2016年1月14日木曜日

玉川村駅を利用した(かもしれない)外国人

昨年12月6日のブログに、玉川村駅の国際化などとちょっと茶化した話を書いた。
その中で『玉川村駅に降り立つ外国人観光客などは有ろうはずがない。大正12年の開業以来、皆無に違いない。』などと書き記したが、これは誤りであるかもしれない。
                                           
というのは、玉川村駅から北に5キロほど離れたころに長沢という部落があるのだが、ここに大正11年からアメリカ人牧師夫妻が住み布教の拠点として昭和40年代まで居たのである。
この牧師の活動は布教だけにとどまらず、広範囲にわたっていたため多くの人が彼のもとを訪れ、人的交流も盛んであったようだ。となると彼を訪ねた外国人が玉川村駅に降り立つこともあったかもしれぬ、という訳だ。
(長沢地区に直線距離でもっとも近い駅は野上原駅だが、この駅は昭和31年の開設で当初より無人駅で駅前は何もなし。長沢方面への移動は山を越えて歩きとなる。一方、玉川村駅は少しだけ遠いもののタクシーも配備されていたのでこちらから長沢に向かった方が便利だったはず)

最近あるお年寄りと話をしていて、長沢に牧師が居たという話が出た。その時、昔の記憶がいきなり蘇った。
小学校の時に先生からたしかこのことを聞いたのである。細いことはすっかり忘れたが、『外人の牧師が住んでいた』ということだけ印象に残ったのだった。ただそれとてこの半世紀はすっかり忘却の彼方にあったのだが。先月ブログを書いた時にはまったく思い出さないでいた。

その外人の名は、O.D.ビクスラーという。
詳しくは → 常陸大宮市のたからもの・ひと
茨城関連では、日立市のキリスト教学園の設立に力を注いでいる。
彼が住んでいたという長沢にあった教会兼自宅の建物は、いま那珂市額田のチルドレンズホームの敷地内に移設されている。いちど現地で拝見したことがあり、小ぶりながらなかなか素敵な教会建物だ。

                                           
今も昔も山深い場所で、人家も疎らな長沢地区の、どこにそんな教会があったのか不思議である。
先日、たまたま長沢の道端にいたおばあちゃんにその場所はどこか尋ねてみた。地元の人にとっては自慢できるひとであり、建物であったようで、快く教えてくれた。
場所は、長沢の東の入口近くだった。いま家が建っているが人は他所に越して住んでいないという(典型的な過疎地の空き家だ)。無人とはいえ、ひと様の屋敷・敷地なので立ち入ることは遠慮し、道端から仰ぎ見た。長沢の方にはたいへん失礼だが、こんな辺鄙な場所をなぜ布教の拠点として選んだのだろうか・・などいろいろ考えながら、長沢を離れた。
教会があったという場所の近くにはバス停がある
意外に思うかもしれぬが、玉川村駅は大正12年の駅開業で、以来昭和30年代まで周辺は繁栄を極めたし、長沢地区もこのような先駆的なキリスト教布教拠点で文化先進地だった。
それにしても、今の玉川村駅前も長沢も侘し過ぎる。往時の賑わいは遠い昔。栄枯盛衰。

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