小高い山の中腹に鳥居と祠があり、下を通る道路からは急な階段が続いている。この祠(社)の周辺は氏子によって常時大変キレイに手入れ・維持管理されている。斜面の雑木・雑草は見事に除かれていて実にすがすがしい。
鳥居の向こう側に粗末だが木造の建物がある。 おそらく祠はその建物に囲われていて、中に鎮座しているのだろう。 |
毎年年末になると階段の上り口両側に、立派な『角松』が設置される。おそらく手作りなのだろう。背丈ほどもある角松で人目を引く。
最近ではこのような角松は、もはや有名で大きな神社と大手百貨店くらい(あとは、羽振りが良い田舎の土建屋か)しかないのではないか。この規模の祠でこの角松は珍しい。
これも氏子たちの信心の表れに違いない。
普段からの周囲の手入れや、正月を迎えるこのような準備姿を見るにつけ、ここには守り続ける大切なものがあって素朴な信仰がしっかり根付いていると感じる。小さな氏神様だが、年中の維持管理を通して、氏子は祖神に対する感謝の念を忘れないのだろう。美しく気高い行為だ。素晴らしい。
残念だが、一般に神社には初詣の時くらいしか人は訪れなくなっている。
そして、初詣はその時だけ神様に都合よくお願事をする(大学に合格できますようにとか、良縁に恵まれますようにとか、良い一年でありますようにとか、家内安全・商売繁盛とか・・)機会になってしまっている。精一杯の努力をしたうえでのお願いばかりでは決してないだろう。
無論、願う気持ち・すがる気持ちそれもあってよいのだが、日常を平穏無事に過ごせた(=神様がお守りくださったからいまの無事がある)こと、こうやってとにかく生きられていること、に対する感謝・御礼の方がまずありきで大事だと思うのだが、どうだろうか。どうにもこちらの念は薄いような気がする。・・・自身の反省でもある。
来年再来年も、今後もずっとこの角松が立てられることを祈ってやまない。
どんな祠か近いうちに登って見てみたいと思う。
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