振り返ると気ぜわしく過ぎた10日間ほどではなかっただろうか。
咲きそうだと話題にし、咲いた散ったと言ってはこれだけ騒がれる花は桜以外ない。
さまざまのこと思ひ出す桜かな
かの俳聖・松尾芭蕉が桜を詠んだ句である。
芭蕉が思い出すのは『さまざまのこと』である。
何を思い出すのか思い出したのかは具体的にしていない。
そのことで逆に鑑賞する人それぞれがそれぞれの解釈ができる。
崇高な精神世界へ昇華した句・・と素人ながら思う。
だが、独り静かに『さまざまのこと』を思い出しながら、味わう桜もまたよい。
このような桜の味わい方を積み重ねると、心の襞(ひだ)が増えて行くような気がする。
満開の桜は何処のものも素晴らしいとは思うが、桜名所や観光地のそれには個人的には何の思い入れもないためか、あまり『さまざまのこと』も思い出すことがないから不思議だ。
名もない場所だが、今年もひとりでそっと訪れ眺めた桜がある。
旧山方小学校・舟生分校の校庭の桜である。狭い校庭を桜の樹が囲んでいる。
片隅には二宮金次郎が静かに佇む。
小生自身には直接的な関わりはない場所なのだが、亡き母が若い頃に先生として過ごした分校である。ただそれだけである。
訪ねたその時間には、山里の分校には誰もおらず静謐な時間が流れていた。
麗らかな日差しの中で、老木の桜はただただ真っ盛りであった。
たまにはこういうシチュエーションもよいものだ。
舟生分校の校庭と満開の桜 誰にも邪魔されずに一人ですべてを占有した贅沢な時間だった |
皇紀2600年(昭和15年)を記念して建てられた二宮金次郎像 幾多の春と子どもたちをここで見送ってきた |
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