100年後を見据えたプロジェクト

一昨年の暮れに、職人さんを頼んで山の木立を伐採してもらった。
2014/12の伐採作業風景1
伐採を頼んだ一帯は、樹齢百年経っているような大木が多いうえ、急斜面であり、さらにはその下側には墓地があるという、素人が容易に切り倒すことができない難易度の高い場所であった。
職人さんはプロの道具を巧みに駆使し、手際よく切り倒しては枝を払い落し、丸太にしていった。
2014/12の伐採風景2
倒した木の枝や丸太となった太い幹は、諸事情があってそのままに残したものだから、そのあとの片づけが大変ではあった。それもなんとか去年の春までには片付けて、どうにか山肌はキレイになった。夏場には数回にわたって下草刈りも行った。

場所は屋敷続きであり先祖の眠る墓地が山裾にある山である。
毎日目にするその風景がすっきりしているのは、精神衛生上非常によろしい。ご先祖様も喜んでくれたに違いない。

せっかくキレイになった斜面であるので、見た目をさらに良くすべく花木を集中して植えている。
彼岸花の球根を株分けしてを山肌に植えもしたし、さらにはレンゲの種を山肌一面にばらまいた。レンギョウ、山吹、アジサイ等の苗も大量に植栽した。
今年は墓地周辺はいろんな花が咲いて、我々の目を楽しませてくれるはずだ。

一方で、山肌を彩るもう一つの大切な植物、モミジの植栽計画も進めている。
紅葉シーズンに他所で見かけた彩りの美しいモミジは、その樹木の周辺に生えている実生の幼木を探して引っこ抜いてきては集めている。既に50本以上になった。
と同時に、その親木の枝に付いている種子=実を集めては撒いて、実生苗作りに勤しんでいる。

これらモミジの木や各種の花が、この山肌を鮮やかに埋め尽くす時が来る。
数十年後、いや100年後になるだろうが、それを楽しみに、毎年の地道な作業を続ける。
不思議と苦ではなく、むしろ楽しくて仕方がない。
                                           
小生の場合は個人の道楽のようなものだが、同じように山にモミジを植えるプロジェクトを村として進めている場所があることを知った。
東京の桧原村が進める『人里もみじの里プロジェクト 100年後を見据えた里山づくり』だ。
かなり気合が入っているみたいだ。
狙うところは全く同じで次世代に向けて残す資産を作るプロジェクト。息の長いプロジェクトだ。
ちなみにここでもミツバチ飼育・はちみつ販売が行われ、里山保全活動とセットだ。

2016年1月1日金曜日

酒かす漬け

2016年は、昨年11月にNHKためしてガッテンで紹介された『酒かす漬け』のマシュマロ編からスタート。
わざわざ材料の酒かすを買い求めてするほどのことはないが、甘酒にしても酒かすがまだ残ったのでちょいと試してみた。番組中では、街中の試食者もゲストコメンテイターも驚き、絶賛していたシロモノ。こうあっては試さずにはいられぬ。我乍らつくづく物好きだと思う。
作り方の詳細は番組HPを見て頂くとして、酒かすとミリンがあれば簡単にできる。
ミリンを加え電子レンジで加温する
ペースト状にした酒かすにマシュマロを漬け込む
                                           
結論から言うと、食べてみての小生の感想は『確かに味が変わり美味くなる』のはわかるが、そこは全くの別物に変わるわけではない。やはりマシュマロはマシュマロだ。だが、ただやはり何かが微妙に違っている。
7時間後のマシュマロ
表面がだいぶヌメヌメしてきている
マシュマロは単なるフワフワした柔らかいお菓子・安いお菓子だが、それが高級スイーツのようにとまではいかないが、ある程度変身する。表面のぬめりが加わって、甘さに深みがでてくるといった感じか。うま味成分がまとわりついたという感じ。もっと劇的に変わることを期待したが、少々違った。
番組によれば漬けこむのは4~6時間が目安とのことであり、時間は十分置いたのでミリンの量か熱し方かが違ったか?。
どうにもボキャブラリが乏しいので適当な表現ができないのがもどかしいが、単なるマシュマロではなくなることは確か。簡単にできるのでぜひ試してみるべし。

ちなみに『あたりめ(スルメ)』も漬け込んでみた。こちらはだいぶ柔らくなると同時にうま味がぐんと増す。周りに付いた粕と相まって口中には麹の香りがいっぱいに広がる。酒のつまみとしては乾きものそのものを直接食べるよりはよ各段に美味。酒肴としては最高だろう。

こうやってしみじみ味わうと発酵というのは不思議なものだということを実感する。ただ漬けおくだけで風味が美味しくなるように変わるんだから。発酵食品の酒も味噌もそうだが、なんとも奥が深い。しばらくはいろんなものを付け置きして食してみたい。
                                           
珍味作成からブログスタートしたが、今年も『面白そう』や『美味しそう』で、四季折々に各種チャレンジするつもりだ。