2016年1月26日火曜日

佐竹氏と雪

常陸大宮市と秋田県大館市は友好都市協定を結んでいる。
いわずもがなだが、その昔に佐竹氏の国替えで一族が秋田に移ったそのご縁による。常陸大宮市から一族の小場氏が大館に移り住んだ。

秋田と言っても南北に相当広い。茨城県に例えれば県庁のある秋田市が水戸とすれば、大館市は高萩か北茨城あたり。北に10キロも行けば青森県境だ。内陸部で冬は雪深い所である。かの忠犬ハチ公が生まれたのはここで、JR大館駅前にハチ公の立派な像がある。
大館市は何度か訪ねた。今、城跡は桂城公園になっているが見事に何もない。堀と桜の古木があるだけである(建物類は幕末の動乱時に焼失)。
                                           
先日、茨城にも雪が降った。
毎年、降る雪を見ては、国替えに従って秋田に移住した人々のことを想う。
出羽の冬の雪の多さ、寒さは、常陸では経験したことが無いはず。初めて迎えた冬の驚き。雪国に生きる術を持たない彼らの困惑ぶりはいかほどであったろうかと。

⇒ 少々こまかいがデータは次の通りだ(新編問答式 佐竹読本 高橋茂著 による)。
  秋田移封の発令は慶長7年5月8日(新暦ではでは6月27日)。
  京都伏見にいた佐竹義宣は家康に領地安堵の謝礼を言上し、江戸に上った。
  秀忠に謁見し謝礼と赴任の挨拶を言上。
  その後は、水戸に立ち寄ることなく一路出羽・秋田を目指し旅立った。
  奥州街道を北上し宮城県まで。いまの宮城蔵王の東山麓あたりだ。
  現国道286号線の山形県への山道を進み最難所・笹谷峠を越えた。
  ※ 是非この峠の山道(国道286号)をストリートビューで見て欲しい
  今は高速道で容易に通り抜け可能だが、昔はこの九十九折の峠越えの細道のみ。

  峠を下り山形に出て、羽州街道を北上。
  現国道13号線を進んで雄勝の峠を越え秋田入り。
      現在の秋田市への到着は9月17日(同10月31日)だった。

  付き従う家臣一族の移動も、時を経ずになされたはずである。
  水戸や太田の一族はというと、久慈川・里川沿いに北上した。
  棚倉町に出たのち北に進み、須賀川から奥州街道へ出た。あとは前述の通り。
  大混乱の中での慌ただしい引っ越しである。馬や荷車が列をなした。
  遠路かつ険しい峠越え多数の道のため、家財道具もほとんど持たずの引越し。
   ・・・あたり前だが全行程徒歩である。
  心身ともに疲れ切って到着してすぐに全く環境違う地での生活開始。 
  時あたかも、厳冬期の到来間近の季節だった。

大館は今頃は真っ白の世界のはず。
方や茨城の雪はすぐに融け去ってしまう程度でその点暢気だ。
でも雪雲が垂れこめた寒々とした風景を見ては、『大変だったっぺなぁ・・寒がったっぺなぁ・・』と。

水郡線はポイントの融雪機の設置が進んで、この程度の雪と寒さではダイヤが乱れることはほとんどなくなった。この日もほぼ定時運行だった。
雪景色の中のキハ130系車両の姿もよいのだが、この風景は明日にはもう見られない当地である。

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