2015年3月14日土曜日

昭和2年3月10日 水郡線・常陸大子駅開設

先日、『大子ジャーナル』という、おそらくは茨城北部の大子町内にしか頒布されていないのであろうタウン紙を見る機会があった。
平成27年3月5日号というそれには、昭和2年(1927年)3月10日に水郡線(当時は大郡線)が常陸大子まで開通したその日のチラシの写真が掲載されている。
『祝 開通』として、当時の商店や会社などが賛助金を出してチラシを作って配ったのだろう、いろいろな商店名・会社名がみえる。88年前のものである。
そのチラシの写真には、開通時の常陸大子駅時刻表も写っている。
(大郡線は同年12月に水郡線に名称変更)

当時、常陸大子駅が終点であったので、写っているのは(下り列車の)到着時刻と(上り列車の)発車時刻であるが、水郡線が常陸大子まで開通した時にどのくらいの本数が運行されていたのかを知る貴重な資料である。

ちなみに、この時刻表部分は『大子町史』にも掲載されているとのことだ。


常陸大子駅開設当時の時刻表(大子ジャーナルから一部分を転載しました)
これを見ると、上り列車は午前中は3本で午後に3本の1日6本の運行だったようだ。
         
玉川村駅は、常陸大子駅までの大郡線開通の4年少し前(1922年、大正11年12月)に開設されている。当時の玉川村駅を通過する列車も、おそらくこの本数であったことだろう。
開通した常陸大子駅は当然として、4年経っている玉川村駅もまだまだ路線開通の熱気が覚めやらぬ中にあったと思う。
なにしろこれからほどなくして、水郡線は隆盛期を迎え、各駅はどこもかつて無い賑わいを見せることになるのだから。
時代背景として、沿線人口もまだまだ多かった上に、周辺からの物資が集積され貨車輸送による運搬が本格化しだした時期にあたる。
駅周辺には当然に人・物・金・情報が集まるようになった。
物資集積の一大ターミナルとなった玉川村駅の周辺には、料亭や木賃宿、飲み屋、映画館、各種商店、タクシー会社、日本通運の事務所、農協等々、次々と開設されていった。これからの三十数年間がまさに黄金期だった。
常陸大子駅も同様であるはずだ。
実際に、水郡線は列車本数も、連結車両数も増加していった。客車列車以外にも、貨物列車が運行されているのだから、結構なTraffic数だったはずだ。

たった一枚のチラシだが、そこにみえる商店・会社の多さからも、如何に地元が熱烈歓迎したかがよく判る。
         
今日(3/14)は、北陸新幹線が金沢まで開通した。開通した地元の歓待ぶりがニュースで伝えられている。昭和2年の大子町もまさにこのような状態だったのだろう。
チラシ一枚と言えど、その時代の空気、更には人々の思いまでをも伺い知れる貴重な資料である。

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